お姫様の決断
魚が逃げたときには、釣竿を壊すかもしれないほど怒りだしたので、あわてて引き留めました。
「なんで餌ってこんなに気持ち悪いの?」
「これが魚たちの大好物なんだよ」
「信じられない、あんたが餌つけてよ」
「嫌ですだ」
「姫の命令よ?」
「姫様が自分でやるって言っただ」
ビオラはその言葉にしぶしぶ従い、餌を自分でつけました。でもビオラは思いました。バイオリンのお稽古に比べたら、はるかに意味のあるものだと。
「やっぱりこういうことのほうが好きだわ」
「こういうこと?」
「バイオリンをやってても、こういうところでは役に立たないでしょ」
「ああ、なるほど。確かにこういうことやってたほうが、いつかは役に立つかもしれないだ」
ビオラの中で、初めて意味のある活動と言う物を見つけたような気がしました。
一緒に果物も探しました。
中には虫がついているものもあり、ビオラは悲鳴をあげました。
「気持ち悪い!」
「山なら当然だよ」
「もうやだ、帰る」
「じゃあ食べ物はオラのぶんだけしかとらねえだよ」
「ひっどい、最低」
そう言うとビオラはしぶしぶ果物を指先で触りながら、食べられる物を探しました。その姿が滑稽に見えたのか、ポタはにたにたと笑っていました。ビオラはまたポタのおなかを蹴りあげました。
キノコ狩りにも行きました。
「このキノコはなに?」
「ああ、そいつはいけねえ。眠りキノコだ」
「ああ、食べたら眠ってしまうやつ?」
「その通り、お、ここにあるキノコは食べれるだよ」
ポタは得意げにキノコをビオラに差し出しました。ビオラは、ポタを時々頼もしいと思いながら、少しずつ心を開き始めていました。
一緒に木でおもちゃも作りました。小さなコマを作りました。竹トンボを作りました。二人でどれだけ飛ばせるか、回せるかを競い合い、笑いあいました。
「あんた器用なのね」
「姫様が不器用なだけだ」
最初はちぐはぐでうまくいかないビオラの作品は、形は歪み、お世辞にもきれいなものとはいえませんでした。
「ふん、いいわ、姫だもの」
「不器用な姫より、器用な姫のほうが王子様はうれしいだよ」
いつもビオラはポタにそう言いくるめられます。そして反論できず、しぶしぶ作業を続けるのです。
二人の服は、ポタが台車に積んでいた着替えを洗いながら使いまわしていました。
「汚い服、こんなのいや」
「裸で過ごすだか?」
「もっといや!」
ビオラはポタのすねをけり上げました。
「ねえ、やたらとこの台車には物が多いわね」
「そうだか?」
蹴られた痛みに耐えながらポタは答えます。
「そうよ、服に水に布に食糧。生活できるためのものがそろってるじゃない」
「オラだって城にだけ物を持ってってるわけじゃない。たまに遠いところに果物や野菜を運ぶこともあるだよ」
ポタはいつもより少しだけ早口で答えました。いつものんびりしているのに、どこかおかしいなと思いました。
「へー、大変ね」
違和感を覚えながらも、とりあえず納得することにしました。
「食ってくために仕方がないだ」
「なんであんたは農家になろうと思ったの?」
生まれたときから姫で、これから国を治めることしか教えられていないビオラにとって、他の仕事のことにはとても興味がありました。
「うーん、なんでだろな。野菜が好きなんだ」
「野菜?」
「そうだ。姫様、おらの野菜、食っただか?」
「そんなわけないじゃない。野菜なんて嫌いよ、大嫌い」
ビオラは苦いものが何よりも大嫌いでした。お城の食事の野菜も、かまずに飲んで、水で流し込んでいました。
「もったいないだ。後で台車に積んでる野菜食わしてやるだ」
「いいわよ、そんなの」
「まあいいだ。野菜が好きだから、農家になった。それだけの話だ」
「そうなの?」
「ああ、オラの両親は両方ともオラが十五歳くらいのときに死んじまっただ。だけど、親父の育てた野菜は、どこの八百屋にも負けないうまさだった」
「……お父さんとお母さん、いないの?」
「いないだ。今はオラ一人で暮らしてる。だからここにいても、誰も心配しない。仕事は毎回その場で受けて持って行くだけだから、抱えてるもんもなんにもないんだ」
「……ふーん」
「そしていつか、オラの野菜を使ったレストランを開いて、国で一番おいしい野菜レストランを作るのが夢なんだ」
夢を語るポタの姿を見て、ビオラはほんの少しだけ胸が苦しくなりました。そんなにハンサムでもなく、おなかも出ている間抜けな男のはずなのに、いつももよりほんのちょっぴりかっこよく見えました。
「まあ、姫様には無縁のことだ。姫様にはカッコいい王子様のほうがお似合いだよ」
「当然じゃない」
口ではそうビオラは言いましたが、なんだかカッコいい王子様のことなんかどうでもよく思えて来ました。この山の景色を見ながら、ポタとのんびり暮らす日常が、いつまでも続けばいいと思っていました。
そしてその日も釣りをするために、二人で川に向かっていました。
「姫様もだいぶたくましくなっただな」
「でしょう?」
お城では教えてくれなかったことを、ポタはすべて教えてくれました。そして一つ一つのことに驚きながら、ビオラはいろんなことを身につけていきました。
「最初は服が汚い、温かいシャワーを浴びたい、トイレが外なんて信じられない、なんて言っていたのにな」
「ほんとうよ、最初はこんなところにするんじゃなかった、帰りたいって何度も思ったわ」
「でも姫様、帰ろうとはしなかっただね」
「当たり前じゃない」
ビオラは少し間をおいて、うつむきながら言いました。
「王子様を待たなきゃいけないんだから」
「そうだな」
「それに、あんたみたいなおデブさんに、いっつも頼りっきりなんて、そっちのほうが恥ずかしいわ」
「あはは、姫様ひっでえ」
川にたどり着き、釣り糸を垂らしながら、魚をのんびりと二人は待っていました。ポタはビオラに尋ねました。
「そういえば姫様。王子様というか、国ではちゃんと姫様のこと、誘拐されたって、わかっているんですだ? もしかしたら家出って思われているかもしれないだよ」
「そこら辺は心配ないわ。ちゃんと書置きを残してきたから」
「ほほー、それはどんなものですかい?」
「姫は誘拐させてもらった、見つけてみろ、ってね」
「安直な内容だなあ」
「わかりやすくていいじゃない」
そうビオラが笑うと、釣り糸がピクンと動きました。
「お、かかっただか?」
「みたいね、これは大物よ」
ぐっと力を入れた瞬間、糸を引く魚の力も強くなりました。バランスを崩したビオラは、そのまま川のほうへ倒れこみ、ばしゃんと音を立て、落ち込んでしまいました。
「姫様!」
「た、たすけて!」
溺れるビオラを助けるため、ポタは川に飛び込みました。底は案外深く、ポタでもつま先がつく程度でした。流れは速く、ビオラはどんどん河口まで流されていきます。ポタは息を止め、水の中にもぐり、両手両足を駆使しながら、必死でビオラを追いかけました。ビオラは溺れるさなか、伸びている小枝を見つけ、ぐっと手を伸ばし、つかみました。しかし頭が後ろにそれ、ゴツンと岩に頭をぶつけ、ビオラはそのまま気を失いました。