勇者タローと妻ラリ子~暴走協奏曲~
「でもなぜきみが、お兄ちゃんの、これからつけようとしていた子供の名前を知っているんだ」
ユースケはそれまで険しかった表情を、少し緩めると、
「それは、俺自身がお前の兄、ヒロシだからだよ」
と、自分の正体を明かすのだった。
「にいちゃん!? でもなぜその姿に」
ヘルギくんは私たちの事情がのみこめめなかったようで、しばらく目を見張りながら様子を見守っていた。
「もう、戻れないんだ。お前の世界にも、そしてここからも消えなければならない」
「だからどうして」
「悲しいことだが・・・・・・クロノが、私の命と引き換えに、願いをかなえてくれたんだよ・・・・・・。私はこの世界で覇者になれるとクロノは約束してくれた。だが、現実は違うじゃないか。そのグラムは、クロノの魔力そのもの」
ヘルギくんは私の顔を見つめた。それから、ユースケに向き直り、
「バカだな、お前」
ユースケ、いや、私の兄に対して、ヘルギくんはつぶやいた。
「悪魔に魂を売ったのか。・・・・・・お前はバカだよ」
「クロノは悪魔じゃない!」
兄の声は、涙声に変わっていた。
「兄ちゃん・・・・・・」
彼は私にいつも言っていた。
俺に子供ができたら、ユースケとつけるんだよと。
理由は、勇気のある子に育って欲しいから、といっていた。
「兄ちゃん自身が壊れては、いけないじゃないか。俺と元の世界へ返ろうよ。母さんもきっと、待ってるよ」
兄は母と一緒に外国で暮らしていた。日本にいたのは私だけで、兄と連絡も交わさなかった数年で、いったい何があったのか聞きだしたかった。
「何があって、こんなことを」
私は、兵隊たちの傷ついた姿を見回し、焼け野原になったテオドリクス王の砦を眺め、兄に言った。
「俺と母さんは、事故にあって何年か前に死んだのさ」
私は全身から血の気が引く思いで、兄の言葉に聞き入っていた。
「死んでからもなお、お前にだけは会いたかった。だから、クロノにかなえてもらったのに・・・・・・。俺にはもう、戻るべき身体なんてない。だから、時々暴走する。止められるのは、お前だけだ。もう、死なせてくれ。その一心で、グラムを与えたのに・・・・・・」
「兄ちゃん!」
傷ついたテオドリクス王が、腕を押さえて起き上がり、私とヘルギくんを、剣で自らの身体を支え、見据えていた。
だが、今は彼だけの心配はできないでいた。
「クロノってヤツは、何をたくらんでいる?」
ヘルギくんが地面へつばを吐き、兄に尋ねた。
「わかっているのは、ヘルギ、お前の世界を破壊して、自分だけの理想郷を創造することだと・・・・・・」
「理想郷!?」
ヘルギくんは首を振るった。
「クロノは、俺の命だけじゃない。ほかの英雄の命も欲しがっている。やつを止めないと大変なことに」
「兄ちゃん、なんてことを」
兄は、すまないとだけ言って、うつむいたままだった。
「落ち込んでる場合か」
ヘルギくんは兄を励ます。
「タロー、いくぞ。俺のグラムを改造しやがって。クロノだと? クロノスの分身だと?」
「負けられないね」
結局、戦うことになったか。私は眠たい目をこすった。
「オッサンは疲れてそうだから、寝てればいいのに」
ヘルギくんは皮肉を言ったが、兄の敵をとらねば。
「寝てばかりいたら、世界が救えない」
なんというのだろう、爽快感? 使命感? 言葉などなんでもよかった。
久しぶりだった、こんな快感を覚えるのは。
起き上がったテオドリクス王は、立派な王家の剣を私によこした。
「持って行け、今の私には加勢がしたくてもできぬ。それに、お前を無理やり傭兵にしてしまった、詫びも含めてな」
「陛下・・・・・・」
こんなとき、誰かの励ましというのは、胸にぐっと来るものだ。
「ありがとう、陛下」
私とヘルギくんは、剣を腰に差し、クロノを捜しに町へ出たのだった。
どこにいるんだ、クロノ――!
ところが、我々が出かけて行った後、宰相は反乱を起こそうと、前々から企てていた計画を実行していた。
テオドリクスがぼろぼろになりつつあった城内に戻り、ランゴバルドの名を呼ぶと、ランゴバルドは王を軽視した発言を、本人に向ける。
「ランゴバルド? おぬし、気でも触れたのか」
「笑止」
宰相はクロノを味方につけていたのだ。
王は宙に浮かぶその少年を恐ろしげにただ、見据えるだけだった。
「そ、その子供は!?」
「ヘルギ王子らが血相変えて捜していた、悪魔の子だよ。テオドリクス」
なんとランゴバルドは、テオドリクスを呼び捨てにした。
あの、フランスの伯爵ミラボーがかつて、ルイ十六世を蔑んで「ルイ」と呼んだように・・・・・・。
「気が触れたのではない。王よ、よく聞け。わしはお前に忠誠など、これぽちも誓っちゃいなかったのだよ。わはははは!」
「く、狂っている・・・・・・貴様は狂っている。ランゴバルド! 余は、余は、お前を信じていたのに。だからこそすべてをあずけていたのに!」
ランゴバルドは王にためらいもせず、剣を逆向きにかまえ、振り下ろそうとした。
「さようなら。王よ」
テオドリクスは観念し、瞼を閉じた。
これらはロゼッタから聞いた話だが、おそらくランゴバルドは、兄のごとくクロノに命を売ったのだ。
現代人は悪魔など信じない。したがって、悪魔に命を捧げるようなことはしないだろうが、古代や中世では、ごくありきたりだったそうだ。
兄がいつも西洋の昔話を読んでは、私に言っていた。
まったく、ばかばかしいとしか言い様がなかった。
私にとってはくだらないことだったのだ。
悪魔や神に願い事をかなえてもらったところで、その後に努力を忘れてしまっては、いつか得た富は失せるだろう。
なぜなら、得た財産の使い道がわからないからだ。
苦労を積み重ねて得た富ならば、それまでの経験を生かすだろうから、失うこともない。
私は、だからこそ、そんな迷信じみたアホらしい存在は、信じなかった。
しかし兄は迷信とも思える神を心底信じてしまっていた。
それがなぜ、悪魔信仰に切り替わったのか・・・・・・きっと、事故に遭う前、何かあったのだろう。
「待て、タロー」
ヘルギくんが馬の手綱を引くと、テオドリクスの城を振り返って、いやな予感がするといった。
「戻るぞ」
古代人てのは、勘がいいのかね。
私も乗りなれない馬の鞍につかまりながら、野原を疾走する。
「オッサン! そんな乗り方じゃ振り落とされるぞ!」
ヘルギくんはさもおかしそうに笑った。
くっそー、見世物じゃないやいっ!
「オッサン、そんな乗り方じゃ振り落とされるぞ」
英雄王子のヘルギくんが、意地悪そうにケタケタと笑う。
「私は馬なんて乗ったことないんだから仕方ないだろう」
馬の首根っこにつかまるだけで、精一杯なんだよね。
ああっ、もう!
「しょうがねえなぁ」
ヘルギくんは馬を下りて、私を自分の馬に乗せて鞭をうった。
作品名:勇者タローと妻ラリ子~暴走協奏曲~ 作家名:earl gray