遼州戦記 保安隊日乗 7
オンドラの軽口が続く。ネネはただ静かにそれを聞き流しながらまるで来たことがある道とでも言うように迷うことなく真っ直ぐ続く海沿いの小道から笹藪に覆われた獣道に足を踏み入れる。
木々は凍り付き、微かに吹く風に遙か高い梢が揺れているのが目に入ってくる。
「ここは本当に東和かねえ……人が入った気配がまるでねえや」
「山の向こう側に行けば空港も街もありますよ。まあ軍との共同運営ですから札付きのオンドラさんは近づけもしないでしょうけど」
ネネはそれだけ言うとそのまま獣道を進む。足下を遮る笹の葉は凍り付き、ネネのブーツに当たる度に金属のような音を発してくだけて落ちる。オンドラは傾斜が急になるに従って肩からずり落ちそうになる大きなバッグを気にしながら珍しく黙ってネネに続いた。
道は緩やかな左右への蛇行を繰り返しながら続いた。しばらく行くと道の左脇に沢の流れのようなものが見えた。沢の中央はちょろちょろと凍結を免れた僅かな水が積もった雪に遮られて勢いを殺されながらも静かに流れ続けていた。
「熊とか……いるんじゃないかねえ……」
「いるかも知れませんよ」
立ち止まりオンドラを振り返りにやりと笑うとまたネネは前を向いて歩き出す。オンドラは思わずバッグに手を伸ばすがすぐに思い直して黙ってネネの後に続いた。
急に道は終わりを告げた。正面には崖が壁のように立ちはだかっている。森も途切れ、そこから先は完全に岩と氷ばかりの世界であることが黒いつやのある崖の石が語っていた。
「もうすぐですね」
ネネはそう言うとそのまま迷うことなく岩の一つに手を伸ばした。確実に手を置く場所を押さえて小さな体を片腕で持ち上げる。足もまた的確に今にも滑りそうに見える岩と岩の隙間に置かれるとネネは次の動作へと移って切り立った崖を登り続けた。
「やっぱりあんたは登山の才能があるよ」
「褒める暇があったら付いてきてください」
さすがに振り返って振り向く余裕はネネには無いようでそれだけ言うとそのまま崖を登る動作を繰り返す。オンドラは一瞬躊躇した後、ネネが手をかけた岩と足をかけた石の隙間を確認しながら慎重に崖を登りはじめた。
しばらくネネの動作を思い出しながら自分が崖を登るのが精一杯だったオンドラが上を見上げたとき、すでにネネは二十メートルほど上の頂上に這い上がろうとしているところだった。
「これじゃあアタシがお客さんだねえ」
ただ苦笑しながらオンドラは必死になって崖を登り続ける。軍用と銘打っていた義体を闇で手に入れたオンドラ。地球製と闇屋は説明していたが出所なんて掴みようがない闇物資に生産地名など記録されているはずもなかった。半年に一度、その闇屋とつながりのある民生用義体メーカーのエンジニアのチェックをしてはいるが、彼等の扱う民生用の義体とオンドラの軍用義体とでは構成される部品の精度からしてまるで違うものでそのチェックが意味のあるものだったのかとオンドラは急激に体内の人工筋肉内に蓄積されていく疲労物質を関知するシグナルを頭の中で受け止めながら苦虫をかみつぶすように表情を変えた。
「ふう……」
なんとか重い体を崖から引き上げたオンドラを涼しい顔でネネは待ち構えていた。
「これからはあなたのお仕事……」
「ちょっと待ってくれよ」
「なんですか? 」
表情一つ変えずに本心から不思議そうにオンドラを見つめるネネ。
「もしかして疲れているんですか? 一応あなたは……」
「言いたくはねえがこの体のスペックじゃこれまでの行程は無理があったってことだ。やはり専門の技師のチェックが必要な程度の代物らしい」
「それならより気合いを入れてこれからの仕事にかからなくてはなりませんね。今回の仕事が成功すればおそらくは西園寺のお嬢さんは定期的に私達に仕事を回してくれるでしょう……しかも破格の条件で」
「確かに……」
反論をする元気もオンドラには無かった。体内プラントが正常に機能していることを確認しながらオンドラは出来る限り体を動かさないように背負っていた重いバッグを地面に置いた。そして静かに目の前にぽっかりと口を広げた洞窟に目をやる。
「まるで……ファンタジーの世界のダンジョンの入り口みたいな雰囲気じゃねえか? 」
「それなら時代は中世ヨーロッパの世界観で作られているでしょうが……」
ネネはオンドラの軽口を聞き流しながらそのまま洞窟の脇の雪の中に手を入れた、オンドラは気になっていたがネネは手袋はしていない。それでも平気で雪の中から笹の枝を取り出すとそのままむしる。
「こうして……焼け焦げた跡がある……おそらく爆風によるもの」
オンドラはパイプ状の鉄をバッグから取り出しながらネネの手にある笹の端が炭化している様を確認した。
「トラップか……だろうね。そうなるとアタシを連れてきた理由がよく分かる……それにしてもネネ。あんたは凄いよ。登山用具を置いて行った理由がよく分かったわ」
「褒めているんですか? 」
「いや、呆れてるんだよ」
それだけ言うとオンドラはパイプ、アサルトライフルの銃身を機関部に組み込む作業を止めてそのままバッグの奥から箱状のケースを取り出して地面に置いた。
「何を……」
「まあ見てなって。アタシも初めて使うんだけど……」
オンドラが取り出したのはスキー用のゴーグルのように見えた。それを顔に取り付けた後、そこから伸びるコードを自分の後頭部にあるジャックに差し込む。
「爆発があったってことは空間のゆがみが物理的に発生したってことだ。焼け焦げた跡があると言うことはそれほど古い話じゃ無い。しかも近くにはトラップに引っかかった間抜け野郎の姿も無い」
そう言いながらオンドラは洞窟の入り口を眺めた。高さは二人が立って入るには十分。幅から考えれば手榴弾クラスの爆発でも二人を巻き込んで殺傷するには十分だろう。
「おお……見えるねえ。法術師じゃねえのに歪んだ空間を示す色の変化がばっちりだ」
「そんなものが出来ていたんですか? 」
「あれだろ? 地球のお偉いさん達はこの前の近藤って言う胡州の馬鹿野郎のおかげで法術ってものが知られるようになる以前からその存在を知っていた。知ってて隠していた……」
オンドラはゴーグルを付けたまま洞窟に入る。周りの岩や地面を何度か確認し、納得しながらゆっくりと進む。ネネはオンドラが置いて行った銃をバッグに無理矢理詰め込むとそれを引きずりながらオンドラに続いた。
「第二弾だ……色が薄いってことはそれなりに昔に引っかかった奴がいるな……場合によっては得物がいるな。ネネ、済まねえ」
背後までバッグを運んできたネネに頭を下げるとオンドラはゴーグルを付けたまま手慣れた手つきで銃を組み立て始めた。銃身を機関部に深くねじ込むとその下にグリップを当ててピンをたたき込んで固定する。そのまま機関部の後ろにも同じようにピンを刺してストックを固定。鉄の塊はすぐに銃へと姿を変えた。
「手慣れたものですね」
「これが食い扶持だからね」
そう言うとオンドラはそのまま銃を構えながら中腰の姿勢を取る。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 7 作家名:橋本 直