小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

WonderLand(上)

INDEX|3ページ/19ページ|

次のページ前のページ
 

 そのとき、父に声を掛けなかったことを、あたしは後悔したことがある。話し掛けていれば、父はその行為が自然となるように、演技をしてくれたかもしれない。でも、あたしは話し掛けなかった。驚かせてやろうという幼心から、黙って父の後を付けたのだ。
 父は電車に乗り、帰路とは反対の大阪へ出た。あたしが付けていることを知らない父は、そのまま改札を出て、地下街へと入っていった。
 父が何をするつもりなのか、あたしにはまるで予想がつかなかった。たまたま当直がなくなって、子どもたちにお土産を買っていくつもりなのかもしれないし、仕事でどこかへ出掛けるのかもしれない。色々な想像を膨らませながら、突然あたしが後ろから抱きつき、父が驚く姿を思い浮かべて、一人でわくわくと胸を躍らせていた。どんな風に驚かせようか、そんなことばかりを考えていた。
 地下街を通り抜け、階段を上って外に出ると、不意に父が手を挙げた。誰かに手を振っているようだった。そして、その手に応えるように、同じように手を挙げる人がいた。
 人形かと思った。
 透き通るように白く細い腕が、真っ白なノースリーブのワンピースから伸びている。褐色に染めた、肩のあたりまで延びたストレートの髪が、風に吹かれてあでやかに揺れる。細く、華奢な女性だった。そのたたずまいは、陶器で作られた人形を思わせた。
 事態がよく飲み込めず、あたしは頭が真っ白になってその場に立ち尽くした。そのときだった。一瞬、その女性と目が合った。吸い込まれそうなほどに真っ黒で大きな瞳が、あたしを舐めるようにじっとりと見つめる。あたしは咄嗟に、柱の陰に身を隠した。
「やぁ、待ったかい?」と、父の声が聞こえた。
「いえ、今来たところです」
「上に部屋を取ってあるから、とりあえず荷物を置きに行こうか」
 父はそう云って、その女性に手を伸ばし、壊れてしまいそうな細い肩を抱いた。
 近くのレストランを予約しているんだ、イタリアン君好きだろう。そう云う父は、あたしの知っている父ではなかった。まるで別人のようだった。でも、目の前にいるのは、紛れもなくあたしの父なのだ。
 えぇ、と女性は父に身体を預け、そのまま歩き始める。父が何かを話しているのはわかったけれど、何を云っているのかまでは聞き取ることができなかった。
作品名:WonderLand(上) 作家名:紅月一花