ステファニー・キーツの死(前編)
しかし、それは違っていた。
信じられないことではあるが、彼女の方だったのだ。
「―――アレ……イ……―――」
ステファニーはその人物の名を呼ぼうとして口を開いたが、それはもう後の祭であった。
四肢をバラバラにされたステファニーの死体が発見されたのは、それから十数時間後のことであった。
2
ロスアンゼルス市警殺人課に所属するアルフレッド・クルーズ刑事は、端正な作りの顔を歪め、晴れ渡った空を仰ぎ見ながら、赤茶色に染めた少し長めの髪をクシャクシャに掻き回した。
クルーズ刑事の前には、17、8歳の美しい金髪の少女の死体が転がっている。しかし、ただの死体ではない。顔と身体が斧で割られたように真っ二つに切られ、更に両手両足が切断され、見事に膨らんでいたであろう乳房が抉り取られ、美しい肢体を見せていたであろう面影は跡形もなかった。
クルーズ刑事がこのような死体を目にしたのは、今月に入ってこの少女を含め4件目である。
最初の1件目はこの21世紀になっても再び黒人奴隷を復活させよう、と議会で無茶苦茶な発言をした白人至上主義の政治家の娘であり、議員の発言に対する黒人たちの怒りが爆発したための殺人ではないかと思われていた。
が、2件目、3件目の殺人事件が発生したことによってそれは覆された。政治家の発言とは全く無関係な少女たちが殺害されたためだ。これら3人の共通していることといったら若く美しい少女ということだけで、他にはこれといった共通点というのはどう調べても見つからなかった。大物政治家の命を狙っていると思しき過激派団体に属する黒人たちを追っていたクルーズ刑事は、そこで自分の推理を改めなければならなくなってしまった。
その矢先に、また、これである。クルーズ刑事の端正な顔が歪められたのも、当然のことであろう。
そんなクルーズ刑事の傍らに、制服を着用した馴染みのトニー巡査が近づいてきた。本来なら、殺人課とは全く縁のない交通整理などを行っているトニー巡査だが、この一連の事件で人手が足りない為、上司に殺人課の手伝いをするように言いつけられ、この場にやって来ていた。
「クルーズ刑事、向こうに第一発見者を待たしてありますが、話をお聞きになりますか?」
ふくよかなせいで顔の何処にあるか判らない顎で、トニーは第一発見者だというジャージ姿の男をしゃくった。毎朝恒例のジョギングに出かけようとした矢先、この少女のバラバラになった死体を発見したようで、その衝撃が未だに抜けきれないのか、真青な顔で今にも吐き出しそうに口元を掌で覆っている。
「ああ、そうだな。だが、その前に、被害者の身元は判ったのか?」
10歳以上は年下であろうクルーズ刑事の尊大な言葉で問われながらも、トニー巡査は嫌な顔は少しも見せずに、質問に答えた。
「身元はもう判明しています。このマンションの最上階に住んでいるキーツ家の一人娘で、ステファニーという名の17歳の少女です」
「17歳か……。可哀相にな。で、両親には?」
「はあ、コニー婦警を呼びに行かせたのですが、まだ下りてこないようです」
「んじゃあ、まあ、第一発見者の話でも聞くか。ああ、その死体はもう片付けちまってもいいぜ。両親には後で見せよう。こんな野次馬ばかりのなかじゃ、いくら何でも可哀相だからな」
クルーズ刑事の言うままを鑑識課の男たちに告げると、トニー巡査は先にたって第一発見者の元に案内した。
その様子を、取り囲む大勢の野次馬たちの間から見ている十歳前後の少年の姿があった。
美しい黄金の髪を持つその少年の名をフォースという。母親から頼まれた買い物途中、取り囲んでいる大勢の人々の群れを発見し、この頃の少年に特有の好奇心を発揮させた結果、大勢の野次馬同様、少女が殺された現場と思しきこの場にやってきたというわけであった。
フォースは、片付けられていくステファニー・キーツという名の17歳の少女のバラバラにされた死体を、青く輝く大きな瞳で興味深げに見つめていた。暮らしている所が教会というせいか、葬式の時にはいくつもの死体が運ばれてくるせいで、10歳の少年にしては困ったことに、死体をいうものを見慣れてしまっていた。時々、葬儀の手伝いを行うこともあるせいだ。
と、その時、フォースの青い瞳に、奇妙な黒い物体が轟くのが映った。
それは顔立ちこそはっきりしなかったが、明らかに人間と思われる形状をしていた。
死体を運ぶ鑑識課の男たちと共に、その黒い物体も微妙な速度で動いている。
フォースは周囲を見回した。視線が運ばれて行く死体から第一発見者に話を聞いているクルーズ刑事の方に人々の視線が動いたのを見て、フォース以外、誰もあの黒い物体には気がついていないことがフォースには判った。
(やっぱ、あれは……)
何を思ったのか、フォースは叫んだ。
「『悪霊』だ!『悪霊』の仕業だ!!」
「!!?」
フォースの周囲を取り囲む人々が、ざわつき始めた。
この科学の時代、『悪霊』の仕業だと聞いて本気にするものは数少ない。
そんなことは、フォースにも判っている。それでも、フォースは叫ぶのをやめなかった。これは、あの男を自分に気づかせるために行っていることだったからだ。そう―――クルーズ刑事に、自分の存在を知らせるために。
人々は、この気が狂ったとしか思われぬ少年を、呆然とした視線で、または哀れな眼差しで見つめた。
騒ぎは、第一発見者に死体発見時の状況を聞いていたクルーズ刑事とトニー巡査にも、当然聞こえた。急ぎ足で、駆けつけてくる。
「一体、何の騒ぎだ?」
「はい、この子供が『悪霊』の仕業だとか、何だとか言いまして……」
騒ぎの原因であるフォースを、野次馬たちを見張っていた警官の一人が捕まえ、クルーズ刑事の前に引っ張ってきた。
フォースは警官の腕から逃れようと暴れたが、まだ10歳の子供。大の大人にかかったら一たまりもない。しかも、相手は訓練を受けた警官だ。尚更、逃れようがなかった。
フォースの顔を見た瞬間、クルーズ刑事は「またか」というような表情をしてみせた。事件の時には何かと姿を見せるこの少年を、クルーズ刑事はかなり前から知っている。少年だけではない。彼の母親も、そして、その母親と少年を養っている男のことも承知していた。
「おい、フォース。お前、また、『悪霊』だとか何だとか言ってんのか?今はもう21世紀だぜ?そんな『悪霊』だとかの存在を誰が信じるって言うんだ。あんまりいい加減なことばっか言ってると、ムショに放り込んでやるぞ」
「放り込みたきゃ、刑務所だろうと火山の中だろうと放り込みゃいいだろ!だけど、俺は確かに見たんだ!あの死体の側に『悪霊』がいたのを!」
少年は今まさに車に運びいれられようとしている死体を指差した。先程見えた黒い塊はもうそこにはいなかったが、フォースの目の奥には未だにはっきりと残っている。
クルーズ刑事が呆れたような表情で、少年を見下ろした。
「お前、あの変態神父に洗脳でもされてるんじゃねぇの?この前の事件でも、似たようなことを言ってたが。ま、あの時の事件は、気が狂った馬鹿の仕業で、『悪霊』の仕業でも何でもなかったけどな」
作品名:ステファニー・キーツの死(前編) 作家名:かいや