ローゼン・サーガ
相手のことを女だと思い込んできたシビウは心底驚いた。だが、ローゼンにとっては当たり前のことなので、まさかここまで驚かれるとは思ってもみなかった。
「そんなにも驚かれることなのでしょうか? 精霊の容姿は人間の男女に酷似していますが、生殖機能などは持ち合わせていませんし、人間で言う男女の容姿とそれに伴う性格は必ずしも一致するものではありません。人間の女性のような容姿を持った精霊がいたとしても、その性格は人間の男性ものということもあります」
「じゃあ、どうやって子供を生むのさ?」
「精霊は人間のようには子供を生みません。年老いた精霊は自らで自らを生むのです」
「はあ? どういうことだいそれは?」
「年老いた精霊は一晩の間に胎内に子をやどし、自分の命と引き換えに自分と同じ存在を生みます。生まれた子供は親と全く同じ存在ですが、以前の記憶は全て封じられた状態で生まれます」
「なるほどねえ。わかったような、わからないような……?」
「申しわけありません。精霊には当たり前のことなので、人間の方にどのように説明したらいいのかわからなくて……」
この時のローゼンは暗い面持ちで本当に心から済まなそうな顔をしている。彼女は少し自虐傾向があり、何でも自分が悪いのだとすぐに落ち込んでしまうのだ。
「ひとつ質問してもいいかい?」
「はい、何でしょうか?」
下を向いていたローゼンは背筋を伸ばしてシビウの言葉に耳を傾けた。
「もし、子供を生む前に死んじまったら精霊はどうなるんだい? 精霊の数がどんどん減ってくんじゃないのかい?」
「あの、それは、わたくしもよくわからないのです。確かに子供を生まずに消滅してしまった精霊は数多くいます。そして、精霊の絶対数は長い年月の間に減っています。ですから、もしかしたら精霊というのは、いつかこの世界から消えてしまう存在なのかもしれません」
自分で今の言葉を言ってローゼンははっとした。自分たち精霊がこの世界から消えるかもしれない。そう考えた途端、ローゼンはぞっとして気分が悪くなった。
突然ローゼンは立ち上がった。
「ごめんなさい、少し疲れたので寝かせてもらいます」
「あいよ、おやすみなローゼン」
シビウに軽く手を振られ、ローゼンは馬車の中に入って行った。
残されたシビウはふと頭に疑問が浮かんだ。
「……あれ? 精霊って寝ないんじゃなかったっけ?」
先ほどマーカスと見張りを交代する時、シビウはローゼンがいることを伝えられ、その時の会話で『精霊は特別なことがないと寝ない』と聞かされたような気がした。では、ローゼンは何故?寝る?と言ったのか、シビウは疑問を感じたが彼女はすぐに考えるのを止めた。物事を深く考えるのが苦手なのだ。
静かな夜。シビウは燃え上がる炎を見ながら時間を潰した。
実を言うとシビウは独りで見張りをするのは嫌だった。退屈だという理由もあるが、それが大きな理由ではない。孤独が嫌なのだ。
夜の闇はシビウにとって恐怖だった。この闇に包まれると小さい頃の嫌な思い出が思い出される。
魔導士だった父が死に、シビウはいったん親戚の家に引き取られた。その家には子供が居らずシビウはたいそう可愛がってもらっていたのだが、やがてその家に子供が生まれるとシビウへの待遇は日に日に悪くなっていった。
まだ十歳にも満たなかったシビウは召し使いのようにこき使われ、シビウの態度が悪いとすぐに監禁され、食事も抜かれ、裸にされて何度も鞭で叩かれた。その酷い仕打ちの中でシビウは魔導士の素質を持つ特別な〈血〉を自分が持って生まれなかったことを何度も怨んだ。
そして、ついにシビウは逃げ出した。その時に唯一持って逃げたのがあの鞭のような剣だった。
幼いシビウは剣を片手に夜の闇の中を逃げ回った。そして、見るからに汚らしい浮浪者たちが集まる吹き溜まりで苦しいながらも生き抜いた。
その時のシビウが信じるものは、己と父の形見である魔導具ダンシングソードだけだった。マーカスと出会うまでは――。
過去を思い出し、シビウは深く息を吐いて夜空を見上げた。
「どうしてあたしら別れちまったんだろうねえ?」
シビウが物思いに耽っていると、静かな大地に可笑しな物音が響いた。すぐに視線を下げて地面を見ると、大地を大きく盛り上げながら、何かが地中を進みながらこちらに向かって来るではないか!?
「ロックスネイクかい?」
ロックスネイクとは、岩肌のような皮膚を持つ地中に棲む蛇に似た化物のことだ。
案の定シビウの予想は的中した。
地中を掘り進みシビウの前まで来たロックスネイクは頭を大きく振りながら地面を砕き地上に姿を現した。
頭の大きさだけでも一メティート(約一・二メートル)はあり、地面にまだ隠れている尻尾までの全長は六メティート(約七・二メートル)ある。
ロックスネイクには目がなく、音と熱に反応を示す。そして、肌は岩そのもので、並の剣では到底歯が立たない。
「焚き火につられてやって来たのかねえ」
シビウは愛用のダンシングソードを鞘から抜くと口元を緩ませた。夜の闇の中にいたシビウにとって、この怪物が現れてくれたことはいい気晴らしになったのだ。
ロックスネイクが巨大な口を開くと剣のような鋭い歯が並んでいた。もし、この歯で噛みつかれたら人間など一溜まりもない。
巨大な口がシビウに噛みつこうとした。だが、大きな口は空に噛みついただけだ。
月光を背中に浴びて、上空からシビウが剣を振るいながら舞い降りて来た。
シビウは踊るように軽やかなステップでロックスネイクの身体を切り刻んでいった。美しく舞うシビウの前ではロックスネイクなどダンスの相手にもならない。
圧巻のうちにロックスネイクは細かく切り刻まれ、破片となって地面に大きな音を立てながら落ちた。もう、誰が見てもそこにあるのは岩にしか見えない。まさかロックスネイクの屍骸などとは誰も思うまい。そして、シビウは剣を踊らせながら鞘に収めた。
気分の晴れたシビウは満足そうな笑みを浮かべる。ダンシングソードの持ち主は彼女しかいない。そんな華麗な戦いであった。
世界は全て、夜よりも、黒よりも、何よりも、暗い闇だった。その何も見えない闇の中にローゼンはいた。
全ての感覚を研ぎ澄ませて、ローゼンは世界を感じた。
耳を澄ますと小川のせせらぎの音が聞こえる。
目を開けるとそこは、光踊る空の下で風の靡く世界に花が咲き乱れ、多くの生物たちが姿を現し歌っている、笑っている、生きている。活気に満ち溢れて零れてしまいそうなくらいに世界は美しく華やかであった。
ローゼンの目の前で世界が華開いた。五感全てが世界を確認した。
ここはきっと〈夢〉の中。いつも眠りに落ちるとここに来る。そして、必ずローゼンの前には美しい女性の容姿を持った精霊が現れる。
「ローゼン、またあなたはここに来たのね」
この世界に相応しい、歌うような鈴の声世界が一層輝き彩られた。
不安な顔をしてうつむいていたローゼンにこの精霊は微笑みかけながら聞いた。
「ここにあなたが来たということは、自分自身で解決できない深い悩みを抱えてしまったからですね」
ローゼンはゆっくりと深くうなずいた。
作品名:ローゼン・サーガ 作家名:秋月あきら(秋月瑛)