遼州戦記 保安隊日乗 7
「まあ……相場という奴がね。それにだ。お前さんは俺が『預言者』の話を持ち出すことに疑問を感じていないようだが……水漏れの準備もまるで無しか? 機密が聞いて呆れるよ」
嵯峨の言葉は明らかに要を嘲笑していた。強気の要が完全に打ちのめされたというように俯いて両手を握りしめている。カウラもアイシャも相手が嵯峨、胡州陸軍では諜報活動の先端を担う東和大使館付き武官を出発点として、外地におけるゲリラ摘発の特殊部隊の部隊長を勤めたその道のプロであることを思い知らされた。
「ただ……相手も一流の情報屋だ。俺も何度か依頼をしたが……突っぱねられた口でね。そう考えると、よくまあつなぎを付けたもんだと感心させられないこともないな」
「そ……そうかねえ……」
俯いたままの要。その表情を誠がのぞき見ると少しだけ口元が緩んでいるように見えた。
「二つ名が付くような裏の世界の人間は仕事を選ぶからな。金、主義、顧客の人柄。しかもどいつもこいつも海千山千の怪物ばかりだ。その基準は人に分かるもんじゃ無い。そんな一流どころが俺を嫌って要を選んだ……なかなかおもしろい話だな」
嵯峨の口から吐かれたタバコの煙。元々遠慮と言うことはしない嵯峨らしくせっかくきれいになった隊長室の天井がすぐにヤニで染まることになるだろうと言うことはすぐに想像が付いた。
「しかし……なぜ西園寺を選んだんですか? 隊長を袖にしたと言いますから……」
カウラの真っ当な質問にアイシャも頷いて嵯峨の答えを待つ。嵯峨はただひたすら天井を見上げてじっとしている。
「お前さん達。依頼者……『預言者ネネ』についてはどれだけ知ってるよ」
突然の嵯峨の言葉は鋭く残酷に響いた。カウラもアイシャもそこで自分達が依頼した相手についてただ要のチョイスだけに任せていた事実に気がついた。
「東都戦争の時にはすでに伝説だったな……抗争の最中、旧共和軍系のシンジケートとイスラム系のシンジケートの銃撃戦の中を一人の少女が買い物かごを持って歩いて渡った。その少女が近づくと両者は銃撃を止め、彼女が通り過ぎればまた激しい銃弾が飛び交う……誰もが彼女に手を触れることは出来ない。それをした組織は東都じゃ飯が食えなくなる」
「要……それは伝説ができあがってから後の『預言者』の立場だ。何でネネと呼ばれるどう見ても栄養失調のメス餓鬼が億単位の東和から綾南に向けての援助物資の横領品の争奪戦をしている最中でもそれを気にせずに行動できる身分に成り上がったか……それの説明が無ければ回答としては0点だ」
嵯峨の言葉は全く持ってその通りだった。カウラとアイシャは要の俯いた姿に目を向ける。要は再び目を落としたまま動くことも出来ずに黙り込んでいた。
「そう言う叔父貴は……知ってるのか? 」
振り絞るような要の一言。誠達は息を飲んで嵯峨に目をやる。嵯峨は相変わらず天井にタバコの煙を噴き上げていた。
「噂はねえ……どれも信憑性が乏しいからねえ。まあ確実に言えるのは……次の手を読むのが上手いってことは確認できるな」
「次の手? 」
要がゆっくりと顔を上げる。うちひしがれていた姪が少しばかり元気が出たのがうれしいのか、にんまり笑いながら嵯峨は言葉を続けた。
「横流し品、横領品、密輸品。どれもモノが動き出した時点じゃ情報を売り買いして飯を食っている二流の連中でもその様子は熟知しているもんだ。動き出す直前、そこですでにその品物の輸送ルートのパターンを想定して対立勢力や関心のある連中に情報を売りつける。まあそれも一流とは言えないねえ……本当の一流はすでにその時点でどこがその品物に関心を持っているか、官憲などはどこまでその動きを把握しているか、そしてその品物の行方によって状況はどう変わるのか。そこまで分析できて初めて一流だ。だがそれでも伝説の情報屋にはほど遠い」
「もったい付けるなよ」
すでに嵯峨の話に身を乗り出している要の変わり身に呆れながらも誠は嵯峨の言葉の続きを待つ。
「ネネってのはそんな情報屋。一流どころが手にするだろう情報の内容を当ててみせるんだ。つまり情報屋の情報を売りつけるってわけだ……情報屋も頭がネットとつながっているサイボーグばかりじゃ無いのはお前さん達も知ってるだろ? そんな人様のおつむの中身をぴたりと当ててみせる。まあ伝説にもなるわな」
そこまで言うと嵯峨は満足したように咥えていたタバコを真新しい灰皿でもみ消す。
「そんな芸当……占いの類か何かじゃないですか」
誠の当然の疑問に嵯峨は満足そうな笑みを浮かべる。
「それが出来るから『預言者』の二つ名で呼ばれるんだよ。鈍い連中には予兆も感じない人の流れや物資の動き。時には時代さえもぴたりと当てる。確かにこいつは『預言者』と呼ぶしか無いよな」
「時空間干渉能力……法術師ですね」
しばらく黙って嵯峨の話を聞きながら自分の顎に手を当てて考え込んでいたカウラの一言。嵯峨は曖昧な笑みを浮かべる。
「時間……俺達の次元の把握能力じゃただ流れていくとしか思えないもんだ。それをまるで俺達がサイコロを見て裏の目を当てるように自然に分かる力のある奴がいる……気分のいい話じゃ無いがヨハンに聞いたらあってもおかしくはない能力なんだそうな」
嵯峨の言葉に部屋に沈黙が拡がった。未来を読む能力を持つ予知能力者。その存在はある意味これまでの法術に対する誠達の考え方を根底から揺るがすことになる。
「でも……それならお仕事を受けた時点で吉田少佐が何者かってことくらい教えてくれても良いんじゃないの? 」
それとなくアイシャが呟いた言葉に誠も大きく頷く。
「そりゃあ『預言』だけで飯が食える世界にネネが生きているならな。だが……それを言ったとしてオメエ等がネネの言葉を信じるか? 」
嵯峨のふざけたような口調に誠はむくれながら隣の要の顔をのぞき見た。
「確かに……そう言う能力があるって話は知ってたさ……」
苦し紛れのように呟く要。アイシャはその言葉にあざけるように肩を揺らして笑いをこらえている。
「でも……あれだろ? 先の可能性……いくつかある時間の分岐点の一部が見えるってだけって話じゃねえか」
「あのなあ、それでも十分だよ。言ったろ?ネネってのは特別勘が良いんだって。可能性が見えるってことはそれだけ未来が絞られるってことだ。しかもその持ち前の勘で見える未来の中から可能性の薄いモノを消していけば後は答えが分かっている推理小説の犯人を当てるような話だ」
「それはそれは本当に便利。私も欲しい能力だわ」
アイシャの徒労に付き合わされた嫌みから出た一言。だがそれも嵯峨には鼻で笑う戯言だというように面倒くさそうに再びタバコに火を付けながら言葉を続けるきっかけでしかなかった。
「本当にそうか? 見たくもないものまで見えるんだぜ……俺はご免だね。それにお前さんみたいに先を見たがっている連中はごまんといる。其奴等が大挙して喋りたくもない未来を喋れと迫ってくるんだ……悪夢そのものじゃないのか? 」
嵯峨にそこまで言われるといつもの鼻っ柱の強いアイシャも自然と伏せ目がちになる。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 7 作家名:橋本 直