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遼州戦記 保安隊日乗 7

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「吉田俊平の名前は何度も聞いているから興味があったの。だから今回の仕事も楽しみにしているわ」 
 それだけ言うとネネはそのまま立ち上がった。ジンの入ったグラスを手にしたウエイターが驚いた表情でネネが目の前を通るのを見守っている。驚いたのはオンドラも一緒でウエイターの手の上の盆から素早くジンの入ったグラスを奪い取るとすぐさま喉の奥にアルコールを流し込んだ。
「じゃあ、結果は後で! 」 
 手を振りながら去っていくオンドラ。ただ誠達は呆然と彼等を見守った。
「ずいぶんな出費ね。期限も切らずにおくなんて……お人好しも良いところじゃないの? 」 
 アイシャの言葉だが、要は満足げに手にした水割りを啜っていた。
「相手は預言者ネネだ。こちらが情報を本当に必要になる時までにはレポートができあがっているもんだよ。さもなきゃあんな餓鬼が裏社会で生き延びられるはずはねえ」 
 そう言い捨てると要は立ち上がった。
「他のあては無いのか? 」 
 意外そうな表情のカウラににやけた表情を向けたまま要は札束の詰まったボストンバッグを背負って店内を見回す。
「なあに。預言者ネネ。それ以上のニュースソースはアタシにも覚えが無くてね。行くぞ」 
 そのまま勝手に歩き出す要。アイシャと誠は慌ててその後ろに付き従う。カウラは大きくため息をつくと静かにジャケットのポケットから車のキーを取り出してくるくる回しながら彼等についていくことに決めた。


  殺戮機械が思い出に浸るとき 10

 そこは林と呼ぶにはすさまじい喧騒の中にあった。その一隅、銀色の干渉空間が展開された。その中央から現れた影がしばらく歪んだあと大地に立ち上がった。
「久しぶりだな……」 
 その人影、革ジャンにジーンズの中年男が木々の合間から周りを見回す。
 そこは大学の構内だった。拡声器の絶叫。時折シュプレヒコールがあちこちで上がる。革ジャンの男、北川公平はそのまま走り回るヘルメットをかぶった学生達の合間を縫うようにそのまま学内の小道を歩き続けた。
『学費値上げ反対闘争完遂! 』 
『帝国主義的同盟強化政策打倒! 』
 同じような書体の文字で彩られた立て看板とアジビラ。それを見るとかつての自分を思い出し北川は笑みを浮かべながらそのままアジビラで薄汚れたように見える学生会館の扉を開いた。
 階段で談笑していたヘルメットにゲバ棒の女学生達が珍しそうに北川を迎えた。門番気取りの長身の学生が北川の行く手を阻む。
「あ! 北川先輩じゃないですか! 」
 奥から護衛のシンパを引き連れて歩いてきたタオルとサングラスで顔を覆った幹部らしき男が声を上げる。
「よう」 
 北川が軽く手を挙げるのを見て長身の学生は少しばかりおどおどしたような調子で脇に下がる。
「工大は相変わらずだな」 
「うちは最後まで落ちませんよ。犬達もそう簡単に話がつくとは思っていないでしょ」 
 マスクを外した男。どう見ても学生には見えない年の頃。北川はこの男が学生運動に執着するあまりもう四回もこの東都工業大学に入学し直したというほとんど奇癖と思える事実を思い出して苦笑いを浮かべた。
「コーヒーくらいは出せますよ……外の機動隊もまだ兵糧攻めをするところまでは行っていないですから」 
 男の言葉に北川は曖昧な笑みを浮かべるとそのまま男とそのシンパについて学生会館の階段をのぼりはじめた。
 様々な思いが北川の中を去来する。すべての出発点であり、そしてすでにそこに戻ることは出来ない場所である母校。八年前に首相官邸にペンキを投げて逮捕され除籍になって以来の母校に足を運ぶ気になった自分の気まぐれをこの段階になって少し後悔するが先頭を歩く男はそんなことはお構いなしにずんずんと学生会館の奥の学生会執行委員会の執務室へと北川を誘った。
 青いペンキで彩られた安っぽいドアを入るとそこにはまだ幼い表情を浮かべている下級生達がパソコンを覗き込んで下卑た笑いを浮かべていた。
「貴様等! 」 
 男の一括で下級生達はそのまま慌ててパソコンの電源を落とすとそのまま手近にあったヘルメットをかぶって外へと飛び出していった。
「若いんだ。いろいろあるさ」 
 北川の言葉に男は大きくため息をつくとそのままテーブルにシンパ達を従えて腰掛けた。
「それにしても先輩がわざわざ我々に会いに来るなんて……どういう風の吹き回しですか? 」 
 当たり前の質問に北川は苦笑いを浮かべた。逮捕から出所まで完全黙秘を貫いた闘士として知られる北川だが、出所から今までここを訪れたのは二回ほど。どちらも闘争への助力を曖昧な言葉で回避して逃げるようにいなくなった人物の訪問がそれほど歓迎されることではないことは分かっていた。
 インスタントコーヒーをぬるいお湯で溶いたものが目の前に差し出される。仕方がないと心を決めて北川はそれで口の周りを湿らせる。
「しばらく遼州を離れることになるからな。自分の出発点を見てみたくなったんだ」 
 北川の言葉は周りの学生活動家達にはそれほど意外なものではなかったようで、ただ曖昧に頷きながらそれぞれにささやきあっている。
「法術師の権利獲得闘争。大変でしょうが……他の星系で同志を募るんですか? 」 
 男の無理に興味を持っているというような態度に少しばかり腹を立てながら北川は軽く頷く。
「遼州系住民が暮らすのはこの遼州ばかりじゃない。地球の東アジア地方はもとより他の地球の植民星系にもあまたの法術師がいるんだ。ところによってはすでに隔離政策をとっている星系も存在する」
「キンバルタ太陽系ですね……あそこは元々テラフォーミングが失敗して過酷な環境を良いことに国家権力が好き放題ですからね」 
 興奮した様子の下級生の勢いに少しばかり押されながら北川は再びコーヒーらしきものを口に運んだ。苦みと渋みばかりが口の中に広がり香りのようなものはまるで感じられない。賞味期限をかなり過ぎたものなのだろう。そう思いながらそんなことを些事として自分達の闘争を絶対化できる彼等の若さに羨望のようなものを感じながら静かにカップをテーブルに置いた。
「しかし……遼州系住民差別はすでにこの遼州の東和でも公然と行われているんですよ。先輩が居なくなれば国家権力の思い通りになってしまうんじゃないですか?」 
 執行委員の腕章を付けた青いヘルメットの女学生の言葉に北川はにこやかな笑みで答えた。
「何も俺の今いる組織の法術師は俺一人じゃない。いや、もしかするとさらに上手の人間が山ほど……まあ期待はしてもらっても良いだろうな。まもなく宇宙は変わる。変えてみせる」 
 確信を持って放たれた北川の言葉に学生達は一様にどよめいた。すでに学生運動は斜陽だと言うことは北川もそしてここにいる活動家達自身も分かっていることだった。第二次遼州大戦後の財閥企業が遼州の復興で独占的な利潤を得たことへのアンチテーゼとして始まった東和学生運動は復興が一段落すると急速に力を失っていった。