ローゼン・サーガ
キラービーとは凶暴な肉食の巨大蜂の怪物だ。この怪物は巣の食料が尽き腹を空かせると、集団で自分より大きな獲物を無差別に襲う習性がある。
シビウは馬車を飛び出して来たキースを見て鼻で笑った。
「おやまあ、坊やも戦うのかい?」
「坊やじゃない! 私だって一人前の魔導士たる男だ」
「実戦経験もない箱入り神官長様が何を言うだい。危ないから下がっておき」
二人が言い合いをしている間にキラービーはすぐそこまで迫ってきていた。
「二人ともぐずぐず言ってないで戦う準備をしろ!」
マーカスの斧が大きく振り上げられキラービーを真っ二つに切り裂いた。二つに分かれ地面に落ちたキラービーを蹴飛ばすと、すぐにマーカスは斧を振り上げ次の相手に襲い掛かっていった。
仲間を襲われ凶暴性を増したキラービーはシビウの周りをうるさい羽音を立てながら飛んでいる。
「うるさいねえ、ザコどもが」
シビウは鞘から剣を抜いた。その剣は驚くべきことに鞘の長さを遥かに凌ぐ長さを持っていた。いったい、この剣は鞘にどう収まっていたのか?
剣を抜いたシビウはすぐさまキラービーを切り裂くべく剣を鞭のように振るった。するとどうだろう、剣の長さは二倍、三倍と伸び、鞭のようにうねりながら上空を飛び交うキラービーを切り刻んでいった。
その後もシビウは踊るような剣さばきでキラービーをカ華麗なまでに倒していった。
一方キースは全く動けずにいた。遠くから見たキラービーは大したことはなかったのだが、いざ、目の前で戦闘がはじまると全く身体が動かなくなってしまったのだ。
キラービーがキースに毒針を向けて襲い掛かって来た。だが、キースは恐怖で身体が動かなかった。
目をつぶることもできずいたキースにキラービーの針が突き刺さる寸前、キラービーの身体は斧によって真っ二つに割られた。
「戦えねえなら馬車の中に引っ込んでろ!」
マーカスの怒号も耳を通らぬようで、キースはその場から動かなかった。いや、恐怖のあまり動けずにいた。
駆けつけたローゼンがキースの身体を無理やり引っ張って馬車の中に連れ込んだ。
「キース様、大丈夫ですか!?」
「…………」
馬車に戻ったキースはすでに恐怖から解放されていた。しかし、決して口を開きたくなかった。
まさか、自分がここまで腰抜けの役立たずだったなど思いもしなかった、とキースは自分を苛めた。
キラービーを倒し終えたマーカスとシビウは馬車の中に戻って来たが、キースを見る二人の目は少し冷たい。
昔は魔導士と言えば誰もが憧れを抱く存在であった。しかし今では、魔導士の数が減るにつれて態度ばかりがでかい質の悪い魔導士が増えていた。キースはメミスの都では世界一の魔導士だと持てはやされていたが、マーカスとシビウは現実を見て落胆してしまったのだ。
馬車は再び走り出し、今度はシビウが中で休むことになった。
三人の間には会話はなかった。シビウは座りながら腕組みをして目をつぶっているし、キースに至っては馬車の隅っこで暗い表情をして座っている。
ローゼンは立ち上がるとキースのすぐ横に座った。
「キース様、大丈夫ですか?」
「……少し放って置いてくれないか?」
「……でも」
目をつぶっていたシビウは舌打ちをしながら目を開けた。
「放って置きなそんなやつ。腰抜けがうつるよ」
「シビウさん! キース様に謝ってください」
怒ったローゼンの腕をキースが引いた。
「……いいんだ。間違ったことは言ってない」
ローゼンは何とも言えぬ哀しい顔でキースを見つめるが何も言えなかった。
「まったく、神官長様が聞いて呆れるね。見た目は坊やだったけど、少しは期待してたんだよ、それなのに飛んだ期待外れの腰抜けだったとはね。……魔導士だったあたしの親父が聞いたら嘆き哀しむよ」
「今何と言った? おまえの父は魔導士だったのか?」
心底キースは驚いた。魔導士であるということは、それはメミスでは貴族であると同じこと、しかし、シビウが貴族の娘だとは到底思えなかった。
「あたしの親父は魔導具作りが得意でねえ、この剣もそのひとつさ」
先ほどシビウが戦闘で使用した剣はやはり普通の剣ではなかったのだ。
「この剣を作って数日後に親父は死んだ。誰かに殺されたらしいんだが、あたしが小さかった頃の話だから本当のところはどうだったのかねえ? それで、もともと母のいなかったあたしは独りになっちまってね。たとえ魔導士の娘でも?特別な〈血〉?を持っていないガキじゃあ誰も面倒看てくれなくって、家族を失い、家を失い、この剣一本であたしは今まで生きていた。だから、神官長としてのうのうと生きて来たおまえが、本当に役立たずだったことがむかつんだよ!」
キースとて、本当にのうのうと生きて来たわけではない。しかし、人々に持てはやされて、豪華な暮らしをして来たことは事実なので、キースは何も言い返すことができなかった。
キースは再び暗い表情で黙り込み、シビウも目をつぶって黙り込んだ。
二人に挟まれたローゼンは何もすることができなかった。精霊として暮らして来たローゼンには人間社会から生じる問題は全く理解できないものだった。
ローゼンの暮らして来た精霊の里には長と呼ばれる存在がひとりいたが、基本的には皆平等で、貴族のような存在はいなかった。人間社会のような階級は存在していなかったので、まずそこから理解できない。
馬車は夕焼けの照らす静かな道を疾走している。馬車を引いて走る馬への負担は相当なものだが、現に世界各地でいろいろな現象が起きている以上は悠長なことは言っていられなかった。
今、キースたちが目指しているのは、ローゼンの生まれ育った精霊の里ラルソウムである。その里の長にキースを連れて来るようにローゼンは仰せつかっていたのだ。
精霊であるローゼンは人間の想像もできぬような速さで移動する術を心得ているが、キースを連れてとなるとそれもできない。だが、馬車を引いた馬では、まだまだ里は遥か遠い。
馬車の中には共通通貨と宝石類、それに大量の食料を詰め込んでいた。宝石類も積んであるのは、共通通貨が使えない場合のためだ。
日が沈み、真っ暗な夜道では馬を走らすことはできないので、適用な場所を探して馬車を止めた。
夕食はパンと干肉にワインが付く。旅の途中ということもあるが、この地方の一般階級の夕食は、パンとスープにソーセージの三品目が食卓に並ぶのが主流なのでさほど大差はない。
各々に食事を始めるがローゼンは何も食べようとしなかった。それに疑問を持ったマーカスは聞いた。
「精霊ってのは、もしかして食いもんなしで生きられるのかい?」
「水さえあれば生きていくことが可能です。そのために果物などから水を摂取することもありますが、今はまだ平気ですから」
「よく水だけで生きていけるな。俺は最低でも酒と女がないと生きていけねえけどな」
そう言いながらマーカスはシビウの腰に手を回そうとしたのだが、マーカスの腕はシビウによって凄い力で捻られた。
「痛たたたたっ、すまん俺が悪かったよ」
「もう、あたしはあんたの女じゃないんだからね。変なマネしたら容赦しないよ!」
作品名:ローゼン・サーガ 作家名:秋月あきら(秋月瑛)