遼州戦記 保安隊日乗 7
見下すようなカラの一言に急かされるようにカルビンは慌てて着信ボタンを押した。引きつった表情を浮かべる情報士官の表情がカルビンの心を乱す。
『ご歓談中申し訳ありません。……提督』
「いや、いい。要件を言い給え」
カルビンは正直ほっとしていた。これ以上カラのペースに惑わされるのは彼のプライドに関わる。いつもの峻厳な表情に戻った艦隊司令を見て安心したような笑みを浮かべた後、気を引き締め直すと情報将校は重い口を開いた。
『遼北と西モスレムの民間の通信回線が何者かにクラッキングを受けているものようです……原因は目下調査中です。調査が済み次第、再度報告させていただきます』
「ほう……これは面白いことになりそうだねえ。……いや、あなたたちにはつまらない結果かも知れなけど」
再びカルビンは不敵に微笑むカラの口元に目を奪われていた。
「どうせ両国とも言論の自由の保障されていない国……」
そこまでカルビンが言ったとたんカラの手がテーブルに叩きつけられた。だまるカルビン。一瞬浮かんだ無表情の後に身の毛がよだつような妖艶な笑みが再びカラの顔に浮かぶ。
「地球の方々はいつもこれだ……自由? まあいいさ。アタシ等も自由が欲しくて国家とは距離を置いている身だ……つまらないことは言わないでおこう。それよりこれで対決ムードを破滅にまで導くつもりだった自暴的な民意が一度孤立して個々の人間に戻るわけだ……再びネットがつながったとき……どう転んでいるかねえ……」
カラの言わんとしていることは分からないではない。情報の海に流れる敵意の最近に汚染された脳で悪態を掻き込み続けていた人々が手を止めて周りを見回したとき。家族、近隣の人々。彼等もまた自分達がまき散らす敵意の言葉のもたらす結果を甘受する人々だと知ったとき。
「首脳部は……今の時期を逃さないでしょうね。講和のテーブルにつく準備があるという発表が数時間後に出ても不思議じゃない」
苦渋に満ちた表情を浮かべてカルビンは呟く。満足げなカラ。だがそこでカルビンには疑問が浮かんできた。
「同盟の継続……それは太子の意志なんですか? 」
「太子の意志? 同盟がどうなろうが知ったことかね! アタシ等には政治的な思想は無い。ただ自由にやりたいようにやるだけさ……尤も桐野みたいにやりたいようにやられたら困る連中もいるから、そこのところは案配を見ながらと言うところかねえ……」
カラはちらりと艦長室の外に目をやる。カルビンは背筋に寒いものが走るのを感じながら悠然とコーヒーに手を伸ばしたカラを眺めていた。
「政治的な意図がない武力集団……」
「そうさ。だからあんた達ヨーロッパはアタシ等に手を差し出したんだろ? 同じような組織を抱えている人間と言えば後は嵯峨惟基くらいだ……だがあの御仁には同盟結成を呼びかけたという事実が付属する……地球からの独立などを叫びかねない思想を持っているかも知れない連中と手を組むのはどうにもプライドが許さなかった……あんたの上司の考えはそんなところかねえ……」
満足げにそう言うとカラは静かにコーヒーを啜った。沈黙が続く。カルビンは耐えきれずに口を開こうとしたがすでにカラは鋭い視線をカルビンに浴びせながら言葉を紡ぎ始めていた。
「あんた等が思うよりもっと地球と遼州の関係は深いんだよ……公然の事実となる以前から法術師は地下でつながり、それぞれ助け合って生きてきた。その力の存在が知られればあんた等は何をするか分からないからねえ……今回の遼北と西モスレムの対立の行き着く先だった核戦争に使われるプルトニウムの濃縮技術もすべて地球の産物だ……酷い殺し方をするならあんた等地球人の方が遼州人より一枚上だよ」
「だが……そう言った技術の進歩があったからこそ両者は出会った。違いますか? 」
食い下がるカルビンを満足そうな笑顔を浮かべながらカラは立ち上がる。
「アタシは出会いがいつも幸福だとは思ったことが無いものでね……じゃあお互いの利益の為に」
それだけ言い残すとスーツ姿のどこか似合わないように見えるカラはそのまま出口へと向かう。カルビンはただ座ったまま彼女を見送るだけだった。
殺戮機械が思い出に浸るとき 18
世間の喧噪とは無縁な場所、宇宙。遼北と西モスレムの対立が注目される中、ルドルフ・カーンはただ満面の笑みを浮かべながら同士達と薄暗い通路を歩いていた。彼がゲルパルトの意志を継ぐと称して同志を集め始めてすでに二十年の時が流れている。彼としては現状は良い方向に進んでいるように感じられた。
「所詮……有色人種と異教徒のことだ……自滅するさ。しなければ裁きを下せばいい」
予想外の両国のネットワークダウンの情報に表情を曇らせるカーン。通路を行き当たるととってつけられたような金属製の扉の前にたどり着いた。隣に立っていたかつての遼州星系最大の勢力を誇ったゲルパルト帝国、民族団結党武装親衛隊の制服を着た金髪の青年が正確な足取りでロックを解除し、不気味なうなりを上げながらドアが開く。
薄暗く狭い部屋。中央には棺桶のようなものが横たわっていた。
『来ると思ったよ……』
棺桶の中から聞こえたのは人間の声ではなかった。
合成音。人工的なその音に意味がこもっていることにカーンは内心苦々しく思いながらそのまま十畳ほどの部屋の中に三人の部下を連れて入った。
『銃を持った護衛か……あなたに協力を約束して以来、俺の体は固定されたままだというのに……用心深いものだな』
部屋の中央の棺桶。その上に墓標のようにあるのはモニターで、そこには発せられた言語のようなものと同じドイツ語の文面が表示されているのが見える。
「なあに。用心というものだよ。君は……本当に私の意志に沿って動いているのかどうか。いつもそれが不安でね」
カーンはそのままモニターを無視して透明な樹脂で出来た棺桶の中を覗き込む。満たされた冷却液の中で人間の白骨死体のようなものに多くのコードがつなげられている様が中にはあった。素人には死体にしか見えないものだが、知る人が見ればそれが軍用義体の慣れの果てであることは、所々に見えるむき出しの金属骨格の色合いで理解できただろう。
『確かに……あなたには敵が多い。多すぎるくらいだ。尤も、半分以上はあなたの身から出た錆なんだけどね』
「減らず口を……」
思わずカーンはその骸骨に向けて笑いかけていた。もしその義体が笑うことが出来たらさぞ残忍な笑みを浮かべるだろう。
『こんなところに来た理由は遼北と西モスレムのネットワークのクラッキングの件だね。……予想された範囲の事態だよ。これまでがうまくいきすぎた。あなたの指示で両軍のサーバに領空を侵犯する相手国のアサルト・モジュールの疑似情報を流して二ヶ月。それから両国の不信と意思疎通の無さのおかげでこの状況を作り上げることが出来た……その時点で『管理者』はこちらの動きに気づいていたはずだ。反撃とすれば俺の予想より遅かったというのが今の俺の分析だけど』
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 7 作家名:橋本 直