ローゼン・サーガ
不適な笑みを浮かべて近づいて来るサファイア。その全てが以前のサファイアとは違っていた。圧倒的な威圧感を身体から放っている。
「違います、サファイア様ではありません!」
「私がサファイアではない? 私はサファイアだよ」
口調がサファイアのものとは明らかに違う。サファイアは自分にことを?俺?と呼んでいた。
不穏な空気を読み取って、シビウは剣をすでに鞘から抜いていた。キースとメルイルも身構えている。
サファイアは尚もゆっくりと近づいて来る。
「何だいみんな? 恐い顔をして? 私がサファイアではないと疑っているのかい?」
メルリルは光の剣を魔導で作り出し、サファイアに対して敵対心を露にしていた。
「このサファイアがサファイアでないとすると、サファイアは〈混沌〉に……」
言葉を詰まらせた。メルリルはサファイアが〈混沌〉に呑まれたのだと思ったのだ。
失笑したサファイアは足を止めた。
「私が〈混沌〉に喰われたとでも思ったのか? それは違う、逆に喰らってやったのだ。私は〈混沌〉を自由に操れる。この村で起きていた魔導士が〈混沌〉になる奇病が誰の仕業によるものかわかるか?」
誰もがその問いに気が付いた時、サファイアの腕が六メティート(約七・二メートル)の長さに伸び、近くを走っていた村人の身体に蔓のように巻きつき、高く上空へと持ち上げた。
異常事態に気が付いた村人たちは狂ったように逃げ出した。この場に残った村人たちも次に起こったことを見て急いで逃げ出した。
巻きついた腕の中で暴れる村人の身体が膨れ上がり、やがてぶよぶよの物体になったかと思うと、それは〈混沌〉へと変化したのだ。
〈混沌〉が創り出された。それはあまりに衝撃的なことであり、誰も成し得ぬはずのことであった。
〈混沌〉は触れることもできないはず。それをサファイアは手で掴み、握りつぶすようにして消滅させた。いや、吸収したのだ。
サファイアの身体から発せられる魔導の気が、脈打つように鼓動し波動を作り出した。まさか、〈混沌〉の力を我がものとしたとでもいうのか!?
あまりの出来事で頭が真っ白になってしまったキースであったが、彼はある重大なことに気が付いた。
「今の村人は魔導士ではなかったはず!?」
これを言われてメルリルも気が付いた。
「〈混沌〉に変わるのは魔導士だけではなかったの!?」
にやりと邪悪な笑みをサファイアは浮かべた。
「〈混沌〉の力を操るまでにはだいぶ苦労した。この村の者たちにもだいぶ犠牲になってもらった。私がわざわざ魔導士ばかりを〈混沌〉に変えたのは、その方が簡単であり、喰らってやった時に私の力になるからに過ぎない。たかが村人では魔導力は少な過ぎて、何の足しにもならないからな」
魔導士たちを〈混沌〉に変えていたのは全てサファイアの仕業であった。そして、そのことを利用して世界中から〈混沌〉を封じるために集まって来た良質な魔導士をも〈混沌〉に変える。全ては自らの力とするために。
伸ばされていたサファイアの腕が戻された。
「私がサファイアではないと、まだ思っているようだが、私はサファイアだ。正確にはサファイアを演じていた者だ。そう、この世界にはサファイアなどと言う者は最初から存在していない。私は――」
サファイアの身体が蒼白い光に包まれ、その光はサファイアの身体を包む蒼い法衣へと変わり、顔も女性に近い顔から妖艶な中性的な顔へと変わり、髪の毛も足元まで伸びて蒼色に染まった。
「お初にお目にかかる。私の名は〈蒼魔の君〉」
四貴精霊のひとりソーサイア。魔導の真理に最も近いと言われる彼は〈蒼魔の君〉と呼ばれていた。
キースは何重もの衝撃を受けた。まさか、サファイアが自分の憧れていた〈蒼魔の君〉であったとは――。まさか、〈蒼魔の君〉が人々を〈混沌〉に変えていたとは、想像すらできなかった。
「何故〈蒼魔の君〉がこのようなことを!?」
キースにはまだ、目の前にいる者が〈蒼魔の君〉とは信じられない。〈蒼魔の君〉がこんなことをするはずがない。
「全ては魔導を極めんとするためにしたことだ。魔導士たちを〈混沌〉に変え、吸収したのもそのため」
だが、何故人々を混沌に変える必要があったのか? ソーサイアの話は先ほどから理解できないことが多すぎるのだ。
ここまで何も言わずに話を聞いてきたシビウであったが、ついに彼女は耐え切れなくなり大声で怒鳴り散らした。
「あ〜もう、話がややこしくてわからないんだよ。とにかく、この〈蒼魔の君〉って野郎が悪い奴なんだろ!」
「私が悪い奴? それはおもしろい。では、私をその剣で斬ってみるかね?」
「斬ってやろうじゃないかい!」
相手の挑発に乗り地面を強く蹴ったシビウと同時にダンシングソードがしなやかにうねり、ソーサイアに襲い掛かった。
蛇のような動きを見せるダンシングソードは簡単に避けられるものではない。その刃をソーサイアは素手で簡単に掴んだのだ。
蛇の首を絞めるようにして刃を握り絞めるソーサイアの手は全く傷ついていなかった。それどころか、ダンシングソードを紐のように手繰り寄せてシビウの身体を引きずると、近づいて来たシビウに火炎の魔導を放った。
「――なっ!?」
不意を突かれたシビウの身体は炎の勢いのよって遠く飛ばされてしまい、地面の上に激しく叩きつけられた。
素早さを武器にしているシビウは軽装の鎧しか身に着けておらず、露出していた肌に重症の火傷を負ってしまった。
すぐさま、ローゼンが地面に倒れたシビウに駈け寄る。
「すぐに治療します」
治癒魔導で火傷を治そうとするが、なかなか治りが遅い。命には別状はないが、治療にはだいぶ時間がかかりそうだ。
傷ついたシビウを横目で見て、メルリルは情勢が自分たちに不利だということが身にしみてわかった。魔導を極めたと言われる〈蒼魔の君〉に、たかが人間の魔導士が歯向かえるはずがない。だが、彼女は動いた。
光輝く剣を構えてメルリルはソーサイアに斬りかかった。と思いきや、メルリルは剣を振るふりをして、相手に剣を投げつけた。
自分に投げられた剣を軽々と避けると、ソーサイアは後ろを素早く振り向き片手を突き出した。
「それでも不意打ちのつもりか?」
ソーサイアの背後から魔導を放つべく立っていたメルイルの身体が急に動かなくなってしまった。
「どういうことよ!?」
ソーサイアの手がメルイルに向けられた瞬間、彼女の身体は金縛りに架けられてしまったのだ。
「少し、そこでじっとしていてもらおう。私はキースと話があるのだ」
自分の名前を呼ばれて、ソーサイアに攻撃を仕掛けようとしていたキースの身体が止まった。
「私に話があるだと?」
腕を地面に下ろしてしまったキースのもとへソーサイアが歩み寄って来る。だが、キースは蛇に睨まれた蛙のように動くことができなかった。金縛りではなく、相手の圧倒的な威圧感に押されて動くことができないのだ。
微かな笑みを浮かべるソーサイアの妖艶な顔が、キースの眼前まで来た。もう少し近づいたらくっついてしまいそうな距離だ。
「人間界では魔導を使えるようになる最低限の条件を"血?だと教えられているようだが、では何故、精霊は魔導を使えるのかね?」
作品名:ローゼン・サーガ 作家名:秋月あきら(秋月瑛)