遼州戦記 保安隊日乗 7
苦々しげなカーンに艦は笑みでも浮かべているように言葉を続ける。
『どうだっていいね。それにしても顔色が冴えないように見えるが……死ぬ敵が億を超えると流石に気が引けるかね』
「それは私のセリフだ」
カーンはつぶやいた。そして自分の言葉が恐怖を帯びたように震えていることに自分で気づいて口に持ってきた手で強くあご髭を引っ張ってみせた。
『だが、あんたは所詮人でしかない。数億人が死ねば多少の感傷に浸るのも当然だな』
「まるで自分の方生身の人間より優れているとでもいうような言い草だな」
皮肉な言葉に艦はよどみなく言葉を続けた。
『事実だから仕方がない。俺には死が存在しない。人間の言う病気の苦しみも持たない。また存在が消えてなくなることの恐怖もない』
「そうか?それならなぜ君等が言う管理者やサーバーの攻撃から逃げ回る必要があったんだ?消えるのは同じことじゃないか」
カーンの珍しく素直な質問にようやく饒舌を止めた艦。ただし、それに続く言葉にはより残酷な表情が似合うものだった。
『奴等はイレギュラーだ。多面的な視線と情報を手にするにはインターフェースは多い方がいい。だから俺は毎年のように新たな義体をその筋で確保して稼働させたんだ。多数の俺が同時多発的に観察し、活動し、そして破壊する。最強のシステムだとは思わないかね』
「おかげで東和は200年に渡る平穏を得ることができたというわけだ」
『そう、ゲルパルトや胡州の無謀な対地球戦争にも巻き込まれずに済んだんだ……まあ感謝はしてもらいたいものだね、東和の連中には。そのシステムにエラーが出た。だから修正する。それだけの話だ。あんたにもあるだろ?あるべきものがあるべき形をとらなかったことくらい。例えば前の戦争での東和の中立とか』
艦の言葉に明らかに心象を害したようにカーンは顔を歪めた。痛いところを突かれたというように独白を始める。
「あの戦争では東和は我々に味方するべきだった」
ゲルパルトの政府の中枢にあってその戦争の正義と勝利を信じていた時代がカーンの頭をよぎる。そして次の瞬間モニターの向こう側のプログラムに本音を吐いている自分を想像して虚を突かれたような表情を浮かべた後黙り込んだ。
『負ける戦争をするのは大馬鹿者だよ。東和が付けば勝った?単純な楽観論に過ぎないね。地球のアメリカを中心とする陣営の国力とゲルパルト、胡州の両国の国力には差がありすぎる。地球のアフリカと中央アジアまで侵攻できただけで十分じゃないの……まあ過ぎた戦争の話をするのは建設的とは言えないがね。まああんたも俺も同類ってことさ』
ブリッジの計器が動き始める。カーンは静かにその様を見守っている。低い警告音が断続的にブリッジに響いた。
「動き出したのか、嵯峨は」
『なあに、動き出すのは奴の部隊だけだ。嵯峨本人は今回は政治的な動きを取るだろうからな。現場を仕切るのはクバルカ・ラン中佐』
「遼南共和軍の残党か……東和でアサルト・モジュールの教導隊の隊長をしていたはずだが?」
『あなたも知っているとは彼女も高名なパイロットというところですかね。相手には不足はない』
「くれぐれも無理はしてくれるなよ」
狂気がブリッジに広がっているように各モニターに緑色の位置データの映像が映し出されるのを見てカーンは苦々しげに念を押すと通信を切った。
『ちょうどいい……目覚めにはちょうどいい……フフフッ……』
何もいないブリッジに機械的笑みが広がっていた。カーンが映っていたモニターに小さく保安隊運用艦『高尾』の姿が映し出されていた。
殺戮機械が思い出に浸るとき 32
大都会の縁というべき東都郊外の洋風建築の母屋。周りを腰に拳銃をぶら下げた警官が並んでいるところからして、ここ東都西園寺邸に主、西園寺基義が在宅であることを示していた。
空を見上げていた警備の警官達がコートの襟に手をやった後で苦笑いを浮かべている。
「この天気……雨かね、これは」
西園寺義基は静かにそう言うと自分の執務机の脇に置かれたパイプに手を伸ばした。
「西モスレムは遼北内での直接的反政府勢力支援を停止する。遼北は政治犯26名の身柄を西モスレムに引き渡す。国境線に関しては特別チームを編成し然るべき措置を行う。まあ落としどころとしちゃあいい落としどころだ」
西園寺義基の執務机の前の応接用のソファーに身を投げる態度のでかい嵯峨惟基の姿に嫌な顔一つするわけでもなかった。嵯峨の皮肉を一瞥した後に苦笑いを浮かべながら静かにパイプにタバコを詰めていく。
「人の苦労も知らないで……いや、お前さんのことだ。知ってて言ってるだろ」
「やっぱわかります?」
苦笑いを浮かべながら嵯峨はタバコの箱をポケットから取り出すと鈍い光を放つジッポライターで火を灯した。西園寺はその様子を確認しながらパイプの上から舐めるようなガスライターの火でタバコに火を灯す。
「そう言えば兄貴。タバコはやめたんじゃ……」
「紙巻きたばこはやめたんだ。パイプは別腹だ」
「よく言うねえ、まあ俺が言える話じゃないけれど」
苦笑いを浮かべながら嵯峨がつぶやく。西園寺はその様子を満足げに眺めるとパイプを道具を使って火種を作り、再び着火して大きく煙をふかした。
「それもこれも空に浮かんでいる大砲のおかげとは……突然の遼北、西モスレムの方針転換。察しのいい連中は何かあったのかと勘ぐるでしょうから……空の大砲あれをマスコミにリークするタイミング……間違えるとえらいことになりますよ」
パイプをくゆらせる西園寺に嵯峨の視線が刺さる。西園寺は静かにもう一服したあと、再びパイプ用の道具で火種を潰して火力の調整をした。
「お前さんに言われなくてもわかっているよ。と言っても胡州にとっては他国の軍事上の秘密のおはなしだからな。タイミングの助言は出来るが、いつ発表するかは東和政府の胸一つだ」
「東和政府じゃなくて菱川のお大尽のでしょ?」
「一応、東和は民主国家だ。確かに財界の影響力が強すぎるのは事実だがな。ちょうど胡州の領邦領主の権威が強すぎるのと一緒だ」
嵯峨の茶々に苦笑いを浮かべながら再び西園寺は大きくタバコの煙を吹き上げた。
「それより新三郎。摂州軍を動かしたのは……康子は自分からこういう場面で動くわけじゃない……泣きついたな」
かつて西園寺家の三男として過ごしていた嵯峨の通り名を呼ぶ西園寺に嵯峨は吸い終えたタバコをガラスの灰皿に押し付けて潰して静かに深呼吸をした。
「一応、保険ですよ。ゲルパルトの残党が動き出すことに対してのね」
嵯峨はそう言って再びタバコを取り出す。そのまま火を点け、パイプを咥えた兄の顔を眺めた。
「まあ心配していたからな、康子は。東和宇宙軍は表立っては言っちゃいないが内部にゲルパルトに同情的な勢力が存在する。俺としても下手に胡州の正規軍を動かして薮を突いて蛇を出す真似はできないしな」
「そう言うこと。頼りになるのは結局は身内だけってわけですよ」
それだけ言うと嵯峨は静かにタバコを吹かした。近くに雷が落ちたような轟音が響く。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 7 作家名:橋本 直