お姫様の決断
ビオラはうんざりしたように、ポタの背中を蹴りました。
「いてっ!」
「質問攻めは嫌いなの。ついたら教えるわ。さあ、早く行きなさい」
そう言うとビオラはまた布の下にもぐりこみました。ポタはしぶしぶ台車を動かします。草原の先にはタンザ山が高々と天を貫くようにそびえていました。ビオラは城という堅苦しいところから離れて、いろんなことを体験してみたいと感じていました。山の中で小鳥たちと一緒に、木の実を食べながら、穏やかな時間を過ごす。なんて素敵なことでしょう。そんな計画を、ポタに会ってからずっと練っていたのです。場所を具体的に考えていたらもっと完璧だったのでしょうが。
山道にさしかかり、道が悪くなります。ガタガタと音を立て、台車は激しく揺れました。
「もうっ、痛いわねえ、へたくそ」
全身が痛む中、ビオラはそう悪態をつきました。
「そんなこと言ったって、こんな道なんですぜ。姫様こいつは降りたほうが痛くないかもしれません」
「こんな恰好で、しかもはだしで私に歩かせる気?」
ビオラは、はだしの小さな足を布から出して、バタバタと動かしました。ポタはそれもそうだと諦め、重い足を動かしながら、なるだけ平らで石の少ない道を選び、歩きました。夜の闇はだんだんと薄まり、東の空がほんのりオレンジがかっていたころには、ビオラはすやすやと寝息を立てていました。
ビオラは夢を見ていました。お父さんとお母さんの夢でした。
太陽が真上に上ったころ、ビオラはようやく目が覚めました。
「うん……ここは?」
ほほに当たっていたのは台車の板の感触ではなく、ふわっとしたお布団のような、やわらかいなにかでした。ビオラの鼻をなにか細いものがこしょこしょとくすぐります。
「へっくちゅん!」
「あ、起きたましただ?」
ビオラは眠い目をこすりながら、体を起こすと、ポタが両手いっぱいに果物や木の実を抱えていました。おなかもいつもより膨らんでいます。
「……おなかにまで詰め込むのね」
「結構服の下って便利なんですぜ?」
部屋を見渡すと、マキが積まれていたり、果物や野菜が詰められた籠も置いてありました。自分が寝ていたところに目を向けると、わらが敷き詰められていました。即席のベッドにしてはなかなか寝心地は悪くありません。
「この遺跡の周りにな、木の実や野菜や果物がたっぷりあっただよ、川も近くに流れていただ、魚くらいは釣れるかもしれないだよ」
ビオラはぐっと伸びをして、あくびをしたあと、今がどんな状況なのか、ゆっくりと思い出してきました。
「あ、そうか、私誘拐されたんだ」
「誘拐、させたの間違いな気がしますが」
ビオラはポタの反論には耳を貸さず、籠の中のリンゴをまじまじと見ました。
「おいしそうね」
「だろ? これでも農家なんですだ。果物の善し悪しくらいはわかるだよ」
「で、どうやって食べるの? これ」
ビオラは今まで切られたリンゴしか食べたことはありません。いつもシェフに切ってもらっていたのです。このまま食べるという考えは出て来ませんでした。
「姫様、ナイフは使ったことあります?」
「ないわ、あたりまえじゃない。怪我なんてしたらどうするのよ」
「怪我をしないように使えばいいだけだ」
ポタはポケットから小さなナイフを取り出し、ビオラに差し出しました。
「これを、どうすればいいの?」
ポタはにやりと笑い、もう一本ナイフを取り出しました。そして籠から一つリンゴを取り出し、皮をシュルシュルとむき出しました。一本になった細い赤い皮が、ゆっくりと伸びていき、やがて白いリンゴの実だけになりました。そのリンゴをまな板で小さく、一口サイズに切り分け、ひょいとつまみ、口に放り込みました。
ビオラはそのナイフさばきに驚き、言葉を失いました。
「さあ、やってみるだ、姫様」
その日ビオラはナイフを使ってリンゴの皮を剥く作業に一日を要しました。どんなにやっても実が一緒に削れ、一本の皮になることはありませんでした。
「……なに、農家って人はみんなこんなことができるの?」
「当たり前だ、これくらいは朝飯前ですだ。ていうか町の人はみんなできるはずですだ」
ビオラはあきらめてナイフを壁に叩きつけました。
「で、姫様、そろそろきかせてくれないだか?」
ぐったりしたビオラに、ポタはそう声をかけました。
「なにをよ」
「オラに誘拐させた理由ですだ」
ビオラはふてくされた顔で話し始めました。
「おとぎ話のお姫様ってのはね、悪い奴に連れさらわれて、そこにカッコいい王子様が登場して、その人と結ばれるのよ」
「まあ、確かにそんな話は多いだな」
「でしょ、だから、実行したの」
「なんだって? つまりオラは悪者か」
「そういうことね」
ポタは話を聞きながら、火打ち石で火をつけることに成功し、火種の草に燃え移らせ、小枝で小さな焚火を立てました。
「王様や女王様、心配してるだろうなあ」
「お父様とお母様? そんなわけないじゃない」
いつも仕事にかかりきりだった王様と女王様は、ビオラとの時間があまり作れていませんでした。ビオラはいつもメイドのアリアと遊ぶか、お人形や小鳥や、木登りだけがお友達でした。
「もういいの、心配くらいすればいいわ」
「ふーん」
さっきまで苦笑いを浮かべていたポタは、だんだんと真面目にビオラの話を受け止めるようになりました。
「わかっただ」
「なにが?」
「姫様の王子様、見つけるお手伝い、させてもらいますだ」
ビオラはその言葉で、胸のあたりがポカポカとあたたかくなりました。夜はあたりを闇に包みましたが、ポタといろんな話をしていたので、なかなか眠ることができませんでした。
三 まっていたのに
ビオラの国にあるタンザ山。そこにある遺跡にビオラとポタはいました。その遺跡は別名空中都市とも呼ばれ、人々から神聖な場として扱われていました。
「まるでおもちゃの家を並べたみたいね」
と、ビオラは言いました。
「どうしてですだ?」
ポタはビオラと遺跡を歩きながら尋ねました。
「だって、天井がない岩の家がほとんどよ。まるでおもちゃじゃない」
「確かに言われてみればそうですな。オラたちがいるところはたまたま天井がありますけどね」
遺跡はとても高い所に位置していて、雲と同じ高さに二人はいました。
「ここなら雲に触れそうね」
「おや、姫様はご存じないんですか?」
「なにが?」
「曇ってのは空気みたいなもんで、触ろうとしても手がすり抜けちまいますよ?」
ビオラは間違いを指摘された羞恥心を抑えるため、ポタの足を踏みつけました。
二人はあの夜から十日、奇妙な共同生活を送っていました。
最初のころ、ポタが釣りに行くと言ったときです。
「釣りって、みんなできるもんなの?」
「まあ、たいていの人は、知ってるだね」
「ふーん」
「まあ、おとなしく待っててもいいですだよ?」
その時ビオラは考え込んだのち、重い腰を上げました。こんな間抜けな男になんでも任せきりなのは、どうにもしゃくだったのです。
ポタはビオラに釣りを教えました。