遼州戦記 保安隊日乗 7
一部の大企業の関係者に集中していた利潤は世間一般を潤し、過激なデモや時には政府要人に対するテロで庶民の鬱憤を晴らしてみせる安全弁としての役割を担っていた学生活動家達の行動は次第に支持を失って社会から孤立していった。闘争路線を巡る確執、各大学の運営母体による切り崩し、そして警察による徹底的な壊滅作戦。これらが東都の主要大学のほとんどに存在した学生運動の母体を次々と壊滅させ、現在ではこの東都工業大学など一部の国立単科大学や地方の私立大学にその残滓を残すのみとなった活動拠点。
今更彼等に北川がノスタルジーを感じる義理は無かった。目の前の若者達はいつでも『元活動家』として社会に散っていくことが出来る。しかし、『ギルド』と言う特殊な秘密結社の一員となった北川にはその選択肢は存在しない。闘争の帰結は『勝利』か『死』かしかない。首領『廃帝』ハドはそれ以外は認めることは無かった。
「良い面がまえを見られて東和の名残も尽きたな。じゃあ行くわ」
そう言うと北川は半分ほどコーヒーを残したまま立ち上がった。
「ああ、そうですか」
見送るような酔狂な連中はいない。そのことが北川にはうれしかった。彼等が理想で動いている限り、自分と行動を共にすることは無いだろう。そのことは十分分かっていた。法術師の解放と言う大義。だがそれが理想郷を建設すると言うような学生達の夢とは遠く離れたものだと言うことは北川自身がよく知っていた。弱肉強食の地獄絵図を宇宙全体に拡散すること。それが『ギルド』の理想達成の末路なのは十分北川も分かっている。
そのまま自分でドアを開いて学生会館の廊下に出る。通り過ぎる学生達はそれぞれに殺気立っているように見せてはいるが、北川の巡ってきた戦場や闘争の現場の殺意に満ちた視線は彼等には存在しなかった。
「平和だねえ……」
周りに聞こえないように小声でつぶやく。理想で動く人間の出来ることがいかに小さいかを身をもって知ってきた自分とまだ知らない若者達。どちらが偉いかと言えば後者に決まっている。自分はただの抜け殻に過ぎない。ただ生きると言うことはそう言うことだ。
北川はいつの間にかジャンバーのポケットから煙草を取り出していた。そのまま階段を駆け下りて、学生会館の入り口に門番のように立つ学生の隣に立った。
「火……くれるかな? 」
最初ヘルメットの下から北川を睨み付けている顔がごついだけの幼げな学生は北川の言葉が理解できないでいた。
「火だよ」
繰り返された言葉とその迫力に負けた学生は思わずポケットからライターを取り出していた。暖かみを感じるような初春の春の日差しの中。北川はゆっくりと煙草をふかした。
「上には顔は利くのかい? 」
またも突然につぶやかれた北川の言葉に意味が分からないというように学生は首をひねる。それを見てにんまりと笑いながら北川はジャンバーのポケットから小さな記憶媒体を取り出した。
「これは……すぐには上には渡さない方がいい。そうだな……明日になったらコンピュータに詳しい理論物理学を専攻している学生に渡してくれ。きっと面白いことが起きるだろうから」
北川の遠回しな言葉に学生はただ受け取った小さなチップを眺め回すだけだった。
「確かに渡したよ……早すぎると天地がひっくり返るがその程度の時間が経つとちょうど良いくらいに事件は起きる。そうすりゃお前さんも世の中捨てたもんじゃないことがわかるだろうね」
意味ありげな、そして無意味にも聞こえる北川の言葉に大柄の学生はただ首をひねるだけだった。それを満足げに眺めた北川はそのまま煙草を灰皿でもみ消すとそのまま大学の中庭へと消えていった。
殺戮機械が思い出に浸るとき 11
「西園寺! 」
カウラは食堂から出て行こうとする要の腕を捕えた。ばつが悪そうに頭を掻く要を誠とアイシャはちらりと横目で見た。
誠の前にはサーフェイサーで下準備を済ませた組みかけの女子校生のフィギュアがあった。久しぶりのフィギュア製作。もしもこれが謹慎中の暇つぶしでなければそれなりに楽しむことが出来たと思う。一方でアイシャは誠に下塗りをしてもらったアニメの五体合体ロボの仮組をしていた。
「焦ったってしょうがないじゃないの……それともなに? 吉田少佐の知り合いのプロデューサーでも捕まえて絞り上げるつもり? 一般人にご迷惑をかけてもしょうがないじゃないの。少佐はちゃんと仕事はしている。契約上、例え何日欠勤しようが文句は言えないのよ」
アイシャの小言に要はむくれた顔のままそのまま近くの椅子に体を置いた。明らかに不服。それは十分分かっている。しかし今は待つしかないのを一番分かっているのも要だと言うことは皆が分かっていることだった。
心理を読むことに優れた法術を持ち、独自の情報ルートで様々な情報を入手して売り渡す凄腕の情報屋の『預言者ネネ』。そんな彼女でも二日程度で有効な情報が得られるとはその道のプロである要なら分かっているはずだった。だがそんなことを言っていられない状況ができあがりつつあった。
カウラは要が落ち着いたのを見て取ると食堂の古めかしいテレビのスイッチを付けた。相変わらず流れているのは遼北と西モスレムの軍事緊張のニュースだった。
実力行使の及ぼうとした両国が同盟軍事機構のエース、アブドゥール・シャー・シン大尉のパイロキネシス能力の前に優秀なパイロットを消し炭にされたことでとりあえずの正面衝突は避けられているものの、両者による外交的な徴発合戦は続いていた。
西モスレムは化石燃料系の遼北とベルルカン大陸の親遼北諸国への限定的輸出制限を宣言し、対抗処置として遼北は国内のイスラム宗教指導者を拘束した。緊張が始まってから遼州同盟会議は両国による非難の応酬で実質的な機能は麻痺しつつあった。
「これ……どこまで行くかな」
テレビを見ていた要がぼそりとつぶやく。ようやく身勝手な行動を諦めたような要を見てカウラがテーブルの上に腕を組みながら話を始めた。
「根が深いからな。国境のカイエル川の中州……広さにしたら東都がすっぽり入る程度の広さだと言うが、それでも領土は領土だ。それに遼北の回教徒への圧迫には昔から西モスレムは不快感を隠していなかったからな。今回の西モスレムの越境行動で堪忍袋の緒が切れたんだろうが……」
「だとしても私達には面倒な話ばかりね。もしこのままどちらかが同盟を離脱するとか言い出したら失業するかもよ」
ロボットらしい形を目の前に作って一息入れているアイシャがぼそりと呟く。確かに誠も同盟の主要国であるこの二国の一方が離脱という形になれば遼州同盟が空中分解することは容易に想像が出来た。
だから何が出来るわけでもない。確かにこんな状況だからこそ要が別に関心があるわけでもない吉田の捜索に夢中になるのも分かる気がしてきた。
「保安隊解体……」
誠の言葉にアイシャは苦笑いを浮かべた。
「私はゲルパルト国防軍に戻ることになりそうね……あそこはネオナチを追い出したおかげでいつでも人手不足でヒーヒー言ってるから……カウラちゃんは東和軍?」
「だろうな。おそらく陸軍だろう。士官養成課程は陸軍で受けているからな」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 7 作家名:橋本 直