ローゼン・サーガ
「私は前世で君のことを愛していたようだ。死んだ君をどうにかして生き返らせようとしたらしい」
「あなたが死んでしまった後、わたくしは長い時を精霊として過ごし、再びあなたと出逢える日を待っておりました」
時を越えた赤い糸が二人を再び結びつけたのだ。
数百年もの昔のこと――。
広大な大地に広がる農場では果樹栽培で、ブドウやオリーブを盛んに作られ、その大地にそびえる高い防壁に囲まれた都市国家メミス。
壁に囲まれた都市の中心にある小高い丘の上にある神殿。この場所が城塞であり、この都市を守護する月の女神ムーミストからの信託を受ける場所である。
このメミスの都でキルスは生まれた。
やがてキルスは父の後を継いで神官長としての地位に就き、歴代の神官長がそうして来たように、自分の部屋にこもり読書によって毎日の退屈な時間を潰していた。
毎日続く退屈な日々にキルスは飽き飽きしていた。
「このメミスにレザービトゥルドでも襲ってくれば、この退屈は何処かに吹き飛んでしまうのだがな」
レザービトゥルドとは、この時代メミスで最も恐れられていた怪物の名である。その名を聞いただけで、この都の者ならば誰もが震え上がるほどの怪物なのだが、このキルスという男はレザービトゥルドなどこの世にいないと考えていた。
レザービトゥルドはこの都市の守護神ムーミストの宿敵であり、もとはこの土地に住んでいた土地神であったとされるのだが、自分の持っていた宝に執着するあまり怪物になって、ムーミストにこの土地から追い払われたのだと云う。
追い払われたレザービトゥルドはムーミストに復讐をするべく、自分が追い払われた土地にムーミストが造ったメミスの都を四〇年に一度襲いに来ると言った。だが、四〇年に一度来るのはレザービトゥルドの遣わしていると云われる怪物だけで、レザービトゥルドが現れたことはない。そのため、キルスはレザービトゥルドという怪物などはいなく、何らかの理由で怪物が四〇年に一度の周期で都に来るのだと考えていた。
真剣な顔をして考え込んでいたキースであったが、ついに彼は決断した。
「よし、出て行くことにしよう」
神殿での生活にうんざりしていたキルスは予てからの夢であった、神殿の外の世界を見に行くことにしたのだ。
法衣の上から厚手のローブと頭巾を着込んで、キルスはこっそりと部屋から出た。
世界一の魔導士と謳われるキルスには神殿を抜け出すことなど容易いことであった。誰にも見つからずにキルスは神殿の外に出た。
神殿の外に出たのはこれがはじめてだった。跡取りのまだいないキルスの身に何かがあってはいけないと彼は神殿に軟禁状態だったのだ。
神殿の外に出てキルスが一番行きたかった場所は酒場であった。それというのも、酒場にはうまいワインと綺麗な女性が働いているのだと、神殿で働いている魔導士に聞いたことがあったからだ。
さっそく酒場を探し歩いたのだが、神殿の中しか歩いたことのないキルスには右も左もわからなかった。だからと言ってそこらを歩いている庶民に声をかけるのは神官長としてのプライドが許さなかった。
余所見をしながらふらふらとキルスが歩いていると、彼の不注意から何かにぶつかってしまった。
「きゃっ!」
キルスとぶつかったのは若くて美しい女性で、彼女はキルスとぶつかった拍子にお尻から地面に倒れてしまった。
女性はお尻を擦りながら立ち上がり、キルスを見ると頭を何度も下げはじめた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。大丈夫でしょうか、お怪我はありませんか!?」
本当は神官長である自分にぶつかったのだから、相手を怒鳴りつけてやろうとキルスは思っていたのだが、酷く慌てた女性のようすを見て気持ちが変わった。
「いや、それはこちらの台詞だ。君こそ怪我はなかったか?」
「わたくしなら平気です。本当に申しわけありませんでした」
女性はまた何度も頭を下げはじめた。それを見ていたキルスは思わず笑ってしまった。こんなおもしろい女性見たことがなかった。
「私なら平気だから、顔を上げてくれないか?」
ゆっくりと上げられた女性の顔は少し泣きそうな顔をしていた。
「ごめんなさい」
「なぜ、そんな顔をするのだ?」
「わたくし泣き虫なんのです。何かあるとすぐに悲しくなってしまって、涙が出て来るのです」」
この女性は今までキルスが出会って来たどのタイプの女性にも当てはまらなかった。キルスの出会って来た女性は貴族ばかりで、皆傲慢で虚勢を張っているような輩ばかりであった。
「おもしろい女性だ」
「おもしろいとは?変?という意味でしょうか? わたくしよく人から変だと言われるのですよね」
女性は苦笑いを浮かべた。だが、キースは首を横に振った。
「いや、興味をそそられるという意味だ。私の名はキルス」
「あ、わたくしの名はローゼンと申します」
「ローゼンか、いい名だな」
「そうですか?」
顔を薔薇色に染めて照れ笑いを浮かべたローゼンのその表情にキースは一目惚れしてしまった。
「今度私のしんで……いや、酒場とやらを探しているのだが、何処にあるか知っているか?」
「酒場でしたらわたくしの父が経営しているので、ぜひ、いらしてください」
「それは丁度良かった。ぜひ、案内してくれないか?」
「ええ、ついて来てください!」
ローゼンに連れられて来た酒場は昼だと言うのに多くの人が酒を飲んでいて、中でも女性を囲って騒いでいる魔導士が特に目立っていた
活気盛んな酒場の雰囲気に押されて、ついついキルスはローゼンに聞いてしまった。
「いつもこんな騒がしいところなのか、酒場とは?」
「ええ、でも、今日は魔導士のザッハーク様が来ておられますので、いつも以上に騒がしいかもしれません」
魔導士ザッハーク――その名前にキルスは心当たりがあった。現神官のひとりアルフェラッツの弟で、以前神官を選ぶ時に魔導士自体の数が少ないためにザッハークの名前が上げられたのだが、酒に溺れ借金ばかりしている男で神官としては相応しくないとされて、神官に成り損ねた男だ。
キースはザッハークに顔を見られないように、頭巾で顔を隠しながらカウンター席に行こうとしたのだが、キルスの横について歩いていたローゼンがザッハークに呼び止められてしまった。
「ローゼンちゃん、ひっく、帰って来てたのか、こっちにおいで一緒に飲もうや」
完全にいい気分なっているザッハークを見てローゼンは露骨に嫌な顔をしたが、酒場の娘としてはいかなくてはならない。それに、相手は自分よりも遥か地位の高い?魔導士様?だ。
キルスはローゼンのことが気になりはしたが、カウンター席についてワインを頼んだ。この辺りはブドウがよく取れるので、上質なワインが飲めるのだ。
ワインを飲みながらも、やはりキルスはローゼンのことが気になるようで、何度も横目でちらちらと見てしまった。
酔ったザッハークは横に座っているローゼンの腰に手を回し、挙句には胸元に手を入れようとする始末だった。ローゼンは相手が魔導士ということもあって、直接的な抵抗ができず、身体を不自然に動かしてザッハークの手から逃れようとしていた。
作品名:ローゼン・サーガ 作家名:秋月あきら(秋月瑛)