遼州戦記 保安隊日乗 7
「知らないんだな! じゃあアイツが休んで済む理由は知って……」
要に任せたららちがあかない。そう悟ったアイシャが要を突き飛ばす。いつもなら反撃で突き飛ばし返す要も自分の話の持って行き方が間違っていたことに気づいたようで頭を掻きながら菰田にしなだれかかるアイシャを眺めていた。
「吉田さんの雇用関係の契約書……ここで保管しているじゃなくて? 」
突然の甘えるようなアイシャの言葉。だがアイシャの本質をよく知っている菰田はただ助けを求めるように視線を誠に飛ばすだけだった。
「どうして返事をしてくれないのかしら?」
「クラウゼ少佐。守秘義務って言葉。知ってます?」
薄ら笑いを浮かべて拒否の姿勢を示してみせるのが最後の抵抗だった。菰田はアイシャににらまれたままじっと黙り込んでいる。
「おい、アイシャ。それはまずいだろ。重要書類の管理はおそらく菰田じゃなくて高梨参事の担当だぞ」
「西園寺さんの言うとおりですよ! 俺じゃあ何もできません!」
暴走するアイシャをさすがの要も止めに入る。明らかに出せないのは知っていたがただいじめたかったと言うだけの理由で菰田を絞り上げていたのは誠が見てもよく分かった。
「まあ良いわ。それにしても……吉田さん、本当にどこにいるのかしら?」
「ここで相談されても困りますよ。とりあえず自宅とか……あの人なら音楽関係の知り合いが多いからどこかのスタジオに缶詰になってるとか……いろいろ考えられるでしょ?」
菰田の捨て鉢な意見。アイシャは手を打って菰田の肩をぽんと叩いた。
「そうね。とりあえず自宅を明日訪問。それから後のことはそれから考えましょう」
アイシャはそれだけ言うと唖然とする誠達を置いて平然と管理部の部室を出て行った。
「何がしたかったんだ? アイツは」
「私に聞くな」
要とカウラはただ呆然と立ち尽くしている。誠は我に返るとすべての苦痛を誠を恨むことで解消しようとしている菰田の顔があった。
「いやあ……とりあえず昼休みも終わりだし。明日にしましょうよ」
そう言うと誠はそのまま立ち去ろうとした。だが要のその肩を押さえつける。
「せっかくここに来たんだ。高梨参事に一応確かめるくらいの事はしてもいいんじゃねえのか?」
「そうだな。駄目なのは当たり前でも聞くだけ聞くのは無駄じゃないだろう」
誠はただ絶望に包まれた。そして恐怖を紛らわすべく室内を見回す。
昼休みと言うことで付けられている端末のテレビ画面。そこには次から次へと兵器の映像が映し出されていた。このところ見慣れた光景に思わず誠の顔も歪んだ。
「また遼北と西モスレムが揉めてるんですか?」
何気ない誠の言葉。冷ややかにカウラが頷く。
「遼北領イスラム教徒居住区問題は複雑だからな。先週、西モスレムのテロ組織の過激派が越境攻撃を仕掛けたらしい。遼北は西モスレム政府の関与を疑い、西モスレムはそれを否定した上で遼北内部でのイスラム教徒の不当弾圧を同盟会議にかけるといきり立ってる」
「あそこは一回ぶつかった方がいいんだよ。多少痛み分けすれば仲も良くなるじゃねえのか?」
相変わらずの要の不穏当な発言に誠はただため息をつくばかりだった。
「そういうわけにも行かないだろ。同盟の有力加盟国だからなどちらも。それに確か……設立準備中の同盟軍事部隊が国境線沿いに展開しているはずだぞ」
「え? シン大尉の部隊ですか?」
誠が思い出した。元管理部部長の寡黙なイスラム教徒。アブドゥール・シャー・シン大尉。沈着冷静な保安隊の良心と呼ばれた人物。当然その名を聞けば元の部下である菰田もひねくれた性根を訂正して振り向いて画面を見なければならなくなった。
「あの人……確かパイロキネシスとですよね」
パイロキネシスと。この遼州の先住民族『リャオ』の一部が持つ法術と呼ばれる能力の一つにある発火能力。愛煙家のシンはライターの類を持ち歩かず、常にそれで火を付ける癖があった。そしてその力は彼のテリトリーに入った敵をすべて消し炭にすることができるという恐るべきもの。半年前、法術の存在が公にされてからは彼の力は同盟以外でも知られることになった。
「そりゃあ……大丈夫かね? あの人西モスレムの軍籍があるから……遼北が黙ってないだろ?」
要の言葉にカウラはとぼけたように首を振るとそのまま部屋を出て行った。
「無視しやがって……」
「でもシン大尉は実直な人ですから。任務とあれば母国であっても容赦はしないようなところがありそうですよ?」
「おい、神前。それは確かめたのか? 遼北はたぶん疑心暗鬼に陥るぞ。まずいな……」
それだけ言うと要もまた部屋を出て行く。誠は一人画面に目をやった。
飛び回る西モスレム空軍のフランス製の航空アサルト・モジュール「ルミネール」が大地に突っ立っている同盟軍事機構の05式を威圧している様が映っている。
「あれだな。西園寺さんがこの場にいたら何機か撃ち落としてるんじゃないか? 」
「確かに……」
菰田の言葉に同意してすぐに誠はドアの辺りを見回した。とりあえず要の姿は無い。振り向くとそこには同情の視線を送る菰田がいた。
「まあなんだ。とりあえずがんばれや」
なんとも慰めともつかない菰田の言葉に誠はただ苦笑いを浮かべて管理部の部室を出た。
「同盟……どうなるんだろうな? 」
不安は増す。危機は確実に広がってきている。そして保安隊はその目とも言える存在の吉田が行方不明。
「考えても仕方がないか……」
誠は入隊以来そう諦める癖が身についてきている自分が少し情けなく感じられた。
殺戮機械が思い出に浸るとき 3
翌日の朝。誠は気まずい雰囲気の中食事をとっていた。右隣には要、左隣にはアイシャ。どちらも今日は休暇を取ることにしていた。
「自宅に行ってどうにかなるのか? 」
トーストを囓りながら正面のカウラがつぶやく。誠もその言葉にただ苦笑いを浮かべる。考えていみればその通りだった。いつものことながら特に考えらしいものはなかった。
「ともかくそこからだろ?それにアイツの自宅。見たことないしな」
「要ちゃん……単なる個人的な好奇心?それなら休みなんか取るんじゃ無かったわ」
すでに食事を終えたアイシャがゆったりとコーヒーを啜りながら目を誠越しに要に向ける。要は不機嫌そうにスクランブルエッグの皿を手に持つとそのまま口に流し込んだ。
「自宅に行ったとする。不在ならどうする?」
カウラの言葉に誠も大きくうなづいて要を見つめる。要はといえばスクランブルエッグの皿を景気よさげにテーブルに叩きつけるとぬるいコーヒーを一気に口に流し込んだ。
「あれだ、アイツが制作に絡んでたアーティストの所属会社を片っ端から訪ねてだな……」
「要ちゃん。それだといつか通報されるわよ。一応名の通ったアーティストの居場所を訪ねて回るなんて……ストーカー以外の何者でもないじゃない」
愛車の言うように誠もただ呆れるしかなかった。ただこうなった要はガス抜きでもいいからすこしばかりいうことを聞いてやる程度はしなければならなかった。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 7 作家名:橋本 直