遼州戦記 保安隊日乗 7
「なんだよ……ははーん。その紺色の髪の色、ゲルパルトの人造人間か? 隣のねーちゃんも髪の色見ればわかるけどゲルパルトの人造人間で、その兄ちゃんはパシリってところか? 」
興味深そうに誠達を見て回るオンドラの視線。アイシャもカウラも明らかに不機嫌そうに切れ長と言うよりも切り込みのようにも見えるオンドラの細い視線を睨み付けていた。
「人を出自で判断するのは良くないことですよ。重要なのは今の立場」
静かな、そしてそれでいて少女のものとは思えない迫力のある言葉の響きに誠達は凍り付いた。
「あなた……法術師ね。しかも、私の勘だけど相当訓練を受けている」
静かに繰り出されたアイシャの言葉にネネと呼ばれた少女は静かに頷く。ウエイターが運んできたジュースを静かに飲む姿は確かにその幼い見た目とは裏腹な老成したようなところが見て取れた。
「預言者ネネ。東都の裏社会では知れた情報屋だ。別にネットに詳しいわけでも特別なコネクションがあるわけでも無いのに、気が向けば正確無比な情報をくれる貴重な存在として畏怖の念を集めていたが、法術が普通に知られるようになってみれば仕掛けは簡単だったわけだ」
要の言葉を否定も肯定もせずにネネはグラスの上に伸びたストローから口を離すと静かに居住まいを正して要に向き直った。
「この格好で生きて行くには正確で信用のおける情報屋を演じるのが最適だもの。おかげで最近は銃弾に当たることも無いし」
「そりゃそうだ。預言者ネネに傷をつけようもんなら東都じゃ商売が出来ないようになるからな。まるで西部劇のピアニストってところか?銃は決して彼女を傷つけない」
物静かなネネとは対照的にオンドラは豪快にドライジンのグラスを空にした。
「オンドラ。オメエはおまけなんだよ。自重しろよ」
怒りを込めた要の言葉に首をすくめるオンドラ。一方ネネは相変わらず黙って要を見つめていた。
「吉田俊平少佐の情報を集めているんでしょ? 報酬は? 」
冷静なネネの言葉にようやくオンドラに対する怒りを静めた要はボストンバッグから札束を一つ取り出した。
「十万ドルの札束がこんなに……初めて見たよ。さすがお嬢様。気前がいいねえ……」
「オメエにやるんじゃねえ。ネネ。手付けはこれでいいか? 」
三つの十万ドルの山が築かれる。要の言葉にネネは隣のオンドラを見た。明らかにオンドラの表情は要のボストンバッグの中身を推測することに集中しているものだった。
「今回の件だけであと五十万ドル。それに今後の顔つなぎとしてもう五十ドル……」
「ちょっと! お嬢ちゃんおかしいんじゃ無いの? ただ顔を出しただけで百三十万ドル? ぼったくりじゃないの! 」
叫ぶアイシャ。だが要は静かに頷くとボストンバッグからさらに十の札束をテーブルの上に積み上げた。
「ものを知らねえ奴は困るねえ……」
明らかに哀れみの目でアイシャを見つめる要。アイシャはその視線の色にただどぎまぎしながらもじっと札束を眺めていた。
「さっそく確かめますか! 」
景気よくそう言うとオンドラは要から札束をひったくる。指を一舐めすると的確に札束を確認し始めるオンドラ。それを横目に見ながらネネは静かにジュースをすする。
「百万ドルの価値の情報屋か……それならその能力を少しは見せてもらってもいいんじゃ無いかな? 」
明らかに慎重で冷静だったのはカウラだった。そんなカウラの態度に落ち着いてストローから口を離してにこやかに隣を見るネネ。その表情は相変わらず老成していて誠の目にもネネがただ者ではないことだけはよく分かった。
「胡州陸軍の諜報機関は予算的な余裕が他国に比べて少ないんです。その部隊員だった西園寺要さんが百万ドルを払う。それだけで私の能力は実証されているように思うのですが……」
「そう言うこと!東都でやましい仕事をしている連中でネネを知らないなんて田舎者も良いところだ。たとえ東都の首相を暗殺した馬鹿野郎がいたとしてもネネの情報網を使えばそいつの金が続く限りは逃げ延びることが出来る。その程度の実力者にただの公務員がどうこう言うのはちゃんちゃらおかしいや!」
オンドラの調子の良い言葉。頷く要。誠は自分の知らない世界の常識に戸惑いながら同じように話が理解できないでいるアイシャに目を向けた。
「そんな実力者なら組織の一つや二つ抱えていてもおかしくないんじゃないの? 口ばかり達者な用心棒を雇って仕事を始めようなんて言う酔狂な真似は……」
「アイシャ。オンドラは確かに口が九割だが、ガンマンとしての腕は確かだからな」
意地でも文句を付けたいアイシャを珍しく冷静に要が制した。それを見て鼻高々なオンドラ。誠も遠慮がちに彼女の豊かな胸の辺りを見れば、その左下の辺りに確かに銃がつり下がっていると言う膨らみが見つかる。
「私は組織には縛られたくないんです。部下を持てば彼等の命の責任を持たなければならなくなりますから。それと初めに言っておきますが司法局との契約も受け付けません。自由が一番なので」
静かだがどこまでも毅然としたネネの言葉。おそらくは司法局との契約の話でも切り出すつもりだったと言う表情のカウラも黙って目の前のソーダに手を伸ばさざるをえなくなる。
「中立で金だけで動く。しがらみがないからそれだけ動ける範囲も広くなる。故に情報も正確になる」
要の補足で誠も何となく目の前の少女のことを少しだけ信用することにした。
「まあ良いわ。どうせ要ちゃんのお金だし」
「そうそう。こう言うお嬢様からはたんと巻き上げた方がいいぞ! 」
景気よくグラスを空にして笑うオンドラ。一人テンションの高い彼女の手からネネは素早く札束を取りあげた。
「なんだよネネ! 」
「ちょっと待って」
ネネはそう言うと札束の帯をほどく。そのまま三枚の千ドル札を取るとそのままオンドラに手渡す。
「え? これくれるの? 」
「これは私の取り分。残りは経費とあなたの給料」
淡々とそれだけ言うとネネはまた静かにジュースのストローに口を伸ばした。
「ずいぶんと遠慮がちなのね……」
皮肉の入ったアイシャの言葉にネネはただ無言でジュースをすすることで答える。
「なあに、あの吉田俊平の関連の情報を集めるんだ。いくら金があってもねえ……」
ちらちらとオンドラは要の顔を見た。その表情は明らかに経費は別立てにしろと要求しているそれだった。
「オンドラ。それ以上は取らない方がいいわよ。定期的なお仕事をくれるお得意先は大事にしないと」
またもはっきりとしたネネの言葉にオンドラは気分を換えようと手を挙げた。表情一つ換えずにウエイターが歩み寄ってくる。
「済まないがジンを!銘柄はタンカレーな」
「その金はお前が出せよ」
去っていくウエイターを見送りながらつぶやく要にまた卑下したような笑みを浮かべるオンドラ。だがその目がネネの鉛色の瞳を捕えるとすぐに俯きがちに懐から財布を取り出して札をテーブルに置いた。
「吉田俊平の居所だけならこの金額は大きすぎるんじゃないかな。当然その素性も調べてもらえれば……」
カウラの言葉にネネは気に入ったというように初めて見る笑顔をカウラに向けた。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 7 作家名:橋本 直