遼州戦記 保安隊日乗 7
ムジャンタ・カオラに始まった遼南王朝は廃帝ハドの乱行などの混乱はあったもののその血脈は三百年あまりにわたって延々と続くことになった。有力諸侯や藩鎮達が外戚としてのさばり、傀儡に過ぎない皇帝ばかりが続いたとはいえ、王朝が揺らぐことは彼等にも損害をもたらすことになり、また東和や胡州、遼北、西モスレムなどの近隣諸国も大国の崩壊に伴う難民の流出を恐れて形ばかりの王朝は長々と続くことになった。
そんな王朝に現われた寡婦帝ムジャンタ・ラスバ。兼州侯カグラーヌバが送り込んだ操り人形の二人の子持ちの女帝は諸侯達の思惑を超えて傾いた遼南を再建していった。太祖カオラの作った遼南人の海外コネクションを再生し、細心かつ大胆な外交施策は遼州のお荷物と呼ばれた遼南を確かに一列強に変貌させることになった。
さらに彼女が帝位に就く前に古代遼州文明の研究者であったことが遼南の再建へと導く力となった。鉄器さえも封印した遼州文明がかつては遺伝子工学や素材加工技術、反物質エンジン搭載の戦闘兵器や宇宙戦艦を建造していたことは誠も教科書で習った程度には知っていた。その技術の研究者であるラスバは多くの先遼南文明の再生に取り組み、独自の技術をそこから得て海外に売りつけて王朝の財源として次第に朝廷の力はそれまでぶら下がってきた諸侯達を圧倒し始めていった。
ただしそのような独断的な政策が有力諸侯や軍部、他国に歓迎されるはずもなかった。母に暗愚と烙印を押されて東宮を廃されたムジャンタ・ムスガは次期皇帝と決められた息子のラスコーを追い落とすべく、野心家である近衛軍司令官ガルシア・ゴンザレス大佐と結託。彼等の動向に注視していた胡州宰相西園寺重基は彼等の協力を取り付けて東モスレムのイスラム教徒暴動鎮圧部隊の視察をしていたラスバ爆殺した。静養中の北兼御所にあったラスコーだが、近衛軍が央都を制圧したために静養中の北兼御所を動くことが出来ず、央都のムスガと北兼のラスコーという二人の皇帝が並立する事態へと発展した。
有能に過ぎる皇帝を失った遼南の没落はあっけないものだった。東海の花山院、南都のブルゴーニュなどの有力諸侯は胡州の工作を受けてあっさり央都側に寝返った。頼りの北天軍閥は遼州北部の利権を狙った遼北の侵攻によりあっさりと崩壊。ラスバ崩御から四年後、北兼御所を捨ててカグラーヌバ一族が守る兼南基地に籠城した遼南朝廷軍は央都軍の圧倒的な物量の前に全滅。ただラスコー一人は家臣の必死の抵抗で難を逃れて東和へと亡命を余儀なくされ、これを持って遼南第一王朝は滅亡することになる。
そんな遼南王朝滅亡の際に、シャムは記憶を失って森をさまよっていた彼女を拾った義父ナンバルゲニア・アサドは帝国騎士団に所属していた経歴があったため、彼女の村は央都軍の襲撃を受け、彼女以外は老若男女問わず皆殺しにされたと言う話を誠も耳にしていた。
そんな悲しすぎる過去。それでもシャムは笑顔を絶やすことなくいつも隊でグレゴリウスと一緒に元気に走り回っていた。忘れるのが人間の才能の一つならその才を遺憾なく生かしている人物。誠はシャムのことをそう思っていた。
しかし、目の前のシャムはそんな悲劇よりも何か大きな忘れ物を捜している。誠にはそんな風に思えた。たぶんそのことに気づくきっかけになったのが吉田の失踪なのだろう。
「今分からないのなら……こんなことしか私には言えないが、気にしない方が良い」
言葉を選びながらのカウラのつぶやきにシャムは静かに頷く。その視線の先には東都の北に広がる山脈地帯が見えている。シャムが望むような針葉樹の森はその山脈の僅かに上部に広がるのみ。それ以外は落葉樹の森が寒々しく広がっているのが見えるだけだった。
