麗子
「分かっているの……」
二年前、失った恋人。
受け入れられずに夢ばかり見た。逃げていた。今眠るのはぬいぐるみ。等身大のウサギのぬいぐるみ。恋人……彼女が誕生日にくれた。
ずっとずっと無音のこの部屋で、感情の無い綿のいる部屋で、それでもぬいぐるみには魂が宿っていると信じて話し続けてきた。
彼女から来た手紙は記憶の底に落としたはずだった。さっき、女王の声が砂糖の様に甘く落ちていったその場所に。
「もう許して差し上げなさい」
手紙には『別れ』の文字が記されていた。『好きな人』『その男性は』『ごめんなさい』『やっぱり私は』ばらばらになったそれらの文字が再び脳裏に来て、涙を流した。
初めて全てを……それは恋人からしたら一時的な情熱でしかなかったのだ。
「そこからもう貴女は自由になれるはず」
「怖かったの……ずっと、彼女が去って独りになったことを受け入れるなんて」
麗子は美しかった。だが、男の持つ安定感には勝てなかったのだ。深く傷つき、恋人を狂うほど愛していたのだと分かった瞬間、取り乱すことさえ出来なかった。そこはかとなく静かにそっと狂っていくという現象。
それを脱しなければならないのだ。
麗子の手に蘇ったのは二人の小さな子供のぬくもりだった。それはもしかしたら麗子がウサギのぬいぐるみに心で問い続けた言葉が実ったものだったのかもしれない。本当は早く自身を取り戻したいと。
瞑想は癒しと真理を与え届けてくれたのかもしれない。
彼女は無音の部屋を見回した。何も無い。兎のぬいぐるみは一点を見ている。
それを抱き上げ、運んだ。
ホールに来ると、兎を置く。
彼女はいつもの場所に座ってクリスタルボウルを鳴らし始めた。そっと、マレットでボウルの縁を撫でていって、耳奥と身体にボーウ……という音が浸食し始める。目を開けるとぬいぐるみを見る。
もう人形遊びはお仕舞い。
無音と記憶だけの部屋にいたあなたはこれから多くの音を受け入れなさい。綿に詰めてあげる。ここまで共にいてくれてありがとう。これからは、新しい愛を探すわ。
兎のぬいぐるみは音の反響するホールで一点を見つめ続けていた。ただただ無音に慣れきったかのように、ただただ、静かに、聴いていた。
無音の空間では無音な程感情が喋りかけ、瞑想の時間は無心から始まり、そして愛の時間は愛の序から終わりまでを愛の言葉が氾濫していた。だが、終焉を迎えた瞬間ガラッと音を立て、途端に無音へとなったのかもしれない。
だから新しい愛の序は、今度こそは……。