ローゼン・サーガ
「いえ、少し考え事をしていただけです」
ローゼンにしてみれば、今キースに言われた言葉を自分がキースに言うべきだったと思った。だが、それには少し勇気が足らなかった。
「そうか、それならいいが。共に旅をする仲だ、何かあるのならば私に言ってくれ、少しくらいなら役に立てるかもしれん」
キースはここにいる誰かの役に少しでも立てたらと思っていた。昨日、シビウに役立たずと罵声され、どうにか汚名を返上しようと必死なのだ。
不安そうな顔をしたローゼンは少しの間キースの顔を見つめ、次に顔をわざと床に向けてしゃべりはじめた。
「わたくしはキース様と共に、世界崩壊の謎を探るという大役を仰せつかってしまいました。ですけれど、わたくしにそんな大役が勤まるかどうか、不安で堪りません」
「私もそうだ。メミスでは神官長と持てはやされていたが、実際の私はシビウに腰抜けの役立たずだと言われてしまった。神殿で暮らしていた頃は、外の世界に憧れたものだが、私はあの中でしか生きられない人間だったのだよ」
「そんなことはありません! キース様はラルソウムの長様に選ばれた存在です。長様がお選びになった方なのですから、自信をお持ちください」
「ならば、君も長に選ばれた者として自身を持ちたまえ。君がその長を信じて自分に自信を持てるのならば、私もその長を信じ自分に自身を持とう」
他人が信じられぬものを自分が信じることはできない。これはキースが自分自身の判断だけでは自信を持てず、他人に依存してしまうという深層心理の表れでもあった。だが、動機はともかくとして、自信を持つきっかけを作ろうとしたのは、彼としては前進した考えであった。
ローゼンはキースの言葉によって、自分に自信を持たなくてはいけないのだと強く心に刻んだ。
「わたくしは自分に自信を持ちます。ですから、キース様もご自身にもっと自信を持ってください」
キースは大きくうなずいた。
この後、キースとローゼンはだいぶ打ち解けて長話をしていると、寝ていたシビウが起きて来た。
「さあて、そろそろ交代かしらねえ」
大きなあくびをしながらシビウは御者台に顔を出した。
「どうだい、今はどの辺りかい?」
「もうすぐ峠なんだがな、その峠を越えると妖精の里までは一日でつくんだが、迂回すると四日はかかるな」
マーカスはわざわざ迂回すると言う提案をした。それは馬車では峠を越えられないということではない。峠は馬車が余裕で通れる楽な道だ。
「何でわざわざ迂回なんてするんだい? 馬車を降りないと越えられないのかい?」
「いや、そうじゃねえんだ。その峠の途中にはここ数年、竜が棲みつくようになったらしいんだ」
「竜かい、そいつはちと厄介だねえ。それで竜の種類は何だい?」
「地竜の一種で、巨大な蜥蜴に似ているらしいが、俺もこの目で見たわけじゃねえからな」
この世界にいる竜は大きく分けると三種類に分けることができる。蜥蜴や蛇を大きくしたような地竜。その地竜に大きな翼を生やしたような空竜。そして、水の中に住む地竜のような竜を水竜と区別している。
マーカスはいったん馬車を止めて、峠を越えていくべきか他のものと相談することにした。
相談の結果三人は峠を越えて行くと言い、ひとりだけがその意見に反対した。
「わたくしは反対です。竜はこの世界で最も凶暴な生物なのですよ」
ローゼンの意見にすぐさまシビウは反論する。
「竜と言ってもねえ、その種類はピンからキリまで、一メティート(約一・二メートル)の小物から三〇メティート(約三六メートル)の大物、善と悪に、人間より頭のいいやつから本能だけで生きてるやつとか、例を上げれば切りがないね。峠に棲んでる竜をこの目で見ない限りは何とも言えないねえ」
「ですけれど、凶暴な竜だったらどうするんですか? 見つかってしまったら逃げられるかどうかわかりませんよ!」
「そんときゃあ、あたしの剣でぶっ殺してやるよ」
「わたくしには皆さんを無事にラルソウムまでご案内する役目があるのです。安全な道があるのに危険な道を選ぶ必要などないと思います」
今のローゼンは前のローゼンとは何かが違っていた。三人に反対されようとも、自分の役目を果たさなければならない。自分に自信を持たなければならない。
互いに目を絶対に逸らさないローゼンとシビウの間にマーカスが割って入った。
「まあまあ、ローゼンの意見もわからなくもねえが、この旅は急ぎの旅なんだろ? だったら、こんなとこでぐずぐず言ってねえで峠を越えようや」
「私もできる限り急いでラルソウムに向かうべきだと思う。世界はいつ崩壊してしまうのかわからないのだろう?」
ローゼンはこの言葉を聞いて、あの〈夢〉の世界が崩壊する映像が脳裏を過ぎった。この世界もああなってしまうのか、と考えたローゼンはついに首を縦に振った。
「わかりました、峠を越えましょう」
そうは言ったもののローゼンの表情は重い。
マーカスがローゼンの肩を軽く叩いた。
「心配すんなって、俺とシビウが命に代えてもあんたとキースの命は守ってやるよ」
そう言ってマーカスは大口を開けて豪快に笑い、ローゼンも微笑んだ。だが、ローゼンはまだ不安だった。そして、キースもまた不安を抱えていた。
キースは自分が死ぬ前に世界が崩壊するとは思っていなかった。自分が死んだ後に長い年月をかけて世界は崩壊する――と考えている。自分が生きているうちに崩壊するには、崩壊の兆しは緩やかに思えたからだ。
長い年月の間に魔導士の数が減り、不毛の土地が増え、〈混沌〉が世界各地で発生している。全ては一〇〇〇年以上もの歳月をかけて進行してきたものだが、明日世界が崩壊しないとは限らないし、明日はまだ大丈夫かもしれない。結局のところ何もわからない。
だからこそ、先の未来に起こるであろうとキースが考えている世界崩壊より、目先にいる竜の方が心配だった。
確かにキースは峠に通ることに賛成をした。だが、それは悩んだ末の結果であって、シビウやマーカスのように即決で出した答えではなかった。
峠に近づくにつれてキースの不安は高まっていく。そして、峠を登りはじめた時には、激しく揺れる車内に合わせてキースの心臓も激しく揺れていた。
ガタン! と馬車が激しく揺れて止まった。馬たちは前足を上げて甲高く鳴いた。
馬たちは人間よりも早くに気づき、恐怖して暴れまわった。
手綱を持つシビウは必死になって馬たちを制御しようとするが、どうにもならない。
「どうしたんだい!?」
馬車が止まったことによって、はじめて不自然な揺れに気が付いた。
シビウは馬車から降りて剣を抜き、他の者たちも慌てて馬車から降りて来た。
地面が揺れて、ついにそれは咆哮をあげながら姿を現した。
蜥蜴に似たその全長は六メティート(約七・二メートル)、鋭い歯と爪を持ち、その頭には四本の角、身体にも背骨の両脇に並ぶようにして尻尾まで角が生えている。竜としての大きさは中型だが、それでも人間が相手をするには辛いものがある。
竜を目にした馬たちは正気を失い、無我夢中で走り出し、暴走をはじめてしまった。
作品名:ローゼン・サーガ 作家名:秋月あきら(秋月瑛)