WonderLand(上)
「こんな狭い路地を走るもんやないよ。狭いニッポン、そんなに急いで何処へ行くーってね。日本なんかよりもずっと狭いんやから、この路地は。鼻くそみたいに狭いんやからね」
ごめんなさい、ともう一度謝ると、「走って逃げたくなる気持ちも、わかんなくはないけどねぇ」と穏やかに云った。
「リリーさんは元気やった?」
覗きこむようにして、シホさんは聞いてきた。一瞬、リリーという名前を聞いてもピンと来なかった。ウサギのことばかりを考えていたからだ。間を置いて、それがカウンターの中に居た奇妙な出で立ちの人だったことを思い出すと、「…たぶん」と曖昧に答えた。苛々していた様子しか、思い出せなかった。
「なんや、リリーさんに会いに行ったんとちゃうんかい」
「モモコさんに」
あたしがそう云うと、女性はあからさまに嫌悪を示した。眉をしかめて、「アンタ、モモコの妹か何かか?」と、訝しげに云った。
「違いますけど」
そう云うと、シホさんの顔はますます顔をしかめた。
「アンタ、モモコとどういう関係なんかは知らんけど、モモコに関わるもんやないよ」
シホさんはそう、強く念を押すように云うと、ついといでと、さっさと歩き出した。「このへんは子ども一人で歩くとこちゃうからな」と、そのまま駅まで送ってくれた。
「こんなとこ、二度と来るんちゃうよ」
「どうして?」
二度と来るつもりなんてなかったけれど、なんとなく聞き返していた。意外そうな顔をして、でも次に面倒くさそうな顔をして、シホさんは答えた。
「ここは大人の街やからや。大人の中でも、汚い世界や。アンタみたいな子どもの来るとこちゃうねん」
「それって、日陰の世界ってこと?」
真っ赤なルージュが、目のすぐ前にやってきた。きつく塗りたぐったアイラインが滲んでいるのも、目が充血しているのも、はっきりと見て取れる距離だった。
「そういうことや、どす黒いところよ。ここはなぁ、住人を選ぶんや」
これ以上の質問は受け付けないよと云うように、シホさんは踵を返して、ネオンが妖しく光り始めた路地の街へと消えていった。
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あたしが何を知り、何を見ようとも、世界は変わらない。
作品名:WonderLand(上) 作家名:紅月一花