「ああ、シャム。帰りは……」
「うん、跳べるよ。レベッカも心配しなくて良いから」
面倒見の良い言葉に少し涙目のレベッカが頷く。グレゴリウスは相変わらず心配そうに主人の落ちたままの肩を眺めていた。
「でもね……もう少しで思い出せそうなんだ。なんであの森にあたしが一人で居たか……それ以前にあたしが何者なのか……」
「過去か。知っていい話なら知るのも悪くないな」
「何よ、まるで知らない方が良いってことを要ちゃんが知っているみたいじゃないの」
アイシャの冷やかすような言葉にタバコを咥えた要は下卑た笑みを浮かべた後、静かに煙を口から吐き出す。吐き出された煙はそのまま強い風に流され視界から消え去る。
「いい話じゃ無いと思うよ……でも一度は思い出したいんだ……なんて言えば良いのかな……喉に小骨がつかえたみたいな感じ……それともちょっと違うな」
「無理に思い出す必要は無いだろ。四日後には演習に出るために新港に行かなければならないんだ。まずは予定が優先だ」
カウラの冷淡な言葉にレベッカが少しばかりむっとしたようにエメラルドグリーンの瞳でシャムを見下ろすカウラを睨み付けた。カウラの表情はいつものように押し殺したというように感情の起伏の見えない顔をしている。
「そう言えば明日で謹慎も解けますよね。明日からは……」
「あのー、誠ちゃん。明日はあたしが出張の準備のためにお休みを取っているんだけど……」
シャムの一言に自分の間の悪さを実感する誠。冷ややかにそれを笑いながらタバコをもみ消す要。
「誠ちゃんらしいわね……じゃあ撤収しましょう」
一言アイシャが言ったのを聞くと素早くカウラは元の獣道に足を向けた。
「ちゃんと帰れよ! 」
革ジャンのポケットに手を突っ込んだままカウラに続いて走っていく要の言葉に、シャムは力ない笑みを浮かべた。そんなシャムの頬を悲しげな表情のグレゴリウスが優しく舐めているのが誠の目に映っていた。
殺戮機械が思い出に浸るとき 22
「つう訳だから。シャムのことは心配入らないよ……たぶん」
『人間いざというときには正直になるんですね』
モニターの中の精悍なひげ面に笑みが浮かぶ。遼北と西モスレムの国境ライン上。現在は同盟機構軍との名称の東和、胡州、大麗、ゲルパルトの各軍が増派されて両軍の戦力引き離し作戦に従事している最中だった。
そんな中で暇を見つけて前の所属の所属長である嵯峨に連絡を入れるというまめなところがこのアブドゥール・シャー・シン大尉の良さでもあり、その連絡の入った時間が深夜の十時を回っているというところが少し抜けたところでもあった。
「なあに、世の中大丈夫なんて言えることはそう無いものさ。俺だって明日はどうなるか……」
『身から出た錆だと言ってみせるんですか』
「まったく昔から口の減らない奴だ。まあそんなところだが……良いのかい? それなりに忙しいんだろ? 」
嵯峨の言葉に思わず背後を振り向くシン。軽く誰かに手を振るとすぐにモニターに目を向ける。
『まあ私の仕事は休戦状態の維持ですから……これからは施設運営や兵站部門の皆さんのお仕事ですよ。今後は撤収準備と今回の事件でキャンセルになった訓練メニューの組み直しが当面の仕事です』
「いい話だな。俺等みたいな物騒な連中は訓練のことだけ考えてられれば世の中はうまくいっているってことだ。それが一番だ」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 7 作家名:橋本 直