遼州戦記 保安隊日乗 7
オンドラの珍しく本心から感心しているような言葉遣いにネネも少しばかり気をよくして微笑んだ。
「あなたの商売道具は手に持っている銃だとすれば、私の場合はこれです」
静かにネネは自分の頭を指さした。振り向いたオンドラは分かりましたというように大きく頷く。
「伝説の情報屋……馬鹿には確かに勤まらない仕事だ」
オンドラはそう言うとゴーグルを外して銃の銃身の下にぶら下げたライトで行く手を照らした。
行き止まりには銀色の扉が見えた。
「もう偽装の必要も無いってわけか……どんな人物が待ち受けているのか……」
「予想はいくらでも出来ますが、今はするだけ無駄でしょう。顔を合わせて話せば分かりますよ」
ネネはそう言うと躊躇うように立ち止まっているオンドラを追い抜いてドアの前に立った。ドアはゆっくりと音も立てずに開く。オンドラはさすがにネネの行動が無謀だと感じてその前に飛び出して銃口を部屋の中に向けた。
薄暗い明かりが二人を包んだ。そしてその明かりがだんだんと強くなっていくので二人は思わず眼を細めていた。闇に慣れた目が何とか光を捉えることが出来るようになった時、二人は部屋の中央に棺桶のようなものがあるコンピュータルームと言うのがその部屋の正体だと知った。
「なんともまあ……」
オンドラは銃口を棺桶に向けたまま部屋を見回した。壁面を埋め尽くすモニター画面。中空にもフォログラムモニターが展開しており、そこにはオンドラも何度か見たことがある様々なテレビ番組や映画、ネットの検索画面やゲームのプレイ画面が映し出されていた。
「監視者気取りのドラキュラさんの顔は……」
苦笑いを浮かべながら棺桶に顔を突き出そうとした瞬間、棺桶の蓋が勢いよくはじき飛んだ。オンドラも場数は踏んだ手練れ、蓋をかわして飛び退くとそのまま銃口を蓋の中から現われた半裸の人物に向けた。
「なんだ! テメエは! 」
オンドラの叫び。ネネはただ黙ってにらみ合う二人をじっと眺めていた。
「なんだテメエは……? そう言うテメエはなんだ? 」
男の目が笑っている。その様が不気味に見えて思わずオンドラは顔をゆがめて身を引いた。男の顔かたちは彼女が調べた保安隊の第一小隊二番機担当者吉田俊平のものだったが、そのやせぎすの義体は軍用とはとても思えないものだったし、爛々と光る目はどう見てもまともな人間のそれではなかった。
「そうですね……侵入者は私達の方ですから」
「ほう……」
ネネの言葉にすぐに吉田は関心をネネへと向けていた。棺桶からジャンプして飛び出し、跳ね回りながらネネの周りを回る。
「オメエ……アングラ劇団の劇団員か? 」
「失礼なことを言う! 」
思わず出たオンドラの本音にこれもまた大げさに反応するとそのままじりじりと顔を銃を手にしているオンドラに近づけた。もし彼女が素人ならば恐怖のあまり引き金を引いているところだが、吉田は相手がそれなりに場数を踏んだ猛者だと読んでかうれしそうな表情を浮かべてじりじり顔を近づける。
「来るんじゃねえよ! 気持ち悪い! 」
「それを言うならこちらの方だ! せっかく良い気分で眠っていれば突然の侵入! 君ならこんなときにご機嫌でいられるかね? 」
オンドラとは話が合わないと悟ってか、吉田は話をネネに振ってきた。
「でも入り口のあの文字。あれを書いたのがあなたなら私達を歓迎してくれても良いと思いますよ」
ネネの言葉に矛盾はなかった。しばらく吉田は天井を見上げて一考した後、手を打って満面の笑みを浮かべた。
「そうか! あの謎かけを解いたのか! 」
「そうじゃなきゃここにいねえだろ? 」
オンドラのつぶやきを無視して吉田はネネの手を取った。
「学究の徒、遠方より来たるか! これはまた楽しいことだな! 酒宴でも催したいところだが……見ての通り酒ものもろくにない有様でね」
「お前さんと酒宴だ?まっぴらだね」
またも呟くオンドラ。吉田は敵意の視線をオンドラに向けた後、すぐに満面の笑みに戻ってネネの手を取る。
「この星に眠る謎。どれもまた興味深いものばかりだ! それを尋ねてもう何年経つか……成果を横取りしようとする馬鹿者達の相手も疲れたところだからね」
「成果を横取り? あなたはこの部屋で研究成果をハッキングしているだけなんじゃありませんか? 」
うんざりしたように呟いたネネの言葉。だがネネには吉田の敵意が向かうことはない。満面の笑みを崩すことなく何度となく頷き笑い声を静かに漏らす。
「確かに……個々の研究成果はどれも私ではなくそれぞれの実地の研究者の地道な活動の賜(たまもの)であることは認めるよ……でもそれを統合し一つの成果として世に送り出す天才が必要だ。そうは思わないかね? 」
「自分を天才呼ばわりか……終わってるな」
再び殺気を帯びた敵意の表情がオンドラに向けられる。ネネはその様子があまりに滑稽なので吹き出しそうになりながら吉田の次の言葉を待った。
「終わっているか……それはいい! 」
そう叫んだ半裸の吉田。その狂気の表情にネネは目を背けた。目を見開き、ただ口を半分開けて笑みと呼ばれる表情を浮かべるそれ。
「その面! 見ててむかつくんだよ! 」
オンドラの言葉にただひたすら笑いだけで返す吉田。
「だから何だって言うんだ? まあいいや、君達は運が良い。俺は今大変に機嫌が良いんだ」
「そうは見えませんけど……」
それとないネネのつぶやきにも吉田の笑みは止まることを知らない。
「まあいい。君達は俺のことを捜していた……」
「さもなきゃこんなところに来るかよ」
「そうだな……だが機嫌が良い俺に会えるのはそう無い機会だぞ」
吉田はそう言うと一つの端末に取り付いた。狂ったようにそのキーボードを叩き続けた結果ついに全面の画面が切り替わる。
すべてはアルファベットの羅列に埋め尽くされた。それがドイツ語のものだとネネはすぐに気づいた。
「ゲルパルトの仕事でも請け負っているんですか? 」
ネネの言葉に吉田は狂気を孕んだ笑みで頷く。
「大きく時代は動く……時代を動かす機会とは無縁だと思っていたが……世の中そう捨てたもんでもないらしい」
「お前の場合すでに捨ててるみたいなもんだけどなあ」
オンドラのつぶやきを無視して吉田の笑みは続く。
「君達も見ただろ? 海峡を越えていく避難民の乗る輸送船の群れを」
「もうすぐ無駄だったとわかるんじゃないですか?彼らも」
非難めいた響きを湛えたネネの言葉に吉田は耳を貸す様子もない。
「いや、彼等は正しいんだよ……まもなくそれは証明される……外惑星の連中……悪意を湛えていい顔をしていた……実にいい顔だった」
「悪意を湛えたいい顔? そんなものがあるなら見てみたいね」
「君は今俺を通して見ているじゃないか! 」
「なら見たくもないな」
オンドラの言葉に話すに足りないと言うように吉田は目をネネに向ける。ネネは無表情に吉田を見つめた。
「悪意を湛えたいい顔……悪意はどこまで行っても悪意ですからそんなものはないですよ」
吐き捨てるように呟かれたネネの言葉に吉田は大げさに肩を落とした。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 7 作家名:橋本 直