ローゼン・サーガ
壁は牢屋に代えられ、部屋の大きさは何倍もの大きさになっていた。しかも、牢屋の周りには大勢の人々が群がっている。
群衆の中からゼクスが出て来て牢屋の前で止まった。
「おまえらは本当に莫迦な奴らだ。俺が〈混沌〉崇拝教団の信者とは知らずにのこのこついて来るとはな」
ゼクスの表情は最初に出会った時とは全くの別人で、今は醜悪な表情をした悪党にしか見えなかった。
怒りを覚えたメルイルは鉄格子を掴みゼクスに向かって喚き散らした。
「あんた、これはどういうことよ!? 説明なさい!」
「これからおまえたちを〈混沌〉に生贄として捧げるんだよ」
「何ですって!?」
甲高い声をあげながらメルリルは周りを顧みず強力な魔導で牢屋の破壊を試みた。が、メルリルの放った魔導は土に吸い込まれる水のように牢屋に吸収されてしまった。
唖然とするメルイルに対してキースは鉄格子を触りながら入念に調べ、眉をひそめて呟いた。
「なるほど、これが魔霊石と呼ばれる鉱石か……」
「おまえ魔霊石を知っているのか?」
ゼクスは驚いたようすでキースを見てしゃべりはじめた。
「まさか、魔霊石を知っているとはな。さすがは世界に名が知れわたっている魔導士だけのことはあるようだ」
同じ魔導士でもメルイルは魔霊石が何であるかを知らなかった。いや、知らないのが当然なのだ。
「魔霊石って何なのよ、わたくしにわかるように説明なさい!」
小うるさいメルイルを威嚇するようにゼクスは魔導を牢屋にぶつけた。が、やはり魔導は牢屋に吸収されてしまった。
「驚いたか? 魔霊石はまだまだ謎の多い鉱石で採れる量も極僅かのため、魔導士ですら知っているものはほとんどいない。この鉱石でたったひとつはっきりとわかっていることは、魔導を封じ込めるということだ」
逃げる術は何ひとつなくなってしまった。魔導が使えぬ魔導士など、ただの平民よりも弱い。
もし、この場にシビウがいてくれたならば檻を壊すことができたかもしれない。だが、ここには檻を壊せそうな者は――。
辺りの気温が氷点下まで一気に下がり、牢屋に霜がついたと思った刹那、牢屋は砕け散り輝く結晶として美しく空気中を舞っていた。
フユが不敵な笑みを浮かべた。
冷風が吹き荒れ、ゼクスもろとも、〈混沌〉崇拝信者たちの足が凍りつき地面に固定された。
四季魔導は?魔導?に非ず。人々が?魔導?と名付けただけのこと。四季魔導の原理は魔導士の使う?魔導?とは根本的に違うのだ。
動けなくなっているゼクスにサファイアが詰め寄り、胸倉を掴んで威圧した。
「キサマ、よくも俺たち――!?」
驚いた顔をしたサファイアはゼクスから手を放し後ろに大きく跳び退いた。
「おまえたち逃げろ!」
サファイアの叫び声が木霊するが、叫びなどは不要であった。ここにいた者たちは?それ?を見たのだから。
ゼクスの身体が突然膨れ上がったかと思うと、ぶよぶよと肉が腫れ上がり身体の中で?何か?が蠢いているようであった。
人間がおぞましい姿に変わっていくのを見て、ローゼンは目を離したかったが、瞬きひとつすることもできずに全てを見てしまった。あまりの恐怖に目を離すこともできなかったのだ。
ぶよぶよとした肉塊はやがて収縮していき、やがては人間の頭くらいの?黒い塊?になった。それはまさしく〈混沌〉だったのだ。
一瞬この場にいる者は息を飲み込んだ。だが、次の瞬間には驚くべき現象が起きた。
〈混沌〉からいくつもの長く黒い触手が伸び、〈混沌〉崇拝信者たちを自らの身体に吸収していったのだ。
触手に捕まれた信者たちは声をあげることもなく〈混沌〉に喰われていった。それだけではない、信者たちは我先にと自ら混沌の中に飛び込んでいった。
辺りは混乱に包まれた。次々と信者たちが〈混沌〉に飛び込み、〈混沌〉は膨れ上がっていく。
メルイルの額から冷たい汗が流れた。
「……狂っていますわ」
ここから早く逃げ出すべきなのはわかっているが動けない。それはメルイルだけではなかった。
〈混沌〉は全ての信者たちを呑み込み、全長五メティート(約六メートル)の大きさまでになった。しかし、その姿はアメーバのように不確定な形をしており、本当の大きさはわからなかった。
幾本もの触手が伸び襲いかかって来た。
キースもメルリルも自分の力を過信していない。こんなにも大きな〈混沌〉を封じ込めることは不可能だ。
「逃げるぞ!」
キースは動けずにいたローゼンの手を引き扉に走った。それに続いてメルリルが走り出し扉に向けて魔導を放ち、扉を吹き飛ばした
扉を抜けたキースたちだが〈混沌〉は後ろから波のように追いかけて来る。このままでは逃げ切れないかもしれない。
ローゼンはキースの手を振り解き、〈混沌〉に立ち向かった。彼女も自分の力で〈混沌〉を封じ込めることができるなんて思ってもいない。少しでも〈混沌〉の動きを鈍らせることができたら……。
ローゼンは自分の前に手を突き出し、巨大な魔導壁を作り出した。
触手がローゼンに伸びる。それを見たキースは泣き叫んだ。
「ローゼン!」
触手は一瞬、魔導壁によって止まったが、それもほんの僅かのことだった。触手はローゼンの身体に巻きつこうとした。
目をつぶりローゼンが〈混沌〉に吸収されることを想像した瞬間、彼女の身体は大きく押し飛ばされた。
ローゼンが目を開けたその目の前では、フユが〈混沌〉の触手によって捕られていた。フユがローゼンの身体を押し飛ばしたのだ。
「――逃げて」
フユはそれだけを言うと混沌に呑まれてしまった。
キースはローゼンの手を再び引き、強引に出口まで走った。その後ろからは〈混沌〉が勢いを増して追いかけて来る。
ローゼンは後ろを何度も振り返ったしまった。フユが〈混沌〉に吸収されたのは自分のせいだ。
〈混沌〉の身体が一瞬止まった。そして、幾本もの鋭い氷の刃が〈混沌〉の中から突き出た。しかし、それもすぐに〈混沌〉の中に押し戻されてしまった。
氷の刃を見たローゼンは、それがフユのしたことだとすぐにわかった。だが、あれが最期の抵抗であったこともわかった。
ローゼンの目から大量の涙が流れ出た。自分が〈混沌〉に吸収されればよかったのに。一番役に立たない自分が〈混沌〉に吸収されればよかったのに。
ついに出口の外まで逃げ出した。
メルリルはすでに洞窟の入り口からだいぶ離れたところで息を上げているキースとローゼンもそこに行き、〈混沌〉ようすを伺った。
洞窟の入り口から〈混沌〉が出て来られない、これは明らかに可笑しい。だが、不信感より安心感の方が大きかった。
キースとメルリルは乾いた土の上に座り込んだ。
ローゼンは洞窟の先を見つめ、涙が止まらないでいた。
「どうしてフユさんが……わたくしが〈混沌〉に吸収されればよかったのに……」
キースはこういう時に何を言っていいのかわからなかった。だが、メルリルは突然立ち上がりローゼンの頬を大きく引っ叩いた。
作品名:ローゼン・サーガ 作家名:秋月あきら(秋月瑛)