遼州戦記 保安隊日乗 7
女性はそれだけ言うと満足げに吉田の座っているモニターの並ぶ部屋を後にした。部屋の自動ドアを出ると白い詰め襟の制服を着た兵士が敬礼をして彼女を迎える。
「お方様……吉田様の首尾は? 」
「上々と言いたいところだけど……あとは要ちゃん次第ね。それより相馬君達の準備は出来たのかしら? 」
相変わらずの余裕の表情。それに詰め襟の士官はにんまりと笑って頷く。
「すべては予定通りです……しかし、康子様。あのインパルス砲台。今すぐ破壊してしまった方が手っ取り早いのでは無いのですか? 」
士官の言葉を聞くと康子は静かに帯に指していた扇子を取り出して軽く自分の顔を扇いだ。
「それが出来るのでしたらとっくの昔にやっておりますわ。あれは簡単に壊せる代物ではない……確かに私は壊してみせる自信がありますが……私が手を出すとうちの人がいろいろ面倒を負うことになるでしょ? 」
「まあ胡州のファーストレディーが東和の国有物を破壊したとなれば……元々東和は胡州に遺恨がありますから」
「そう言うわけ。あくまであれの破壊は遼州同盟司法局によってなされなければならない。しかも出来ればその破壊が行われたことすら外に漏れない方が後々の為になる……本当に難しいお話ですわね」
まるで茶飲み話でもするようににっこりと笑う。士官はその西園寺康子と言う人物の底知れなさに怯えながらただ敬礼をして彼女がハンガーに向けて去るのを待つのが精一杯だった。
殺戮機械が思い出に浸るとき 26
「おお! これぞ我が職場の有様ぞ! 」
「要ちゃん……嘘っぽいのも大概にして」
保安隊の駐車場に降り立ち、大きく伸びをする要にアイシャが突っ込みを入れる様を誠はただ苦笑いで見つめていた。実際一週間は長かった。たしかにその間の給料が出ないことは痛いと言えば痛い。誠もいくつか予約を入れていたプラモデルのキャンセルをしなければならなかったほどだった。
だが、それ以上に雰囲気がまるで変わっていた。
「まるで廃工場だな」
運転席から降りたカウラの言葉で誠は自分の違和感の正体を見極めた。
ともかく人の気配がしなかった。
いつもならアサルト・モジュールの部品を運ぶための大型クレーンのうなりが響いてくるハンガーが沈黙で満たされている。
「まあ、良いじゃねえか。行くぞ! 」
すっかり上機嫌の要はそのままいつものようにハンガーに向かった。いつもなら目にするランニングや銃器の訓練のためにライフルを背負った警備部の面々の姿もそこには無かった。ただ誠達の背中を見つめるだけの最低限の歩哨の視線だけがある。
「本当に……演習前って感じね。静かなこと」
「いつもこうなんですか? 」
「貴様は初めてじゃないだろ? 」
カウラに言われて配属直後の『近藤事件』前後の出来事を思い出してみた。あの時も同じようにアステロイドベルトでの演習を前にしての沈黙があったような気がする。だが今となっては誠にとってはあの出来事も遠い昔の出来事のように感じられた。
「いやあ、普段を知らなかったもので……」
「まあそんなものよ……人間忘れて大きくなるのよ」
アイシャがそのままハンガーの半分開いた扉を通りすぎるのを見て誠も後に続いた。
がらんとした空虚な空間がそこにはあった。奥に見えるいつもは誠達の05式に隠れるようにひっそり存在している漆黒の嵯峨の愛機の『カネミツ』の姿が見える。
「きれいなもんだねえ……すべては新港に搬送済みか! 」
要の言葉が人気のないハンガーに響いた。
「分かり切ってること今更言っても……それにしてもクバルカ中佐の『ホーン・オブ・ルージュ』は演習参加機体に入ってなかったけど? 」
「ああ、あれはオーバーホールに入るそうだ。元々手がかかる機体だからな。シャムの『クローム・ナイト』と整備時期がかぶるとまずいだろ? 」
「へえ……そうなんだ……」
カウラの言葉にアイシャが意味ありげに呟いた。
「空に浮かんでいるのがネットで出ている地殻すらぶち抜く大砲でも……頼りになるのはシャムだけか……」
あきらめを孕んだカウラの声に要がぴくりと眉を動かした。
「おいおい、それはいくら何でも神前の野郎に失礼じゃないのか? 」
「そんな失礼だなんて……」
愛想笑いを浮かべながら呟いた誠を要が鋭い視線で睨み付けた。
「事実だろ? 確かにあの砲の威力も干渉空間を展開すればおそらくは耐えきれる」
「なら問題ねえじゃねえか」
あっさり答えた要にカウラはひたすら大きなため息をついた。
「要ちゃん……いくら防いでも壊せなきゃなんにもならないじゃないの。それとも出来るの? 誠ちゃんに砲台の破壊。あんな一発大砲を撃ってそれで終わりなんて言う甘っちょろい代物だったら……東和宇宙軍も護衛の艦隊ぐらい配置しておくはずよ。スタンドアローンで敵中突破が可能な防御性能くらいはあると考えるのが普通じゃないかしら? 」
アイシャの言葉に思い当たることがあるというように要の表情が変わる。
「ほら……誠ちゃんじゃ対応は無理。おそらく07式を駆るランちゃんは部隊の指揮で手一杯……攻撃に当てられてしかも成果が期待できるとなるとシャムちゃんのクローム・ナイト以外は想像が付かないんだけど……」
「まあな……でもあいつも遼南内戦で知られた猛者だ」
苦し紛れの要の言葉に再びカウラが大きくため息をつく。
「こちらの手札は一枚。相手は……もし東和宇宙軍があれの確保を優先するとなれば艦隊規模でこっちへ向かってくるわよ……勝ち目はゼロね。まあそうなれば遼州同盟崩壊の主犯になるからそれは無いとしても……東和宇宙軍と噂の絶えないゲルパルトのいくつかの公然武装組織。あるいは大統領の超法規的判断で動いたアメリカ海兵隊。これはあまり考えにくいけど、個人的なつきあいの関係で遼南宰相のアンリ・ブルゴーニュ氏のつながりでフランス海軍や海兵隊が動くって可能性も……」
「ぐちゃぐちゃうるせえな! ともかくシャムが潰せば良いんだよ! 」
「ああ、そのシャムなら今日は有給だよ」
ハンガーの奥から叫び声が聞こえた。そこにはタバコを咥えた嵯峨の姿がある。
「お前ら……想像力を働かせるのは大変結構な話なんだけど……やることやってからにしてくれよ。とりあえず着替え。それと終わったら隊長室に来て謹慎開けの報告。それが終わったランの奴に反省文を今日中に提出。お願いね」
それだけ言うと嵯峨は悠然とハンガーの階段を上って隊長室のある二階に消えていった。
「とりあえず着替えか……」
カウラのその言葉を合図に誠達は嵯峨が立っていたハンガーから二階の執務室や更衣室のあるフロアーへ向かう階段へと急いだ。
階段を上る間も物音も気配もなかった。
「技術の連中は新港か……」
「運行部はどうなんだ? 」
要の言葉にアイシャは曖昧に頷く。
「まあうちはシミュレータがあるしねえ……それに新港には機関部のスケベ連中がいるから近づかないわよ」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 7 作家名:橋本 直