即興小説掌編集
顔相
毎日おんなじ電車に乗っていると、毎日おんなじひとを見かける。毎日同じひとが同じ席に座っているわけじゃない。ぼくは毎日ボックス席のサイドに配置されている二人掛けの席に座っていた。そして、彼女はその向かいに座る。年齢は二十歳を超えたくらいで、基本的にミニスカートを穿いていた。座ってすぐに鞄からポーチを取り出し、コンパクトを開き、謎のクリームを塗り、ファンデーションを塗っていく。アイラインで輪郭を補強された彼女の目は強みを増し、なにも施していない状態よりも目は大きく見える。電車が停車駅に停まるたび、ひとが増えていき、彼女は隠される。終着駅に着くころ、ぼくの目の前の席から立った女性は、別人のようだった。服装を覚えてさえいなければ別人だと思うかもしれないが、服装と髪型を記憶から照らし合わせればそれは同一人物だとわかる。
おんなじ会社に勤めている女性は皆、きれいに化粧をしている。彼女たちが優しく微笑むたび、他人のミスを咎めるたび、己のミスを悔しがるたび、変わっていく表情を眺めながら、その下の素顔を想像していた。黒々とした睫毛のひとつひとつ、目の下のクリームに、そんなに深い意味があるのだろうか。男たちはみな、顔に何も施すことなく生活している。そのうえで、女性を激しく選別していた。無意味だなと、思っていた。化粧をしている女性のことも、うわべで女性を分別する男性のこともなんだか浅く感じていた。
次の日も電車に座りながら、隠されるまで彼女のことを眺めていた。朝寝坊なのか、電車を降りたあと化粧をすることができないのかわからない。もしかすると僕に見せているのかもしれない。どうしてそうまでして自分の印象を変えようとするのだろうか。別人になった彼女は、電車に乗ってきたときよりも美しいかと訊かれれば別に大差ない気がした。むかし付き合っていた女性はぜったいに素顔を見せようとはしなかった。表面をどんなに覆っても、隠しきれないもの、にじみ出てくるものがある。ぼくはあまり鏡を見ないが、自分の顔にも自分のいやらしさや毒々しさなどがにじみ出ていることだろう。むしろ化粧をして隠すことによって女性が恐く思える。
電車が終着駅に停まる。強制的に排出されるひとびとは改札を出たり、別の電車に乗り換えたりする。早歩きで彼女を追い、ぼくはその顔を覗き込んだ。
「なに?」
はじめてきいたその声は思った以上に無愛想で、野太く、聞いて損をしたと思った。
「その化粧、似合ってないですよ」
なんでそんなことを言ったのかわからないが、彼女の顔を見てそう呟いていた。彼女は血相を変え、早歩きで去って行った。周りのひとの軽蔑するような視線を浴びながら、乗り換える電車のホームに向かい、電車を待った。周りは嘘くさい顔ばかりだった。