ローゼン・サーガ
もし、メミスに何かが起きていたとしたらキースとシビウにもただ事では済ませない。シビウはキロスの襟首を掴んで無理やり顔を上げさせた。
「メミスに何があったっていうんだい?」
「本当に知らないんだね、君たちは……メミスの都が〈混沌〉になってしまったことを――」
シビウは掴んでいた襟首を思いっきり突き放し、キロスを地面に倒してしまった。
「悪い冗談はよしとくれ、メミスが〈混沌〉になるなんて話、誰が信じられるかい!」
「冗談でも何でもないよ、本当のことさ。ここから見える〈アムドアの大穴〉だって、もともとは大きな都だったんだから、メミスに同じことが起きても不思議じゃない」
唇を噛み締めたキースは感情を押し殺して、キロスに手を貸して彼を立たせた。
「何故そのようなことが起きたのだ? 国の民はどうなった? どうして、そんなことが……」
「このキャンプに知らせが届いたのも今朝で、詳しい情報はまだわからない。今わかっていることは、メミスの都が〈混沌〉になってしまったのは二日ほど前、生き延びた人の話によると、巫女が突然〈混沌〉に変わり、魔導士たちが封じることもできず都は全て〈混沌〉に吸収されてしまったそうだよ」
巫女が〈混沌〉に変わってしまった。――それはもしや、ソーサイアの仕業なのだろうか? だが、ここにソーサイアがいない限り、その問いは解けることがない。
今、キースたちにできることは前に進むことだけだ。
「私はすぐにでも〈アムドアの大穴〉の中に入る。ローゼンとシビウはどうする?」
「わたくしはキース様と共にどこまでも」
「あたしだって行くに決まってるよ」
二人の決意を聞いたところで突然キロスがキースの前に立って手を上げた。
「はいは〜い、僕のご一緒していいかな?」
場違いな明るい雰囲気のキロスをシビウは睨み付けた。
「あんたは来なくていいよ」
「なんでさぁ、一様僕だって少しはお役に立てると思うけどなぁ〜」
「私は構わないが、〈混沌〉に吸収されてもいいのだな?」
「うっ、それはちょっぴり困るかも。でも、君は平気なんだろ、だったら僕も平気さ」
腰に手を当てて自信満々のポーズをするキロスにシビウは呆れ声で呟いた。
「はあ、何だいこのガキは」
――結局キロスはキースたちの後を半ば強引について来て、一行は巨大な魔導壁の前まで来た。
魔導壁の奥には巨大な〈混沌〉が封じられている。その巨大な〈混沌〉には未来の見えない闇のような印象を受ける。今からキースたちはその〈混沌〉の中に入ろうとしているのだ。
キースは魔導壁に触れた。
「まずはこの魔導壁をどうにかしなくてはならんな」
キロスは魔導壁をこんこんと軽く叩いてキースの方を振り向いた。
「じゃあ、どかーんと壊しちゃおうか?」
「それは、いい考えだが、〈混沌〉が外に出て来るぞ」
「だいじょぶ、だいじょぶ、少しの穴を空けて中に入ったらすぐに閉じれば済むことだよ」
もの凄く安易な発想である。この巨大な〈混沌〉を封じるのに何人の魔導士の力が必要だったのか、このキロスという若者はそのことを知っていての発言なのか。とてもそうとは思えない。
突然強大な魔導の波動がキロスを中心として巻き起こり、それは近くにいたキースたちの身体を吹き飛ばしてしまいそうなほどの勢いだった。
「いっちょ、いっちゃおうかなぁっとね」
キロスの手から人間業とは思えぬほどの凄まじい魔導が放たれ、その魔導は魔導壁に直径二メティート(約二・四メートル)の穴を空けた。
「早く中に入ってくれないかな? 直ぐ閉めるから」
迷っている暇はなかった。キースたちはすぐさま魔導壁の中に入り、その後を追ってキロスも魔導壁の中に入ると、いとも簡単に自分の空けた穴を塞いでしまった。
〈混沌〉が外に出ることはなかった。それどころか〈混沌〉は全く動きもしなかったのだ。キロスという若者はいったい何者なのか?
「あんたいったい何者なのさ?」
「さぁね、何者でしょう? じゃ、お先に!」
シビウの質問をはぐらかすようにして、さっさと〈混沌〉の中に飛び込んでいってしまった。
得たいの知れないキロスにキースとローゼンは不安を覚えたが、二人は息を合わせたようにして〈混沌〉の中に入って行った。
「戻ったら酒でも飲みたいもんだねえ」
最後に残されたシビウも混沌の中へ飛び込んだ。
人気のない城下町のその先には〈いばらの城〉が聳え立っていた。――ここは〈混沌〉の中であったはずなのだが、どうして都がそのまま存在しているのか?
辺りを見回したローゼンはこの場所とあの場所の雰囲気が似ていることに気がついた。誰かによって創られた世界。
「この場所、〈夢〉の世界に似ています。〈精霊の君〉が創りだした〈夢〉の世界と同じ感じがします」
キロスはローゼンの腰に手を回すと強引に歩き出した。
「なかなか鋭いじゃないかローゼンは。そう、そのとーりなのです。まさにここは〈精霊の君〉が〈混沌〉の内に創り出した世界。そして、あの〈いばらの城〉で眠っていたのは〈精霊の君〉さ」
二対の魔剣が抜かれ、キロスの背中に突きつけられた。
「あんた何者で、何を知ってるのさ? もしかして、これは罠なのかい?」
「罠なんてとんでもない、僕は君たちの助っ人さ。敵はあっちだよ」
キロスの背中に向けていた魔剣がシビウの意志に反する勝手な動きをして、魔剣に強引にシビウの身体は引きずられた。魔剣の切っ先に現れたのは〈黒無相の君〉だった。
「招かれざる客がいようとはな。なぜ、おまえから?あ奴?の力が感じられるのだ?」
招かれざる客とはキロスのことである。だが、キロスから感じられる?あ奴?の力とはいったい?
「今はひ・み・つ。お〈姫〉様に会うまでは秘密さ」
わざとらしく言って見せたキロスはローゼンの腰から手を離すと、魔導で地面を滑るように飛び、〈黒無相の君〉の眼前まで行った。
「早く〈姫〉の元へ案内してくれないかい?」
「おまえを〈姫〉の御前に連れて行くわけにはいかぬな」
「僕は君たちと戦いに来たんじゃないよ、少し話し合いに来たんだ」
キロスと〈黒無相の君〉の間に互いの魔導力がぶつかり合い魔導の渦ができた。だが、殺気をすぐに消したのは〈黒無相の君〉だった。
「よかろう。まだ我にもおまえが何者であるのか、はっきりとはわからぬ。全ての判断は〈姫〉に委ねよう」
「そうこなくっちゃね。さっ、みんなも行くよ」
先を急ぐ〈黒無相の君〉の後を追ってキロスは行ってしまった。残された三人は話が全く飲み込めない。まるで自分たちとは違う次元で物事が進んでいるようだ。
アムドアの都がそこにできる遥か以前からそこに聳え立っている古城。ここに眠る伝説の〈眠り姫〉は〈精霊の君〉であった。
〈いばらの城〉に巻きついていた薔薇の花は〈黒無相の君〉がその城門の前に立つと、まるで〈黒無相の君〉を恐れるように動き出し道を開けた。
薔薇に包まれ見えなかった城の細かい形、それが今は城門だけ見えている。人間がデザインしたとは思えないほどの荘厳さと美しさ、しかし、それはどこか歪んでいるようなイメージを受ける。
作品名:ローゼン・サーガ 作家名:秋月あきら(秋月瑛)