ローゼン・サーガ
ローゼンは困り果ててしまった。証拠など何も持っていなかったし、そもそも彼女の育ってきた精霊の里では相手を?疑う?という行為すら存在していなかった。
「証拠は何も持っておりません。しかし、この国でも年々魔導士が減少していると思います。この現象は世界全体で起こっている現象で、我々精霊は神々が世界にお姿をお見せなられなくなったこと、〈混沌〉が世界中で急激に発生していること、そして、魔導士の減少――この三点は何らかの関係があると考えおります。ですから、キース様がわたくしと旅をして今世界に起こっている現象の謎をつきとめることがでれば、この国の魔導士の減少を食い止められるのではないでしょうか?」
「私の命などよりも、魔導士の減少を食い止める方が、このメミスのためになるとは思わんか、なあアースバドよ?」
アースバドにとって、この決断は一か八かの賭けであったが、ついに彼は首を縦に振ったのだった。
「仕方ありませぬな。キース様、どうかご無事で帰って来てくだされ……」
「ありがとうアースバドよ。私はすぐにこのメミスを後にする――この国のことは頼んだぞ」
ローブを翻しキースは歩き始め、ローゼンと共に部屋を後にした。その姿を見守るアースバドは生気を失った枯れ木のようであった。
巫女は遥か遠い目をして呟く。
「キースが旅立つことは予知できたが、この先の未来はわらわにもわからぬ」
昏い陰が巫女の顔を包み込んでいた。
旅支度を済ませてキースは神殿の外に出た。神殿の外に出られたのは人生で二度目の経験だ。
神殿の中庭とは違う空気や風が漂っている。そんな空気を肺いっぱいに吸い込みキースは深呼吸をした。
「ああ、なんと清々しいことか。窮屈な神殿から解放された」
神殿から出て旅をすることにより、キースは神官長という地位から解放されたのだ。しかし、完璧にキースが解放されることとなるのはメミスの都を出た時だ。
神官たちは突然キースが旅に出ると聞かされ、誰もが護衛を一〇〇人は付けると言ったのだが、キースはこの時ばかりは神官長の権力を利用して、一〇〇人を二人にまで減らした。
本心ではキースは神殿を出てすぐにローゼンと二人だけで旅をしようと考えていたのだが、移動手段に便利なように馬車を使うことになったため、馬車を操る者が最低でも二人は必要だったのだ。
石畳の敷き詰められたメインロードを進み、活気の溢れた街並みを背景に馬車で抜けると、やがて大きな塀が見えてきた。この塀は敵の侵入を防ぐためにあり、塀で都市を囲むようになったのは一五〇〇年以上も昔から行われてきたことだ。
都市を囲む塀を通り抜けると、広大な土地が遥か山々まで続いていた。
馬車に乗るのが初めてだったキースは馬車に揺られて少し酔ってしまっていた。
「すまない、少し馬車を止めてくれないか?」
蒼白い顔をしてキースはそう言うが、馬車はまだメミスの都が見えるくらいの位置を走っている。
この旅に同行した体躯のよい三十代のベテラン斧使いであるマーカスは、仕方なく馬車を走らせていた女剣士に声をかけた。
「シビル! キース様の具合が悪くなっちまったんで馬車を止めてくれねえか?」
「あいよ!」
シビルが威勢のいい返事して、馬車はゆっくり止まった。
気分の悪そうな顔をしたキースを、すぐ近くにいるローゼンが心配そうな瞳で見つめている。
「キース様、大丈夫ですか?」
ローゼンに続いてマーカスも大きな身体を動かし近づいてきて尋ねた。
「キース様、大丈夫でございましょうかでございます?」
マーカスは戦士としての腕はメミスでも一、二を争うほどだが、身分はそれほど高くないために普段使い慣れない言葉に戸惑ってしまっていた。
「ああ、少し楽になった。――それよりも、その言葉使いはどうにかならないのか?」
「俺は、いや、わたくしめは、その……」
言葉が出てこないマーカスを見てキースはため息をついた。
「はぁ、自分のしゃべりやすい言葉でいい。他の二人も自分のしゃべりやすい言葉でしゃべってくれ。?キース様?などと媚を売られるのは神殿の中だけで十分だ」
馬車を止めたシビウも馬車の中に入って来た。
「神官長って呼ばれるくらいだから、もっとお頭の固いやつかと思ってたけど、そうでもないみたいだねえ」
ハスキー声でしゃべる女剣士シビウは色っぽい雰囲気を全身から醸し出す美しい女だった。
ぐったりとしているキースの手をローゼンは引っ張った。
「キース様、新鮮な空気を吸いに馬車の外に出ましょう」
春が歌うような声はキースを外へと導いた。しかし、その声とは裏腹に外の景色は枯れ果てた大地と呼ぶに相応しい場所だった。
草木はまばらにはあるものの、大地のほとんどは黄土色をした固い土で、風が吹くと土煙が舞う。
数百年くらい昔はもっと自然豊かな草木や花々の咲き乱れる土地であったのだが、魔導士の数が減少しはじめたのと同時期くらいに、大地は枯れはじめたのだった。
広がる景色を見てキースは唖然とした。
「ムーミスト様がお姿をお見せになられなくなった頃から、大地が枯れはじめたと聞いてはいたが、まさか本当だったとは……」
「大地が枯れはじめているのはここだけではありません。我々精霊はこの現象も世界崩壊の兆しではないかと考えております」
「神殿の花々の咲き誇る庭しか見たことのなかった私には、とても信じられない光景だ。私がいかに限られた世界で生きてきたか、恐怖すら感じる」
「これからわたくしと世界を見ていきましょう。そして、世界崩壊の謎を解き明かしましょう」
「私にそんな大役が勤まるのか、こんな私でも……」
不安だった。神殿の外に出てしまった自分は何よりも弱いのではないだろうか? そんな不安がキースを包み込む。
神殿を出る前は神官長という立場に縛られて、外の世界に飛び出して行きたいという願望があった。しかし、今は神官長という立場に縛られていたと同時に守られていたのだと感じる。
思いつめた表情をして遠くを見つめていたキースが、偶然にもあるものにいち早く気が付いた。
「あれは何だ、こちらに飛んで来るぞ?」
「キラービーです。巨大な蜂の化け物です!」
ローゼンはキースの腕を引っ張り馬車の中に駆け込んだ。
「大変です、キラービーの群れがこちらに飛んできます!」
マーカスは斧を手に取り外のようすを見に駆け出していった。それに続いてシビウも愛用の特殊な剣を持って出て行こうとした。
「ローゼン、キースの坊やをよろしく頼むよ」
「ぼ、坊やだと!?」
目を丸くしたキースなどお構いなしといった感じでシビウも外へ飛び出していった。
坊や扱いされたキースは怒りを覚えた。外の世界では自分など役立たずだという自覚はあるが、それでも坊やを言われては黙って入られない。
脇目も振らず出て行こうとしたキースにローゼンは手を伸ばした。
「キース様お待ちを!」
だが、手は届かず、キースは馬車の外へと飛び出していってしまった。
馬車の外には戦闘の準備をしているマーカスとシビウがいた。その視線の先には十匹ほどのキラービーがいる。
作品名:ローゼン・サーガ 作家名:秋月あきら(秋月瑛)