お姫様の決断
兵士は気持ちのいい返事をして、倉庫までほうきと塵取りを取りに走って行きました。
「姫様、あなたって人は」
ポタはまるで神様でも見たかのように、膝をついて手を組み、ビオラを拝んできました。その滑稽な姿に、ビオラはまた気分をよくしました。
「感謝しなさいよ、今まで誰かが割って、死刑になったとかは聞いたことはないけれど、誰かに褒められることではないと思うからね」
「ありがとうごぜえます! この恩は、この恩は一生忘れねえです!」
ポタはさっきよりも深く頭を下げ、涙声になりながらビオラに感謝の気持ちを伝え続けました。
「ええ、ほんと、感謝してもらいたいわね」
「おっしゃるとおりです!」
「私がいなければ、どんな罰を受けさせられたことやら」
「まっことおっしゃるとおりです!」
「言葉だけで感謝されてもねえ」
「いいえ、もう、言葉じゃ足りねえほどです!」
「そうね、言葉じゃちっとも足りないわ」
「ええ、姫様がお望みなら、どんなものでも差し上げますだ! と言ってもおらには野菜くらいしかありませんが」
「物ねえ、ふーん」
「いいえ、そんなめっそうもない! 姫様のこの恩のためあらば、このポタ、どんなことでもします!」
「どんなことでも?」
ビオラは待っていましたと言わんばかりに、にやりと悪魔のように微笑みました。
「ええ、どんなことでも、なんでもいたします!」
「言ったわね?」
「ええ、言いました!」
「じゃあ、そうねえ」
ビオラは、ふむふむと顎に手を当て、目を閉じ、言いました。
「今夜、ちょっとお願いしたいことがあるの。私の部屋はこの城の二階の一番西側の部屋なんだけど、ちょっとそこのあたりまで来てもらえる? 十一時くらいでいいわ」
「今夜の十一時、ですか?」
ポタは、ビオラの言葉に頭をひねりました。
「いいから言う通りにするの、お皿の件、お父様に言いつけてもいいのよ!」
そう言うとポタはあわてて首を横に振り、わかったわかったとビオラの要求を受け入れました。
「わかればいいのよ、あ、それと大きな台車みたいなのがほしいわね。いつも野菜を運んでるなら、それくらいあるでしょ?」
「え、ええそれくらいなら、で、でもどうして」
「いいから、わかった?」
ビオラのあまりにも唐突な要求に釈然としないまま、ポタは頷きました。ポタはそれから腰を曲げ、のそのそと落ちたトマトを拾い始めました。
「よかった、どこもいたんでねえみたいだ」
「これ、あんたのとこの?」
「そうです、この国一番の自信がありますぜ」
ビオラは一つ拾ってみました。赤くてかてかと陽の光を反射し、瑞々しさにあふれているように見えます。ですがビオラは、野菜があまり好きではありませんでした。
「あの」
「な、なによ」
トマトに見とれていたビオラは、ポタの声かけに驚き、あわててトマトをかごに放り込みました。
「もしよかったら、一つ食べてみます?」
「あ! 姫様!」
ポタに返事をする前に、嫌な声が聞こえた、とビオラは思いました。背後にいるのは振り返らなくてもわかります。眼鏡をかけたカマキリのようなバイオリンの先生です。
「何をなさっているのですか! お稽古の時間はとっくに過ぎていますよ!」
ビオラはしぶしぶバイオリンの稽古に向かいました。それでも心の中は今晩の計画のことでいっぱいでした。
二 こうすりゃいいのよ
その日の夜です。ポタはビオラの要求通り、城の一番西側の部屋の真下にやってきました。横には窓まで届きそうな、大きな木が伸びています。ポタはビオラのいるであろう窓を見つめていると、ガラッと窓が開きました。ふわりと金色の長い髪がなびくとともに、ビオラ姫が顔を出しました。
「姫様、こんばんはです!」
「声が大きいわ、ちょっとそこで待っていて」
ビオラはそう言うと、部屋のそばまで延びている大きな木にがさっと猿のように飛び移りました。
「ひ、姫様! 危ないですぜ、なにしているんですだ!」
「うるさいわねえ、ちょっと黙っててよ」
ビオラは自分が今寝巻のネグリジェを来ているのは気にも留めずに、枝から枝へと足を乗せ、あっと言う間に地上へと降り立ちました。
「どう? なかなかのもんでしょ」
腰に手を当て、はだしのままで得意げに言いました。
「危ないですよ! 怪我でもしたらどうするつもりだったんですか!」
「大丈夫よ、もう何度もやってきたことだし」
「よくとめられませんでしたねえ」
「止められたから夜中にやってるの」
上品に生きることを強いられているビオラにとって、夜中こそが本当の自分がさらけ出せる、大切な時間でした。
「それで、姫様、なんでおらをこんなところへ?」
ビオラは笑って言いました。
「決まってるじゃない、私を誘拐するためよ」
ビオラの言葉に、しばらくポタは固まりました。口はあんぐりと間抜けに開き、ヨダレが今にもたれてきそうでした。
「はい?」
われに帰ったポタは、ようやく質問をすることができました。
「すいません姫さま、もう一度仰っていただけますかい?」
「聞こえなかったの? 耳が遠いのね」
「いや、そういうわけじゃあないと思うんですけど」
「じゃあもう一度言うわね、私を誘拐して」
ポタはまたしばらく固まり、そして。
「ええー! そそそ、そんな、まさか、えー!」
あまりの予想外の言葉に、ポタは声を荒らげました。ビオラは慌ててポタの口を塞ぎます。
「声が大きいわ、さあ、ぐずぐずしてないですぐに出発よ」
ビオラはそう言い、さっさとポタの持ってきた台車に乗り込み、カバーをかけました。
「ここ、困るだよ姫さま! 大体誘拐なんて、どこに、それにバレたら、おら……」
「なんでもするんじゃなかったの?」
押しに弱く、頼みを断れないのは、ポタの素直でいいところでしたが、それは欠点でもありました。しかも、「なんでもする」などと言ってしまったのです。約束を破ることは、心優しいポタには、できませんでした。
「……わかりましただよ」
ビオラはにんまりと悪魔のような笑みを浮かべました。そしてポタは、来る時よりもほんの少し重たくなった台車を、重い足取りでごろごろと引きずりました。
「重たい野菜だな」
「なんか言った?」
不意に漏れた言葉を指摘され、ポタは口をつぐみました。台車を引きながら城門をくぐりぬけ、町を歩き、町はずれの草原にまでやってきました。月はいつの間にか真上に来ていました。月明かりがポタとビオラのいる台車を静かに照らします。
「で、姫さま」
「なによ」
じれったそうにビオラは言います。
「誘拐って、どこにですだ? おらん家は無理ですぜ? 狭いしちっさいし、すぐにばれちまいます」
「そんなの自分で考えなさいよ。私だって急遽思いついたんだからそんなの考える余裕はないわ」
やれやれとポタはため息をつきながらあたりを見渡しました。
「じゃあ姫様、あの山なんてどうですだ?」
ポタが指差したのは、この国で最も高い、タンザ山と言う山でした。そこにはかつて町だった遺跡があり、生活には適しています。
「へえ、いいセンスじゃない、さっさと行くわよ」
「いやでも、どうしてこんなこと」