遼州戦記 保安隊日乗 7
慌てて喋る誠の顔を不思議そうな表情で見つめるヨハン。彼もグリンの危険性は分かっている。それでもどこかしら余裕を感じるのはヨハンのふくよかな顔の作りのせいかそれとも彼の持ち前の性格なのか誠には今ひとつ判断をすることが出来ない。ヨハンはしばらく天井を見上げた後、そのまま奥の自分の部屋へと歩き始めた。
「中尉! 緊急事態……」
「分かっているよ。慌てなさんな。とりあえず俺には当てがあるような気がしてね……」
そのまま奥の部屋の扉を開けて部屋に入っていくヨハンにくっついて誠はそのまま本棚が所狭しと並ぶヨハンの私室に入った。
「ちょっと待ってくれ」
机の引き出しを開けたヨハンはその中身を一つ一つ塵一つ無い机の上に並べていく。缶切り、爪切り、何に使うのか分からない計測機械。一つ一つゆっくりとヨハンは机の上に置いていく。
「中尉……」
「だからちょっと待って……ああ、あった」
そう言うとヨハンは手帳のようなものを手に誠に向かって笑顔で振り返った。
「なんですか……写真? 」
ヨハンの手に握られていたのは古風なアルバムだった。革製の茶色い装丁の厚めのアルバムをヨハンは丁寧に机の上に置くと誠に向けて開く。
「法術と言うのはどうしても心理的な影響を受けやすい力だからね……精神の源泉とでも言うべき故郷の風景。それにちょっと関心があってね」
そこには山の光景が写っている。木々は明らかに誠の見たことがないような濃い緑色の針葉樹林。
「遼南の高山地帯の風景ですか? 」
シャムの出身地だという山々を思いながらの誠の言葉にヨハンは静かに頷いた。
「あの我等がちびさんの出身地はどこもこう言う針葉樹林の森なんだ。しかも数百メートル標高が上がれば木々も次第に小さくなり、千メートルも登ればもう森林限界だ」
ヨハンがめくる写真に写る植物を見て次第に誠はヨハンの言おうとしていることの意味が分かった。
「ここら辺りの森はほとんどが落葉樹の森ですよね……そこにはナンバルゲニア中尉はいない……となると植生図を調べて一番近くの針葉樹の森を捜せば……」
「まあ一番手っ取り早い方法はそれかな。まああのちっこいのはあまり休みを取らないから北国まで足を伸ばす必要も無いだろうし……まあ調べてみる価値はあるな」
ゆっくりとしたヨハンの言葉が終わるのを待たずにそのまま誠は部屋を飛び出した。階段を駆け下り、食堂前にたむろする寮の住人達を押しのけながら厳しい視線で周りを見回すアイシャの前に躍り出た。
「何してたのよ……これから手分けして……」
「それより場所を絞り込む方法が分かったんです! 」
誠の言葉にアイシャが首をひねる。食堂の奥に据え付けられようとしている端末を調整していたカウラと菰田も珍しそうに確信ありげな誠を見つめていた。
「あの人の故郷に近い場所ですよ! 」
「なに? 西の戸川半島にでもいるの? 」
「違います! 針葉樹の森です。あの人の故郷は針葉樹の森が深い場所ですから。この付近で杉とかを大規模に植えている場所にあの人は居ます! 」
一気にたたみ掛けた誠の言葉にアイシャはいぶかしげな視線を向けるだけだった。
「いや、試してみる価値はあるな」
端末の調整を菰田に押しつけてカウラは立ち上がるとポケットから車の鍵を取り出す。
「カウラちゃんまで……まあこの人数なら豊川中の森を探せるでしょうから。まあ私とカウラちゃんと誠ちゃんは……」
アイシャはそのまま視線を端末を起動させたばかりの菰田に向けた。
「ちょっと待ってくださいね……針葉樹ですか……飯岡村の辺りが地図の記号では針葉樹が多いですよ」
「それだわ……じゃあ後は菰田君が仕切ってちょうだい」
それだけ言うとアイシャはそのまま先頭に立って歩き出す。誠とカウラは少しばかり呆れながらその後に続いた。
「カウラちゃんの車で行くわよ……」
アイシャにガンをつけられてすこしばかりひるんだ要を無視してカウラはそのまま玄関で靴を履き替える。慌てて要も下駄箱の隣にあるロングブーツに手を伸ばした。
「それにしても……誠ちゃん。なんでそんな針葉樹なんて」
「あれです。シュペルター中尉が教えてくれたんですよ。彼は部隊員のメンタルまで気を使ってくれていますから」
誠の言葉に靴を履き替えていたカウラと要が顔を見合わせた。
「アイツが役に立つこともあるんだな……」
「伊達に太っていないな」
「体重の分だけ仕事してくれれっばいいんだけど」
ヨハンのことをこてんぱんにいう要、カウラ、アイシャ。そんな態度を取られるヨハンに誠は少し同情していた。
「酷いじゃないですか! あの人だって隊員でしょ!」
「別に神前が怒ることじゃねえだろ? 行くぞ」
要は自分だけブーツを素早く履くとそのまま立ち上がって駆け出す。
「それにしても意外ね……シャムちゃん。あれだけ信じてるって言ってたのに」
「それぞれ不安や思うところがあるんだろうな」
静かに立ち上がりささやきあうアイシャとカウラ。誠はそれを見ながらそのまま外に飛び出していった要の後を追った。道路はすでに頂点を通り過ぎた春の太陽の下、ぽかぽかとした空気に満たされていた。誠はその中を隣の駐車場に向けて歩く。
すでに赤いカウラのスポーツカーの隣には革ジャンを着た要がいらだたしげに頬を引きつらせながら誠達を睨み付けていた。
「おい! あの馬鹿が人様に見つかる前に連れ戻すぞ! 」
要の叫び声に誠は首をひねった。
「でもこの車にはグレゴリウスは乗りませんよ? 」
誠の言葉に要は大きくため息をつく。
「あいつも空間転移で移動したんだ。帰るのもそれで行けば良いじゃねえか!ほら!ちんたらするんじゃねえ!」
入り口付近で苦笑いを浮かべているカウラとアイシャを呼びつける要。カウラは仕方なくドアの鍵を解除した。
「ほら、乗れ」
誠を無造作に車に押し込む要。強力な軍用義体の腕力の前には大柄な誠も何も出来ずに狭いスポーツカーの後部座席に体を折り曲げるようにして押し込まれる。
「ご愁傷様ね、誠ちゃん。でも急いだ方が良いのは確かね」
助手席に乗り込んだアイシャの表情が厳しくなる。カウラは運転席に乗り込むとすぐにエンジンを始動、車を急発進させて砂利の敷き詰められた駐車場から車を出した。
「おいおい、飛ばすなよ……」
勢いに任せて後輪を振り回すようにハンドルを切るカウラに思わず重い義体を誠にぶつけてよろけながら要が呟く。
「カウラちゃんは仲間思いだからねえ」
狭い路地をかっ飛ばす様に若干はらはらした表情を浮かべながらなだめるように話すアイシャの言葉にそれまで無表情だったカウラの口元が緩んだ。
「我々戦うために作られた人間の数少ない美徳が仲間を思う気持ちだ……これは私も少しは自信がある」
「いい言葉だねえ……仲間を思いやるか。アタシはアイツが連れてるデカ物がどんな騒動を起こしてアタシ等に迷惑かけるかしか考えてなかったけどねえ」
「要ちゃんも……素直じゃないんだから」
思わず振り向いて誠にウィンクするアイシャ。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 7 作家名:橋本 直