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遼州戦記 保安隊日乗 7

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「ネネ、アタシの頭より上には手を出さないでくれよ……不可視レーザーが走ってる。右の壁のセンサーへの光線の供給が途絶えたら何が起きてもアタシのせいじゃねえからな」 
「それほど物好きじゃありません」 
 ネネはかがみながらオンドラの後に続く。またオンドラが歩みを止めた。今度は跨ぐようにして何かを乗り越えている様子が後ろのネネからも見えた。
「古典的だね……ピアノ線。まあ確実と言えば確実だが」 
「トラップが好きみたいですね、吉田って人は」 
「まあ傭兵なんて言う職業柄だろ? 東都の租界にもそう言う奴は何人かいるぞ。なんなら紹介しようか? 」 
「そう言う悪趣味な友達は欲しくありません」 
 オンドラの冗談に真顔で答えるネネ。その様子に振り返って笑みで答えるとオンドラは再び真剣な表情に戻って洞窟を奥へと進んだ。
 さすがに普通のトラップはネタ切れという感じでオンドラは止まることなく五十メートルほど洞窟を奥へと進んだ。左右が急に開けて天井が高くなる。
「どう見る……雇用主様」 
「壁面を見る限り風化や落盤で出来た空間じゃありませんね。重機で削り取った跡を整えてそれっぽくしたって言うところじゃないですか? 」 
「ご名答だね。で、あの文字をどう見る? 」 
 オンドラが指さす天井。ネネはすぐにコートから小型のライトを取り出して照らしてみた。文字のようなものが浮かんでいるのが見える。ネネはすぐにそれが本来このような場所にある文字ではないことを悟った。
「オンドラさん。よく文字だと分かりましたね。あれは遼州文字……この星に人が住み始めた時代に使われていた文字です」 
「遼州文字……遼州文明は文字を持たないってのが特徴じゃ無かったのか? 」 
 どこかで聞きかじったという感じで呟くオンドラ。ネネは微笑みながらただ文字を見上げていた。
「確かに現在の記録……つまり地球人がこの星にやってきた時には当時の七王朝は文字を持たない文明でした。彼等の間に伝わっていた伝承の中にはかつて人を不幸にする要素として鉄と並んで文字が上げられています。遼州の先住民、すなわち私達の祖先は意識して文字を捨てて青銅器文明に回帰したんです」 
「ずいぶんと物好きな話だねえ……便利さを捨てて原始に戻るって遼州の前の文明の指導者にはアーミッシュでもいたのかねえ? 」 
 感心したのか馬鹿にしているのか、口笛を吹くオンドラを見てただ慈悲に満ちた笑みを浮かべた跡、再びネネは文字を見上げた。
「『この文字を読める者にのみ、この先の扉は開かれる』って暗号でも記しているんでしょうか? 」 
「おいネネ! 読めるのか? 」 
「先遼州文明の資料は何度か目にしたことがあるので大体は……」 
「さすがインテリ! 」 
「褒めているようには聞こえませんよ……『行く手に現われた道は偽りの道。汝、それを通る無かれ。ただ道は心の中にあり、汝、その道を進むべし』」 
 そこまでネネが読んだときにオンドラは呆れたようにため息をついた。
「心の中の道? なんだよそれ……あれか? 東和軍とかが使っている意識下部プリンティングセキュリティーシステムでもあるって言うのか? 」 
「こう言う謎かけをする人はそんなハイテクを使う趣味は無いと思いますよ……とりあえず続きを読みますね。『心の中は常に乱れるものなり、汝の乱れが我への道なり』……以上です」 
「は? 」 
 オンドラはただ呆然と文字を読み終えて振り返ったネネに答えるだけだった。
「『乱れ』が重要なんですよ」
 ネネの確信のある言葉にただオンドラは首をひねるばかりだった。
「乱れねえ……あれか? いきなりスカートをこうして……」
 ネネのスカートに手を伸ばそうとしたオンドラの頭を思い切りよくネネははたいた。
「それで道が開かれるなら別にこの文字を読む必要は無いんじゃないですか? 偶然で大体の片が付く」 
「違えねえ」 
 オンドラはそう言うとそのまま先頭に立ってホールのようになった道を引き続き歩き続けた。すぐにそれは行き止まり、小さな穴が開いた壁に突き当たった。
「ここか……」 
 ただ静かにオンドラは壁に手を擦りつける。よく見ればそこには裂け目があった。
「この穴はマイクですね。そうなると」
 ネネは迷うことなく継ぎ目にナイフを突き立てようとするオンドラを押しのけた。
「『ネルアギアス!』」 
 一言、はっきりとそう言ったネネ。オンドラはしばらく呆然と何が起きたか分からないようにネネを眺めていた。
 すぐに結果は現われた。微動だにしないと思われた継ぎ目がぎりぎりと拡がり、人が一人通れる程度の隙間が生まれた。
「おいネネ……何をした? 」 
「何をって……見ていませんでしたか? 」 
「見てたけどさあ。何なんだよ!マイクに向けて意味のわからないことを叫んでさあ」 
 ただ疑問ばかりが頭に押し寄せて混乱しているように見えるオンドラに静かにネネは笑いかけた。
「そうですね。これは遼州文字と古代遼州語の知識がないと分からないことですから。まず、この文字を書いた人……まあ十中八九この奥で私達を待っている吉田俊平なんですが……彼が要求していた知識はまず遼州文字が読めることでした」 
「まあな。そう書いてあった」 
 ネネの窘める口調に少しばかり苛立ちながらオンドラが吐き捨てるようにそう言った。その様子に満足げに頷くと続いてネネは先ほどの文字の辺りを振り返った。
「古代遼州語で『乱れ』とは何か? そして『心』に関係する言葉は何か? それを知っている人ならば答えは一つ、『ネルアギアス』という単語になります」 
「だからその『ネルアなんとか』がなんで『乱れ』で『心』と関係するんだよ! 」 
 明らかに不機嫌に呟くオンドラ。ネネは静かに言葉を続けた。
「遼州の民……一説には五十万年前にこの星にたどり着いたと言う話ですが……彼等はこの地にたどり着くと同時に文明を捨てて青銅器の世界に回帰しました。彼等は人の心のある力が自分達を滅ぼしかねないと思ってその力を放棄することを誓ったんです。その為、後の現在でも遼南の山岳地帯の少数民族などが使っている現遼州語ではその力を指す言葉……『ネルアギアス』が『乱れ』という意味で使われています」 
「言語学のお勉強か? アタシはご免だね! 」 
「尋ねてきたのはオンドラさんですよね。それに私はあなたの雇用主です。今後のことも考えて最後まで聞いていただきますよ。『ネルアギアス』とは古代遼州語では『技術』と言う意味なんです。彼等は技術が人を滅ぼすと経験し、この星で原始に戻った……まあそうなった理由までは私も分かりませんが」 
 それだけ言うとネネは不機嫌そうに腕組みをしているオンドラを置いて洞窟を奥へと歩き始めた。
 開いた道はこれまでの洞窟の自然を装った姿は無かった。明らかに重機で削った爪痕が克明に残っているのがわかる。
「しかしあれだねえ……さすがというか何というか……」 
 銃をかざしながら先を進むオンドラが感心した視線を振り返る度にネネに向けた。
「何がですか? 」 
「古代遼州語? そして現在の遼州の言葉の地図。全部頭に入っているわけか? すげえ話じゃねえか」