遼州戦記 保安隊日乗 7
「それなら大使館に一室設ければ良いじゃないの……っていうかさすが胡州貴族四大公家筆頭は考えることが違うわね」
「別にアタシが考えたわけじゃねえよ。昔からそうなってるって話なだけだ」
相変わらずふくれっ面の要を見ながら誠はただ呆然と周りの高級住宅街を眺めていた。下町育ちの誠には本当に無縁に見える門構えが並んでいる。家の屋根が見えるのは希で、ほとんどが大きな塀しか道路からは見えない。その道路も豊川の建て売り住宅なら二軒分はあるような広さの歩道を持っていてさらに中央のこれも広すぎる路側帯にケヤキの巨木が寒空に梢を揺らしていた。
「本当にお金って言うのはあるところにはあるのね」
感心しながら周りを眺めるアイシャ。誠も通り過ぎる車が高級車ばかりなのに圧倒されながら目をちかちかさせつつ見物を続ける。
「あれで良いんだな? 」
カウラの声で誠は正面を見た。目の前には本当に誠達の部隊の防壁よりもさらに高い白壁とその上には銀色に光る瓦屋根を載せた塀が延々と続いているのが見えた。
「本当に……お金持ちはいるものね……」
冷やかすのも忘れたアイシャがあんぐりと口を開けたまま左右に長々と続く要の実家の別邸の壁を眺めていた。
右折して続く真っ直ぐな道。左手には延々と要の実家の所有物の屋敷の白壁が続いているのが見える。
「本当に……お金貸してよ」
「なんでその話が出てくるんだ?」
要は苦笑いを浮かべるしかない。確かにこのただでさえ豪邸の並ぶ街にこのような巨大な施設を所持できること自体かなりの驚きでしかない。誠もただ呆然するしかなかった。
そして数分の驚愕の後、ようやく視界の果てに白壁が終わりを告げるのを見て要以外の一同はほっとため息をつくしかなかった。
道は相変わらず豊川のとってつけた移動手段以外の意味を持たないそれとはまるで違うものだった。豪邸達がその存在を通るものに見せつけるために存在する花道。そんなもののように見えてきた。
「でも駅から遠いみたいだけど……ああ、みんな車を持ってるから平気なのね」
自分を納得させるようにアイシャがつぶやく。要はうんざりしたというように視界を車窓に飛ばす。
「次は警察署の角を右で……二番目の信号を左か」
カウラも要の立場を再認識したように瞬きをしながら意味もなく道順を口の中でもごもごとつぶやく。
両側の豪邸が途切れてしゃれた雰囲気の商店が両脇に並び始める。アイシャは明らかに珍しそうにその店を眺めている。誠もまたこのような上品な店とは無縁だったことを思い出させられる。そう言えば大学時代にはこの近辺の出身の同級生とはどうも話が合わずに気まずい雰囲気の中で酒を飲んだことを思い出す。特に芸術家気取りが多い工学部の建築学科の連中とはそりが合わなかったのを思い出した。
「そこだよ」
「分かってる」
要の言葉にカウラは不機嫌そうに交差点を右折する。すれ違う車は相変わらず高級車ばかり。そのまま同じようにしゃれた感じの先ほどよりは少し閑静な感じの並木道をカウラの車は進み、そのまま二番目の信号を左に入る。先ほどまでのとてつもない金持ち達の領分から抜け出たような少しランクの下がったような街並みにアイシャと誠は大きくため息をついた。
「ああいうところは私は駄目だわ。息が詰まるというか……洒落が効かないような感じがして」
「そうだろうな。テメエの貧乏面には似合わねえや」
鼻で笑う要を睨み付けるアイシャだが、先ほどの要の別邸の巨大さを思い知っているので反論もできずにただ黙り込んで左右の明らかに特別注文されたと分かるそれなりに立派な家々に目をやってまたため息をついた。
誠もアイシャと同感だった。豊川付近の大手の住宅会社の量産型建て売り住宅とはまるで違う趣のある家々。それぞれに設計事務所の技師が丹精込めてデザインに工夫を凝らし尽くしたのが分かるような家々を見て、ただただため息をつくだけだった。
「もうすぐだな」
「こんな家が並んでるなら間違えようが無いわね。本当にお金のあるところにはあるものね」
アイシャはまた同じような台詞を口にしてため息をつく。ともかく公務員であるカウラ、アイシャ、誠にはとても住めるような世界でないことだけは車が進む度に思い知らされることになった。
「本当にお金持ちの街なのね」
感心したようにアイシャがつぶやいたとき車は急に路肩のコンクリートに右タイヤを乗り上げた。
「着いたぞ」
要の言葉に誠はまだぴんと来ずにただ呆然と周りを見渡した。目の前の打ちっ放しのコンクリートの表面を晒した奇妙な家屋が目を引く。立方体をいくつも組み合わせたようなその姿。ある部分は出っ張り、ある部分は引っ込み。明らかにバランスが悪そうに目の前の空間を占拠している。
「もしかしてあの家ですか? 」
「らしいだろ?吉田の旦那らしいや」
助手席の扉を開けながらにんまりと笑って要は下りていった。アイシャが助手席を倒してそのまま這い出る。誠もまた狭い車内から解放されようと急いで道に飛び出した。
閑静な住宅街。大通りからは遠く離れていて車の音もほとんどしなかった。
「じゃあ行くぞ」
要の言葉に誠達は目の前の奇妙な建物の玄関に向けて歩き出した。その建物の奇妙さに比べると玄関はそれなりに先進的な作りだがセキュリティーのしっかりした上流階級の家庭ならどこでも見かけるような普通のたたずまいをしていた。
「留守だったらどうする? 」
冷静なカウラの突っ込みにチャイムを押そうとした要が少し躊躇いがちに振り向いた。
「こういうところだと聞き込みするだけ無駄だよな……お互い関心なんてまるでもっちゃいねえんだ。プライバシーの尊重? そりゃあ建前で実際は後ろ暗いことがあるからなんだけどな。そうでなきゃ人の上に立ってこんな家まで建てるような身分にはなれないのが世の中という奴の仕組みだ」
「よく分かってるわね。さすがザ・上流階級」
冷やかすアイシャを無視したが他に何ができるというわけでもない。とりあえず要はチャイムを押した。
しばらく周りの家々を見回す。ある家は瓦に凝り、ある家は塀の漆喰を南欧風に仕上げたりなどそれぞれ大通りに面した豪邸とはまた違うこだわりを見せつけてくるのが誠にはどうにもなじむことができない。
「留守か? 」
「だと思ったわよ……あの人が連絡をしてこないのに家にいると思うわけ? じゃあこのまま東山町でも出てアニメショップでも寄っていきましょうよ」
アイシャがそう言ったときカウラが静かに門扉を開けた。打ちっ放しの家に似て飾り気のない鉄板で出来たそれはあっさりと開いた。
「鍵は掛かっていないか」
開いた扉を見ると要はそのまま遠慮もせずに敷地に立ち入っていく。アイシャもカウラもそれが当然というようにその後に続く。
「良いんですか? 」
「良いも何も……開いてるんだから入るのが普通だろ? 」
振り返ってにやりと笑う要。誠はただ呆れながらそのまま家の門までたどり着いて中をうかがっているカウラの方に目をやった。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 7 作家名:橋本 直