WonderLand(上)
中から聞こえてきたのは、低い男の人の声だった。しかし、目の前に現れたその人の風貌は、男のそれではなかった。髪の色はピンクに近い赤で、真っ赤なリボンを巻いている。顔には厚化粧が施され、服装はリボンと同じ真っ赤なワンピースだった。しかし、そのノースリーブから伸びる腕は、筋肉こそ衰えているものの、浅黒くごつごつとしていて、男そのものだった。よく見ると、随分と年老いているのがわかる。おそらく、五十前後だろうと思われた。時々、街でセーラー服を着た中年男性や全身ピンクのフリルで埋め尽くされた老人の姿を見掛けるが、それを同じ人種だと思った。
「タケル?」
その低い声は、確かにそう云った。身を乗り出すようにして、あたしを凝視する。しかし、そのタケルという人物と違うということを見て取ると、唾棄するように云った。
「何だい、ガキじゃないか。アンタ、何の用さ。ここはアンタみたいなガキの来るとこじゃないよ」
カウンター式の小さな店だった。そのカウンターの奥の席で、独りの中年男性が煙草をふかしている。あたしを一瞥したけれど、黙ったまま視線をそらした。
あたしは何か云わなくちゃと口を開いてはみたけれど、怖さのあまり、口をぱくぱくと魚のように間抜けに動かすことしかできなかった。
「あたしが呼んだのよ、リリー」
その声に、聞き覚えがあった。振り返ると、すぐ後ろに若い女性が立っていた。
「いらっしゃい、アリス。不思議の国はどうかしら?」
紛れもなく、父の腕に抱かれていた、あの陶器の人形のような女性だった。
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壁一面に並べられた、読むことさえできない英語で書かれたラベルの数々のお酒の瓶。薄暗い照明でぼんやりと映し出された小さな空間に、うるさいほどのクラシック音楽が響き渡る。
「アリスちゃんでしょ?」
その女性は、開口一番そう聞いた。
「どうして知ってるんですか?」
「あなたのパパが写真を見せてくれたから」
そう云って、女性はカウンターの一番手前のスツールに腰を下ろした。そして、鞄の中から煙草を取り出し、火を付けた。
「座ったらどう?リリー、アリスちゃんに何か飲み物出してあげて。お酒はだめよ、子どもだから」
「わかってるよ」
作品名:WonderLand(上) 作家名:紅月一花