遼州戦記 保安隊日乗 7
カウラの言葉に複雑な表情の要。車はそのまま路地へと進む。東都から西に60kmの郊外の都市豊川。その下町を静かにスポーツカーは動き始めた。
平日である。住宅街の人影はまばらで時折老人会の集まりでもあるのか同じバッグを持ったお年寄りがすれ違っていく。
「何かイベントでもあるのかしら? 」
「アタシに聞くなよ。市役所なりなんなりに聞けばいいだろ? 」
アイシャは普段は見ないお年寄りの姿に珍しそうに目を向けている。誠はただ苦笑いを浮かべながら早く目的地に着くことだけを祈りながら小さくなってじっとしていた。
「しかしシャムが知らねえとは驚いたよな……」
「シャムちゃんが吉田少佐の家を知らなかったの? まあたぶんいつも吉田少佐の方が迎えに行くんでしょうね。意外と吉田さんは紳士だし」
「紳士? あれのどこが紳士なんだ? 紳士は玄関じゃなく常に壁を昇って進入するのか? あれはただの空き巣の出来損ないだ」
さすがの吉田も要のかかればただの空き巣に身をやつすことになる。苦笑いを浮かべる誠だが、すぐに大通りにでる交差点に車がたどり着いたので周りを見回した。
いつも通り大通りには車の通りが激しい。営業車、トラック、バン、営業車、自家用車、バン。次々と通り抜ける車を見ながら誠はただ窮屈に座り続けていた。
「誠ちゃんそんなに向こうに行かなくても……ほら」
調子に乗ったアイシャが密着してきた。すぐに助手席の要が殺気を込めた視線で睨み付けてくる。
「何よ、怖い目」
「別になんでもねえよ」
要の捨て台詞にあわせるように車はそのまま大通りを郊外へ向かうことになった。
「そう言えば吉田さんの家ってどこなんです?」
誠は当たり前の質問を当たり前の顔でした。不意に振り向く要。明らかに不機嫌そうなそのタレ目にただ誠は冷や汗を流した。
「北上川町」
要の言葉から東都郊外屈指の豪邸ばかりが並ぶ街の名前が出て来たので誠はただあんぐりと口を開けた。
「ああ、吉田少佐らしいわね。傭兵時代にかなり溜め込んだんでしょ。それにあの人はうちでも一番の高給取りらしいから……さすがというかなんというか」
別に驚くに値しないというように流れていく景色を見ながらアイシャがつぶやく。確かに考えてみれば当然のことかもしれなかった。下手な宇宙艇よりよっぽど高価な軍用義体を自前で用意する吉田の蓄えが半端なものと考える方がどうかしている。
それに吉田の交際範囲には傭兵時代に場つなぎにしていた音楽関係のプロデュースの仕事のつながりもあることは誠も耳にしていた。最近はとんとそちらでの仕事はしていないと聞いているが、それにしても一度当たれば大きいのが芸能業界である。それなりに長く活動をしてきたらしいのだから印税やその他の定期収入もあるのだろうかなどと誠の考えが次々と巡った。
「北上川町近辺なら……要ちゃんの顔でなんとか情報を得られるんじゃないの?何しろ胡州帝国宰相のご令嬢ですもの。私達下々のものとは住む世界がちがいますから……うん」
自分で言った言葉に自分で納得するアイシャ。要はといえば聞き飽きたというように車窓を眺めたままだった。
「あのなあ、アイシャ。アタシはほとんど親父の仕事関係の人脈とはノータッチだ。確かにたまに領邦コロニー経営の関係で人に会うこともあるがほとんどは役人ばかりだぜ。経営者クラスはアタシに頭を下げても金にならないのは分かってるだろうからな。そんな暇があったら直接摂州コロニーの統治組合にでも顔を出すんだろ」
曇ったガラスに文字を書いては消しながらすげない言葉で返す要。確かに要の言うとおり狭い下士官寮に彼女が移ってからも彼女の統治する領邦コロニーの関係者がやってきたことは一度もない。第三小隊の小隊長の嵯峨楓少佐が所有する泉州領邦コロニー群と比べれば少ないとはいえ1億近い人口の徴税権をを握っている要。こういうときには彼女が遠い存在に感じられて誠はただ静かに黙り込んだ。
「このまま高速に乗るからな。暴れるなよ」
主に要を牽制するように一言言うとカウラはギアをトップに入れてそのまま道をできたばかりのバイパスへと車を進める。
「なあに、この車も菱川のフラッグカーだぜ。多少暴れてもそう簡単にコントロールを失ったりしねえだろ? 」
「めんどうなんだ。止めてくれ」
要の茶々に苦笑いでカウラが答える。車はそのまま目の前の大型トレーラーに続いて高速道路の側道を走る。
「あれ……前の車が積んでるのは菱川の機材かしら? 」
「さあな。アタシの知った事じゃねえよ。ついたら起こしてくれ。寝るから」
それだけ言うと要はそのままシートを倒してきた。誠は狭い車内がさらに狭くなり思わず顔を顰める。
「要ちゃんにはかなわないわね」
明らかに人ごとだというようにそれだけ言うとアイシャもまた誠の足下に長い足を伸ばしてきた。
「勘弁してくださいよ……」
バックミラーの中で苦笑しているカウラにそれだけ言うのが誠のできる唯一の抵抗だった。
殺戮機械が思い出に浸るとき 4
カウラのスポーツカーは地元の豊川では目立つ車だが、北上川の高級住宅街の中ではどちらかと言うと地味な存在に変わる。
「……着いたのか?」
誠はようやく目覚めた要が不機嫌そうな顔で振り向くのを見ながら苦笑いを浮かべた。
高速では要とアイシャはすっかり熟睡していてまるで話を切り出すこともできなかった。運転するカウラが時折バックミラー越しに何かを語りかけようとするのは分かっていたが、アイシャが狸寝入りでないという保証は無い。二人ともただ何も言わずに風景が次第に都会的になっていくのを眺めているだけ。ただ無駄な時間を過ごしたというようにつまらなそうにカウラはハンドルを操作している。
「なんだよ……ったく気取った街だな」
寝ぼけた頭を左右に振りながら眺めている要の一言。その一言がきっかけだったように突然ぱちりとアイシャが目を開いた。
「アイシャさん起きたんですか?」
誠の言葉にアイシャが目覚めたことを知った要がめんどくさそうな表情で振り返る。アイシャはそのままむっくりと起き上がると大きくため息をついた。
「ここどこ?」
「北上川だ。もうすぐ目的地だろ?」
カウラの言葉にアイシャはようやく気がついたというように目を見開いた。
「まあな、このままこの通りをまっすぐ行くと白壁の屋敷にぶち当たるからそこを右だ」
淡々とそう言うと要は口をつぐむ。その行為が少し意識的なものに感じられたようでアイシャがにやにや笑みを浮かべながら自分のジャンバーのポケットから携帯端末を取り出す。
「北上川……現在位置。中央白壁通り……突き当たるのは『摂州公東和別邸』。つまり要ちゃんの家の別荘?」
予想通りの質問が来た。そんな感じで苦笑いを浮かべる要。誠も重箱の隅を突くようなアイシャの態度にはさすがに要に同情したくなってきていた。
「悪かったな。うちのオヤジは外交官上がりだからな。それに東和は胡州とは因縁のある土地だ。時にはここに居を構えて交渉に集中する必要があるわけだ。その為の連絡事務所みたいなもんだな」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 7 作家名:橋本 直