お姫様の決断
バーセル王子はビオラが何を言っているのかわからず、とまどっていました。ビオラは立ち上がりました。目からぼろぼろとこぼれた涙が、絨毯に染みを作りました。そしてヒールで王子の頭を踏みつけました。鈍い音とともに、王子は頭をじゅうたんに押し付けられます。
「ねえ、ポタはどこなのよ! 教えなさいよ! 私はあいつに会って、ぶん殴ってやるのよ! あの勝手なブタ野郎を! お願いしたのがあんただとしてもなんでもいいの! あいつはどこよ! どこなのよ! あいつはどこに住んでいたのよ! あいつはなんなのよ! ねえ、答えなさいよ! この馬鹿王子!」
踏みつけられながら、王子は何も言えず、ただただ攻撃を受け続けました。国王はその風景を、おろおろと見つめていました。
しばらく罵倒を続けたビオラは、足をどけ、椅子に力尽きたようにもどりました。バーセル王子は痛む身体を起こしながら、ビオラの顔を見ました。ビオラの目は真っ赤にはれていました。
「姫様」
「出てって」
「は」
王子の返事をビオラはさえぎりました。
「早く出ていって。二度と私の前に出てこないで。あんたの国との貿易は別に続けるわ。なんにもなかったことにしてあげる。でも、二度と私の前に現れないで」
そう言ってビオラはソファにへたりこみました。王子と国王は深く頭を下げ、部屋を後にしました。部屋にはビオラだけが残りました。耳鳴りがするほどの静けさが部屋を包みます。
「姫様」
外からアリアの声がしました。
「来ないで」
アリアはビオラの言葉を無視して、部屋に入ってきました。
「姫様」
「一人にして、お願い」
ビオラは顔を入り口から背け、アリアの顔を見ないようにしました。アリアは頭を下げ、部屋を後にしました。
そのあとまた、ビオラは静かに泣きました。
そう言えば、なにかの本で読んだことがあります。
初恋は、報われないと。
外では、例年より早めの雪が、こんこんと降り、少しだけ町を白く染めました。
六 関係ないでしょ
ビオラはバーセル王子来訪の日から、人が変ったようでした。誘拐後に、性格が内向的になったりするとはよく言われますが、ビオラの場合はその逆でした。
まずはバイオリンのお稽古にとても熱心になりました。
「姫様、今日のレッスンはもう」
「いいえ、今のフレーズのとこだけ教えて、よくわからないわ」
先生も困り果てるほど熱心になってしまい、昼も夜もビオラはバイオリンを弾き続けました。意味のないことは今までずっと嫌いだったビオラの行動に、皆首をかしげました。
「意味のないことは今でも嫌いよ。意味のあることは今でも好き。私は何も変わっていないわ」
疑問を口にしたアリアに対し、ビオラはそう返しました。アリアはその言葉の意味がわからず、首をかしげました。
バレエに格闘の稽古も同じくらい熱心になり、バイオリンの音が聞こえない日は、大抵誰もいない大広間でステップを踏むか、回し蹴りの練習をサンドバックに延々としていました。
正直うまいとは言い難かったビオラのバイオリンも、バレエも、日に日に上達していきました。一年もするころには、コンクールで優勝を飾るほどになっていました。
棚に飾るトロフィーも賞状も、年を重ねるごとに増えて行きました。ビオラが十九歳になるころには、部屋中にトロフィーや賞状が散乱しているようなありさまになっていました。
「ずいぶんと頑張られましたね」
メイドのアリアがトロフィーをうっとりと見ながら言いました。
「それほどでもないわ。まだまだ私よりうまい人はいるんだから」
十九歳のビオラは、子供のころとは違い、背も伸び、大人びた仕草もするようになりました。子供のころのガサツな言動も減りはしましたが、アリアに対しては子供のころから何も変わっていませんでした。
「それはそうですが、姫様も類稀ない才能をお持ちだと思いますよ?」
アリアや他の人が褒めても、ビオラは一向に喜ぶことはありませんでした。コンクールで優勝をしても、ビオラが笑顔を見せたことは一度もありませんでした。まるでビオラの目的は優勝以外のどこかにあるように。
「格闘技は大会には出ないんですか?」
「出たかったんだけどね。お父様に反対されたわ。野蛮すぎるって」
文化系の大会にはいくらでも出させてはくれましたが、体を動かすものは、こぞって王様は首を横に振りました。
「まあ、私が出ちゃったら男どもは顔負けしちゃうしね、勘弁してあげるわ」
「あらさすが姫様、お優しい」
「そうでしょ」
そう言って二人でクスクスと笑いました。実際のところ、ビオラの格闘の腕はこの城の兵士と対等に戦えるほどになっていたので、もし大会に出場していたら、よい成績が残せたかもしれません。
「ところで姫様」
「なによ」
「先週の姫様の優勝の記念もあり、少し遠いですが、アンタム王国で姫様のバイオリンを是非とも聴きたいとお便りが来ていますよ」
ビオラはこの類の誘いは、コンクールより乗り気でした。そして今回も例外ではありません。
「支度をするわよ」
ビオラのバイオリンの名声は海の向こうまで届いていました。王族のたしなみ程度の音楽は、そこまでの技量を求められていたわけではありません。ですがビオラの場合は、その求め以上の演奏を見せ、世間では「バイオリン姫」と呼ばれていました。
「名前はビオラなのに、皮肉な話よね」
港で船を見上げながらビオラは言いました。
「姫様の名前のビオラは楽器からきたわけじゃないんですよ」
「そうなの?」
「ビオラってお花があるんです。パンジーとてもよく似ていてかわいらしいんですよ」
ビオラは変な機会に自分の名前の由来を知って、なんだか照れくさくなりました。
ビオラはアンタム王国への船へと乗り込みました。アンタム王国は距離が離れていますが、ビオラの国とは親交があり、以前にも何度か訪問はしていました。
「姫様、今回の演奏会が絶賛されれば、姫様はさらに有名になりますよ」
「それは悪くないわね」
「姫様は、どうして有名になりたいのですか?」
アリアの質問に、ビオラは何も答えませんでした。ただぼんやりと、遠ざかるタンザ山を見つめていました。姫という特権さえあれば、ある程度名前を知られることは何の努力もなく成し遂げられるものです。それゆえに、ビオラの行動にだれしも首をかしげました。ですが、アリアには確信はありませんが、ある程度の予想はできました。
「ポタさん、ですか?」
「よくわかったわね」
「わかりますよ。有名になれば、いつかポタさんが会いに来てくれる。そう思ったんですよね」
「安直な考えだと思う?」
「いいえ、ちっとも」
「正しいことをしていたら、真面目になにかを取り組んでいたら、いつかたどり着けると思ったんだけどねえ」
ビオラはけだるそうに背伸びをしました。
「難しいものね」
「きっと、なにかしらの結果は出て来ますよ」