ローゼン・サーガ
先ほどまで威勢のよかったメルイルは一歩後退った。じじいとは口では言っているが、ヴァギュイザールから発せられる力に少し押されていたのだ。
〈紅獅子の君〉と呼ばれる精霊をしっかりと見据えたキースは相手の申し出を臆することなく受けた。自らのプライドを保つためには一歩も退くわけにはいかなかった。
「申し出を受けましょう。しかし、私は何をすればよいのでしょうか?」
《その問いに答える前に、メルリル殿の返事も聞かねばならない》
「わ、わたくしを試せるものなら、お試しになられたら?」
《では、案内しよう》
今まで身動き一つしなかったヴァギュイザールの目が大きく見開かれた。
酷い眩暈に襲われたキースとメルイルは床に膝と手をつき、そのまま意識を失った。そして、一瞬にして意識を取り戻した二人がいた場所は先ほどの大広間とは全く異なる空間であった。
《ここは幻実空間という場所だ。ここでお主たちの魔動力を試す》
無限に広がる空間には、地面があるのみで他のものは一切なかった。
《さあ、かかって参れ!》
ヴァギュイールの姿が若く雄々しい荘厳な男の姿へと変化した。紅い髪を持ち、勇ましく二本の剣を構えるその姿はまさに〈紅獅子の君〉の名に相応しい姿だった。
真の姿を見せたヴァギュイールを前に、二人の魔導士は身体を動かすことができなかった。
《来ぬのなら、わしから行くぞ!》
疾風の如く地面を駆けるヴァギュイールは舞いながら二本の剣を華麗に使い、二人の魔導士を同時に切り裂こうとした。
キースは瞬時に魔導力で壁を構築し防御したが、メルリルは腕を軽く切られた。切られた腕からは少し血が滲んでいる。
「この傷本物ですわ!?」
《その傷はこの空間では本物でも、現実に残して来た身体は一切傷ついていない》
メルリルはほっと胸を撫で下ろしたが、ヴァギュイールは言葉を続けた。
《だが、ここで受けた痛みは本物。程度を越せば本当に死ぬこともあるだろう》
「そんなの冗談じゃないですわよ!」
《ならばわしを殺す気でかかって参れ!》
再び剣を振りかぶるヴァギュイールの腹にメルリルは炎の玉を打ち込んでやった。と思いきや、なんとヴァギュイールは剣で炎を切り裂いた。
《わしの二対の魔剣は全てを切り裂く……むっ?》
ヴァギュイールの背後からはキースの放った風の刃が襲いかかって来ていた。しかし、それをも魔剣は軽々と切り裂き、ヴァギュイールはキースの放ったような風の刃を、剣を横に素早く振ることによって作り出し、二人の魔導士に向かって放った。
二人の魔導士は魔導壁を構築して風の刃を防ぐのではなく、それよりも強力な魔導力を放出した。
火炎と風がうまく混ざり合い、ヴァギュイールの身体を激しく包み込んだ。
渦巻く火柱の中心から爆風が巻き起こる。ヴァギュイールが大きく二対の剣を振るったのだ。
炎は掻き消され、その中から〈紅獅子の君〉が疾走して来て、まずはメルリルに狙いを定めた。
向かって来るヴァギュイールにメルリルは魔導を放つが、紙一重でヴァギュイールは高く飛翔し、メルリルの後ろに回ると彼女の背中を下から上へと切り裂き、すぐに次の行動に移った。
キースは向かって来るヴァギュイールに魔導を何発も撃ち放つが、ことごとく二対の剣で切り裂かれる。
自分の眼前まで差し迫るヴァギュイールにキースが右手を向けて魔導を放とうとした、その時だった。
「うあぁっ!」
キースの左腕が切り落とされ地面に転がった。
《勝負あったな》
「まだだ!」
キースは残った右手に命を落とすかもしれないほどの魔導力を集め、その手をヴァギュイールの腹に押し付けて魔導を放った。
丸くしたヴァギュイールの腹には大きな風穴が大きな口を空けていた。だが、血は一滴も零れ落ちない。精霊は人間と身体の構造が違い、血を持っていないのだ。
《老いたとはいえ、このような深手を負わされるとは……》
「これはお返しですわ!」
魔導力で構築した光り輝く剣で、メルリルはヴァギュイールの肩から腰までを真っ二つに切り裂いた。
滑り落ちるようにヴァギュイールの上半身は地面に落ち、彼は嬉しそうな声で笑い声をあげた。
《ははははっ、うむ。見事だ二人の魔導士よ。二人の偉大なる魔導士にわしの命を託そうではないか!》
世界は暗闇に包まれ、キースとメルリルはもとの大広間に戻って来た。
二人の魔導士の受けた傷は、ヴァギュイールの言ったように全く残っていなかった。しかし、まだ、身体には少し痛みが残っているような気がする。
キースは身体を起こしてゆっくりと立ち上がったのだが、先ほどの戦闘で力を使い果たしてしまったために昏倒してしまった。
すぐさまシビウがキース抱きかかえる。
「おい、キース! いったい何があったんだい?」
シビウにはキースに何が起きたのか全く理解できなかった。何故ならば、キースが一度目に倒れてからすぐに立ち上がり、また倒れてしまったのだから。つまり、キースたちがあの空間にいた時間は現実の世界では一秒も経っていないということだ。
《キースの供の者よ、彼をローゼンの自宅まで連れて行ってくれ。メルリルは里で少し休みをとり、すぐにでもサファイアと共に旅立って欲しい。そして、ローゼンはここに残るのだ」
「わたくし……ですか?」
まさかひとり自分がここに残されるなんて思ってみなかった。どんな話があるのだろうと少し緊張する。
ヴァギュイールとローゼンを残し、他のものは皆部屋を退室して行った。
「わたくしにどのようなご用件があるのでしょうか?」
《この里に住む精霊たち――いや、全世界に住む精霊たちは取り乱すことまではないが、あの〈夢〉が消えたことに大きな衝撃を受けている。今では精霊たちは人間の見るような夢しか見られなくなってしまった昔はそうだったのだ――精霊は人間の見るような夢しか見ていなかった。〈姫〉が眠りについた時、全精霊の夢は〈姫〉の見る〈夢〉に直結されるようになったのだ》
「何故そのような話をわたくしになさるのですか?」
《あの〈夢〉が崩壊する時、何人もの精霊があの〈夢〉の中にいた。全員夢が崩壊した時に強制的に目覚めさせられてしまったのだが、わしもそのひとりだ。つまり、わしもあの時に〈夢〉の世界にいたということだ。わしの言いたいことがわかるか?》
「いいえ、長様は何をおっしゃりたいのですか?」
ヴァギュイールは随分と回りくどい言い方をしているように思える。それは彼自身もあの時に見たことに確信を持てないからだ。
《わしはお主があるお方と話しているのを遠くから見た。あのお方のお顔を知っている精霊は今ではわしを含めて三人しかいない。長い年月の間、見ることのなかったあのお方のお顔――あの顔は、お主が話をしていたお方は誰だ? わしはあのお方を知っている、だが確信が持てぬのだ。わしはあの〈夢〉にあの方にお会いできるのではないかと何度も行った、しかし、一度もお会いすることができなかった。何故だ、何故お主があのお方と話をしていたのだ、何を話していたのだ!》
この里の精霊には今まで見せたことのないほどに、老いたヴァジュイールは取り乱し、激しい剣幕に押されてローゼンは怯えを感じた。
作品名:ローゼン・サーガ 作家名:秋月あきら(秋月瑛)