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秋月あきら(秋月瑛)
秋月あきら(秋月瑛)
novelistID. 2039
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ローゼン・サーガ

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 突然キースはローゼンのいる方向を振り向いた。自分に気が付いたのかローゼンははっとしたが、どうも違ったらしい。
 ノックもせずにアースバドが部屋の中に飛び込んで来た。
「キース様、大変でございます! お父上様が倒られました!」
「何だと!」
 キースはアースバドと共に部屋を駆け出して行ってしまった。
 追いかけようとしたローゼンの身体が突如闇に包まれてしまった。

 渦巻く闇が光に吸い込まれていくのか、渦巻く光が闇に吸い込まれているのか。キースにはどちらでもいいことだった。
《ここは何処だ?》
 記憶を手繰り寄せる。ソーサイアに触れられ、それから?
《そうだ、〈混沌〉になったのだった。では、ここは〈混沌〉の内ということか?》
 ここが〈混沌〉の内だとしたら、もうすぐ自分も〈混沌〉に呑まれてしまうのだろう。キースがそう思った瞬間、それは現実となった。
 キースの身体が指先や足先から闇色に変わっていく。〈混沌〉に侵食されているのだ。ここままでは本当に〈混沌〉になってしまう。
《だが、まだ私にはやるべきことがある〈混沌〉の内で意識が保てるのならば、ここから抜け出す方法もあるのかもしれない》
 〈混沌〉に侵食されようとしていたキースの身体が、少しずつだが存在を取り戻しはじめた。〈混沌〉侵食された手は元通り手の形に戻り、足も元通りに戻った。
《なるほど、自己の存在を強く想うことで〈混沌〉に呑まれずに済むのか》
 何もない空間でいかに自己保っていられるか――これは我慢比べだった。
 無音の闇。五感を支配し精神を破壊する。時間の感覚さえも壊される。
 キースは知っていた。〈混沌〉が〈はじまり〉の物質と呼ばれていることを――それが宇宙の〈はじまり〉であることを――キースは悟った。
《なるほど、こういう意味だったのか》
 誰が〈混沌〉を〈はじまり〉の物質と呼び、宇宙の〈はじまり〉などという戯けたことを言ったのかわからない。だが、それが真実だとしたら?
 〈混沌〉がもし本当に〈はじまり〉の物質であるのならば、それが〈無〉であるはずがない。現にソーサイアは魔導の源が〈混沌〉だと言っていたではないか。それがキースの答えだった。
「即ち、ここには全ての要素があるはず。五感で全てのものを感じられるはず」
 声が発せられ、それは自らに耳に届いた。そして、世界が創造された。
 活気溢れるメミスの都。都市の端を流れる大きな川。その川の流れる音に紛れて小さな男の子の泣き声が聴こえて来た。
 男の子は独りぼっちで寂しいのか、激しく泣いている。しかし、小さな子供が何故このようなところに独りでいるのだろうか?
 キースは男の子に近づき、やさしく言葉を投げかけた。
「どうしたのだ? 迷子にでもなったか?」
 小さな男の子は目頭を両手で押さえながらキースの顔を見上げた。
「あなたは誰ですか?」
 五、六歳くらいにしか見えないのに、その子供の言葉使いや態度はしっかりしていた。それもそうである――この法衣を着た子供はキースなのだから。
 過去の記憶でつくられた自分の小さい頃の姿を見て、キースはすぐにあることを思い出した。
「家出をして来たのかい?」
「……はい」
 男の子は小さくうなずいた。
 キースは過去に一度だけ神殿を抜け出したことがあった。神殿を出たのはあれがはじめての経験だった。
 あの頃は神官長になるのが嫌でどうしようもなく、いつも外の世界に出ることを夢見ていた。それで、ついに家出をしたのだった。
 この世に生まれた時から運命は定められていたように思える。神官長になることを義務付けられ、自分の意志は何もなかった。でも、ローゼンが自分の前に現れた時、何かが変わるのではないかと思った。
「だが、結局は家出した時と同じだ」
 家出した時も、結局何もできずに泣いていただけ。あれほど自分が無力だったとは思いもしなかった。だから、流されるままに神官長になることにした。その生き方が自分を守ってくれる。
 大勢の人影が子供のキースのもとへ駈け寄って来る。
 キースが子供の頃のキースの背中を軽く押してあげると、子供のキースは元気よく人影に向かって走って行った。
「ああやって自分は守られて生きていくしかないのだな」
「あなたも守って欲しいのなら、こちらに来てもいいのよ」
 キースが声のした方向を振り向くと、そこには二人の赤子を連れた男女が立っていた。男の方が女の子の赤子を抱きかかえ、女の方は男の子の赤子に授乳している最中だった。キースに声をかけたのはこの女性の方だ。
「あなた方は……?」
 目の前にいる人物はキースの両親と自分と双子の兄弟であった。
 赤子を抱きかかえたままキースの母はキースのもとへゆっくりと歩み寄って来た。
「キースがここにずっといてくれれば、わたしたちが永遠に守ってあげられるわ」
「ここは〈混沌〉の内のはずでは? 何故母上がいるのです?」
「ここはあなたの内でもあるのよ。さあ、わたしの手を取って一緒に暮らしましょう」
 母がやさしく伸ばした手をキースが掴むことはなかった。
「どうしたの? わたしの手を掴めば、あなたは幸せに守られ永遠に生きられるのよ」
「私は守るべきものを残してここに来てしまいました。今の私にも守らなくてはいけないものがあるのです」
 ゆっくりと手を下げたキースの母はうれしそうに微笑んだ。
「それでいいのよ。さようなら愛しいキース」
 夢のような幻影は闇に浸食され溶けるようにして消えてしまった。世界はまた闇に包まれてしまったのだ。
 またも〈混沌〉がキースを呑み込もうとしている。だが、キースに恐れることは何もない。この〈混沌〉は自分なのだから、自分をしっかりと見つめてあげればいい。
 自分から目を背けずに自分と向き合う。
 キースの前にもうひとりのキースが現れた。
「私は何かに守られていなくて生きていけない人間なのだ」
「そう私は何かに守られてなくては生きていけない。人は皆、ひとりでは生きていけないと思う。だから、私は守るべきもののもとへ還らねばならない」
「本当に私の力を必要としているものがいるのか?」
「実を言うと、必要とされているかは関係ないのだ。ただ、私が守りたいと思うだけのこと」
「私はローゼンを守りたい」
「はじめて出逢った時から、彼女に惹かれるものがあった。何故そのようなことを思ったのか、今でも漠然としていてはっきりとした答えが出せないでいる」
「でも、私はローゼンを守りたい」
「それだけのだ」
 突如もうひとりのキースが淡い光に包まれ、やがてそれはローゼンへと変わった。
「キース様、お迎えに参りました」
「私も君を迎えに行こうとしていたところだよ」
 二人はどちらともなく互いの身体を抱き寄せ、唇と唇を重ね合わせた。そして、世界は薔薇色に染まった。
 青空を小鳥たちが歌いながら飛び交い、草の香をそよ風が運んで来てくれる。地上に咲く美しい花々に囲まれ二人の男女は互いを確認し合った。
「わたくし全部思い出しました」
「私も君のことを思い出した」
 封じられていた記憶が紐解かれ、二人は恋に落ちた。
「わたくしは精霊ではありませんでした。わたくしはあなたの恋人でした」