ローゼン・サーガ
急いでマーカスは馬たちを止めようとしたが、馬車を引く馬たちを人間ひとりが止められるわけもなかった。
馬車は谷底へと転落した。地面に落ちた馬車は粉々に砕け、一行は旅の足を失ってしまった。だが、今はそんな心配よりも目の前にいる竜をどうにかしなければならない。
シビウはダンシングソードを鞭のようにして地面をひと叩きすると、竜に向かって走り出した。マーカスも斧を構えてそれに続く。
高く飛び上がったシビウは上空から剣を振るった。が、竜の固い鱗の前にロックスネイクをも切り刻んだダンシングソードの刃がびくともしない。
唖然としながら地面に着地したシビウの背中に、塵でも払うかのような竜の尻尾が当たった。
「ぐっ……!」
シビウの身体は竜の一撃をもろに受けて大きく吹き飛ばされた。それを庇うようにマーカスが受け止めた。
「大丈夫かシビウ!」
「ああ、あんたが受け取ってくれなくても華麗に着地してたよ」
「減らず口が叩けるようなら平気だな」
地響きをあげながら竜は咆哮をあげシビウとマーカスに突進して来る。二人はそれを軽々避けて、二人揃って絶妙なコンビネーションで竜の鱗に刃を立てた。
大きな斧が固い鱗にぶち当たり、斧を伝って振動がマーカスの身体の芯まで届いた。しかし、彼の剛力でも竜の鱗についたのはかすり傷程度だった。シビウもまた同じ程度である。
苦戦を強いられシビウは舌打ちをした。
「ったく、何て固い鱗なんだい!」
「地面に接してる柔らかい腹の肉に攻撃ができればな」
打つ手がないと言った二人にキースは大声で叫んだ。
「二人とも早く退け!」
シビウとマーカスがキースの方を振り向くと、彼の身体は淡い光に包まれ、足元から風を受けているように法衣や髪が激しく揺れていた。
キースが何かをしようとしていることに気が付いたシビウとマーカスはすぐさま竜から遠く離れた。
次の瞬間、キースの身体から激風が巻き起こり、それは渦を巻いて地面を削りながら竜に向かって行った。
竜の巨体が生き物のように動く激風によって持ち上げられた。そして、そのまま地面に叩きつけられた。
もの凄い地響きが鳴り響き、固い地面は四方に砕け、竜は仰向けに倒れて足や尻尾をばたつかせている。
これぞチャンスと思い、シビウとマーカスは同時に竜の腹を切り裂いていた。
マーカスの斧は竜の内臓まで食い込み、傷口から出た大量の血しぶきが彼を真っ赤に染めた。そして、シビウは竜の腹を切ると同時に目も切り裂いてやった。
竜は悲痛な咆哮をあげて激しく暴れ周り、仰向けになっていた身体を起こしてマーカスに突進して来た。
突然のことでマーカスは避ける余裕なく、竜の頭から突き出た角を力いっぱい両手で掴んでいた。
巨大な竜の身体は巨漢であるはずのマーカスの身体を小さく見せる。その巨大な竜の力に押されてマーカスの身体はもの凄い速さで後ろに軽々と押されていく。
シビウが悲痛な叫びをあげた。
「マーカス後ろ!」
「……っな!?」
マーカスが気付いた時には、彼の片方の足はすでに崖から落ちていた。そして、目の見えない竜と共に谷底へと消えていった。
この場にいた者は全員言葉を失ってしまった。この中で一番泣き叫びたいのはシビウであったが、あまりの出来事に叫ぶことも泣くこともできなかった。
長い間、誰もが沈黙し、その場を動くことができなかった。
シビウやマーカスの職業には死が付き纏うのは当然だった。しかし、シビウにはマーカスが死んだことが信じられない。信じられるわけがない。
父以外で愛した男性、父とは違う意味で愛した男性はシビウにとってマーカスしかいなかった。今の自分があるのは彼のお陰であるし、誰よりも頼りになる男性だった。その人が死んだ。
けれど、シビウは女性として、人間として強かった。
「先を急ごう。死んだ人間は生き返りゃあしないんだ」
この言葉自分に言い聞かせるものだった。
シビウは誰よりも先を急いだ。誰よりも早くこの場を離れた。
キースとローゼンはシビウの後ろ姿を見て、彼女が泣いているのがわかった。しかし、二人はシビウに声をかけることは決してできなかった。
峠を越えて一行がラルソウムの里に辿り着いたのは冷たい風の吹く夜であった。
遠くから眺める里は色とりどりの光で鮮やかに輝き、精霊の里らしい靄のかかったような幻想的な雰囲気に包まれていた。
里の中は自然との共存を実現のものとしていた。この里の建物などは全て生きているのだ。
例えば、木でできている大きな家がある。床も壁も木でできている。そして、この家の概観は大樹そのものだった。
この里にある建物のほとんどが大樹そのものなのだ。一見、気を刳り貫いたようなこの家だが、木は全く傷つけられていない。木は精霊たちの力によって、普通の大樹がそのような形に変化してくれたのだ。
この里では自然の植物や石ころまでが、精霊の?呼びかけ?によって、独自の進化を遂げているのだ。
里の中に入ったキースとシビウは、まずローゼンの家に案内された。その道すがら、キースとシビウは大勢の精霊たちと出会い、歓迎の言葉を受けた。
この里の精霊たちは夜だというに皆活気に満ちている。その理由の一つに、精霊は基本的には眠らないということがある。このために夜にでも家にこもることなく、外に大勢の精霊たちがおり、里は昼のような?明るさ?を持っていた。
この里は夜になると、ランプのような花が輝きはじめる。この花から伸びた茎は地面まで伸びていて、そこから吸い上げるエネルギーによって輝くことのできる特別な種類の花だった。
精霊の里には人間の世界では見ることのできない植物が数多く存在する。
ティーポットのような形をした花を精霊たちはティワラーと呼んでいる。このティワラーはその種類によって、いろいろな飲み物が出せる花なのだ。
ローゼンの家に着いたキースとシビウはティワラーによって注がれた甘い香りのする飲み物で持て成されていた。
持て成すと言っても、精霊は水分以外の食べ物を摂取しないので、お菓子などが出されることはない。しかし、今回は違った。
「クッキーのお味はどうですか? 長様に呼ばれてここに集まった人間たちを持て成すために、特別に人間の世界から取り寄せたものです」
「クッキーなんて食べたのはじめてだよ。なかなかうまいもんだけど、あたしは肉の方がいいねえ」
シビウの言葉にローゼンは少し困ったような顔をしてしまった。
「申し訳ありません。肉はないのです」
「肉がないってどういうことだい?」
「精霊は動物などを殺すことが禁じられていて、その死体や料理を見るのも嫌なのです。ですから、肉は人間の世界から取り寄せていません」
シビウは残念そうな顔をすると、最後の一個となったクッキーを口の中に放り込んだ。ちなみに出されたクッキーは全てシビウがひとりで平らげた。
キースは出された飲み物にも口をつけておらず、ローゼンが不安そうな顔をした。
「お口に合いませんでしたか?」
「いや、そうではないのだ。精霊の里に着いたというのに、長にはまだ会わせてもらえないのか、と思ってな」
「もうじき、使いの者が来ると思います」
作品名:ローゼン・サーガ 作家名:秋月あきら(秋月瑛)