即興小説掌編集
シーム
電話があったのは真夜中だった。闇の中で乱暴な光を放つスマートフォンを少しだけ不気味に感じたのはそこに表示されていたのがもう六年も連絡がなかった友人からだったからだ。いつもだったら真夜中の電話は無視してしまうのにこの日出たのは、脊椎反射のようなもの、としか言いようがない。
十二年前の夏の日に出会って、六年、お互いに寄りかかり続けていたのにある日を境に会わなくなり、六年、一度も連絡がなかった。
最初は心に開いた風穴を塞ぐのに精いっぱいだったけれど次第にいろんなものがその穴の中に入ってきて乱暴に埋まっていった。できた隙間でときどき思いだすことはあったけれど、その隙間もまた別のものに埋められてここ最近ではもう思い出すことがほとんどなくなっていった。
電話の向こうではあまり変わらないのに、やはりどこか会話がかみ合わなくなっていて、同い年のわたしたちの時間軸は、知らぬ間に恐ろしい速度でずれているという事実を受け入れざるを得なかった。見て見ぬふりをしようとしても、話せば話すほど、なにを話せばいいのかわからなくなって空まわる。会う約束だけを取り決めて、電話を切った。
出会って三年目の夏の日、昇降口を出ると蝉の死骸が裏返っていた。生きている虫は平気なのに、それが死骸になると途端に怖くて仕方がなくなる。それはどうしてなのかわからないが、胸が痒くなり、息が浅くなり、見ているのがつらくなる。だから標本など苦手だ。
わたしが見て見ぬふりをして通り過ぎようとすると彼女がその翅を掴んで、持ち上げ空に翳した。
「なにしてるの?」
黙って見つめる彼女を、西日が柔らかく包み込んだ。長い黒髪に均一に光が当たり、死骸を持つ指がとても特別なもののように感じた。そのまま彼女は歩きだし、花壇を見て歩いた。真っ白な百合の花の前で立ち止まった。
「この花が一番きれいだね」
その土をどけて死骸を埋めた。
そのまま、何事もなかったかのようにいつもの帰り道を歩いた。どうしてそんなことをしたのか訊かなかった。でもたぶん、わたしも、死んだ後にきれいなものの養分になったらいいだろうと考えた。この子はたぶんひとと違うんだ。この子と友だちになれてほんとうによかったと素直に思えた。そのときは。
六年ぶりの再会はあっけなかった。六年間、毎日ベッタリだったのだから、六年ブランクがあってもまったく変わらないだろうと信じたいじぶんがいたけれどやっぱりその六年の間、お互い知らないひとの匂いと色が混ざり合い、沁みついていた。なにを話せばいいのかわからなかった。
彼女はいろいろ教えてくれた。前の仕事のこと、付き合っているこいびとのこと、最近飲んでいる薬のこと。悪夢。
ひとつひとつ頷きながら、どこかむかしと違う表情のつくり方をする彼女のことを、もう六年前と同じひとと思えずにいた。
わたしが彼女の憂鬱感を吸いとれるほど優しくて、彼女が落ち込んだとき気を紛らわせるくらい面白い子だったら、たぶんこのひとがこんなになるまで傷をつけずに済んだはずだ。そうやって彼女と会えなくなってからずっとじぶんの心に小傷をつけていた。
歩きながら話す帰り道、蝉の死骸が転がっていた。彼女は一瞥し、なにごともなかったかのように通り過ぎた。わたしは立ち止まり、死骸を眺めた。胸が圧縮して、呼吸が薄くなったのは、もう死骸が恐いだけのせいではなかった。