遼州戦記 保安隊日乗 7
そう言うと嵯峨は慣れた手つきでタバコを取り出し素早く安いライターで火を付ける。隊長室に漂っている煙の中にさらに濃い煙が流れ込んで渦を巻く様を呆然と眺める。
『ああ、それと……ご配慮いただきありがとうございました』
これまでの自信に満ちた鋭いシンの目つきが穏やかなものに変わるのを横目で見ながら嵯峨はにやりと笑った。
「何が? 」
『一族の身柄の安全を国王に直訴していただいたそうで……それまではデモ隊が十重二十重に取り巻いて投石だの火炎瓶を投げるだの騒然としていたようなんですが……』
「ああ、あれか? 」
明らかにシンがいつかはその話を持ち出すのを分かっていると言うような表情で嵯峨は付けたばかりのタバコの火をもみ消した。
「俺はそう言うのが許せない質でさ……親類に国家の敵が居るとか言って騒ぎ出す奴……お前は何様なんだよって突っ込みを入れたくなるんだよ。まあ俺の場合は一太刀袈裟懸けにして終わりって言う方法が好きなんだけどね」
『奥様のことですね……』
シンの顔が安堵から同情へと色を変える。その表情を見るのがあまりにつらいというように嵯峨は隊長の椅子を回して画面に背を向けた。
嵯峨の妻エリーゼはゲルパルト貴族シュトルベルグ伯爵家の息女として当時西園寺家の部屋住みの三男坊として陸軍大学の学生をしていた嵯峨の元へと嫁いできた。予科の同窓である赤松忠満や安東貞盛、そして当時は海軍兵学校の学生にして歌人として知られていた斎藤一学と言った悪友達と遊び回る自分がどれほど妻に心配をかけたかは嵯峨は娘の顔を見ると時々思い出されることがあった。
陸軍大学を首席で出た嵯峨だが、本来なら陸軍省の本庁勤めからエリートコースを走るところだったが、彼の義父である西園寺重基の存在が彼の初の配属先を東和共和国大使館付き二等武官と言うドロップアウトしたコースへと導くことになった。
遼南中興の祖ラスバ暗殺を仕掛けるほどの野心家で知られた重基だが、その後の国内情勢がさらなる拡大戦争を欲求し始めた段階で政界を去り、その潮流に乗って民衆を煽り立てる新進政治家達への苦言を呟く日々を綴っていた。しかしコロニー国家として成立し、コロニー建設者である領邦領主に絶大な権限が与えられる胡州において、摂州・泉州二州を領する四大公家筆頭の当主の嫌みは常に公的な側面を持つものだった。
日々、自称憂国の士が懐に短刀を携えて来訪しては警備の警官に逮捕される日々。嵯峨の兄で次期当主として外務官僚をしていた義基も孤立主義に走るゲルパルトと共に反地球同盟を結成した政府を皮肉る父の発言をきっかけとして出勤停止の処分を受けて謹慎の身の上にあった。そんな中、当時は西園寺新三郎と名乗っていた嵯峨は何も知らずに意気揚々と新妻を連れて東都へと旅だった。
東都での彼の任務は東和の胡州・ゲルパルト陣営への引き込みの可能性の調査というものだった。絶対中立主義の東和にそんな可能性が無い事は分かり切っている無駄な仕事。彼は大使館に出勤するのはそこそこに趣味の剣術や書画骨董の蒐集に明け暮れ、エリーゼもまた自由で闊達な東和の雰囲気を楽しんでいた。
やがて双子の娘、茜と楓が生まれ、西園寺家預かりとなっていた絶家となった四大公家の一つ嵯峨家を再興して惟基と名乗り変えた頃、時代は大きく動き始めた。
胡州陣営はさらに嵯峨の仇敵とも言える嵯峨の実父、バスバ帝を説得して遼南を自陣営に加えるとそのまま地球諸国に戦線を布告、第二次遼州大戦が始まる。
嵯峨は東和の中立を変えられなかった責を問われた。元から不可能だったとはいえ、陸軍省本庁の椅子は完全に遠いものとなるには十分な出来事だった。開戦記念とも言える昇進で外務中尉から憲兵大尉に配置換えをされた嵯峨はそのまま自国の治安を維持することもままならない遼南へと転属になった。
エリーゼと娘二人はそのまま東都から民間機で胡州、帝都の四条畷港へと帰路を取った。地球、特に遼州での多くの利権を握るアメリカとの対立を避けようと東和は不要不急の胡州、ゲルパルト、遼南の軍人軍属とその家族の帰国を勧告していたので混雑する中、被官も連れずに三人は雑踏の中の四条畷港のターミナルを徘徊していた。そこに待ち受けていた西園寺重基と姪の要の姿を見て手を振ったエリーゼの隣にあった鉢植えのゴムの木が遠隔操作の爆弾で爆発した。
とっさに娘をかばったエリーゼは全身に爆弾の破片を受け、ほぼ即死という有様だった。重基は片足を失い、要は全身の九割を失って義体の世話になることになった。
自分を狙ったテロで多くを失ったショックで西園寺重基そのまま死の床につくことになった。
そんな軍関係に奉職する人間なら知っている過去を思うとシンはただ苦笑いを浮かべるしかなかった。
「なあに……俺だって遼南の公安憲兵時代はレジスタンスの幹部をあぶり出すのに同じ手を使ったからな……意志が強いと自負している連中はいくら本人を追い詰めても無駄なもんだよ。そういうときは周りから攻める……お前さんの性格は俺は熟知しているつもりだからね」
『恐縮です』
照れ笑いを浮かべるシンに嵯峨はただ乾いた笑みを浮かべていた。
『それじゃあ無駄話もなんですから……それと吉田少佐に世話になったとお伝えください』
「俺も言いたいんだけどさ……今回の首脳説得の段階での民間ネットワークのダウンはタイミングがベストだったからな……と言っても本人が追われる身じゃあ礼も言えないか……まあ会ったら伝えとくよ」
とぼけたような嵯峨の言葉に軽く敬礼するとシンはそのままいつものように唐突に通信を切った。
「さてと……まあ俺も近いうちに公安に出頭するか……あちらが出向いてくるか……」
独り言を言いながらそのまま隊長の椅子に身を投げる嵯峨。上着代わりに羽織っているどてらの中のネクタイを持ち上げる。もうすでに二週間、ねぐらのアパートには帰っていない。
「あと四日か……汚れてるなあ……」
そう言いながら静かにネクタイをどてらの中に滑り込ませると静かに目をつぶった。一瞬目を閉じたがその目が静かに見開かれた。
「いい加減……のぞき見は止めてくれないかな」
人の気配のない隊長室に響く珍しく張りのある嵯峨の声。それに反応するかのように先ほど消えた隊長用の通信端末のモニターに電源が入った。
『のぞき見……確かにそうかも知れませんね』
静かに響く人工的な声。嵯峨はその相手が分かり切っているというようにただにやけたまま画面を見つめていた。
「まあ……仕事はちゃんとしてくれているからさ……ただ俺の迷惑になりそうなことなら事前に言ってくれりゃいいのにねえ。そんなに信用おけないかね」
『信用? あなたが信用に足る人物かどうかはご自分が一番よく分かっているんじゃないですか? 』
「違いねえや……」
力なく笑う嵯峨。通信はつながっているのに画面は映らない端末にデータの着信を告げる音声が響く。
『俺が指名手配中に集めたデータです……お役に立てば……』
「菱川の御大将の正体ともくろみに関するデータと俺達が四日後に出かける演習先に浮いているあの物体に関するデータか? じゃあいらねえなあ」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 7 作家名:橋本 直