麗子
聴こえたの……。天の旋律。木霊の様に。
眩い雲は光り、どこからとも無く吹き鳴らされるファンファーレ。盛大に。
それは天の雄叫び、そして世界の慶び。
神々しく太陽は鋭く、そしてなおも柔らかい光りを射し広げて大地の原を黄金色に染め上げた。
風でうねる髪が頬をなぶる。耳元に掌を当てて、その音を聴く。
誰かが歌っている。盛大に美声を轟かせている。ゴオォン……と打ち鳴らされる真鍮ゴング。重なるあの声。
どんどんと波紋の様に遠くへ、遥か遠くへ向かってゆく旋律と唄。
誰を誉れに謳うのか。世界が為に詠っているのだろう。
睫が光り目を開いた。
巨大な女性が地平線にいる。とても見上げるほど巨大な女性だ。切り立つ崖の様に大きな。彼女はアルビノ。純白の肌に、白の髪、そして目元は擦り切れた布で目隠しがされ長い髪と共に靡いていた。白い衣は揺らめき、彼女は言葉ともつかない唄を謳っている。手にはクリスタルが吊るされ、鉄の棒でそれを鳴らしている。澄み切った旋律。木霊の様に世界に響いていたのはこの音色だったのだ。
ドウゥン……再び、腹に据えて響くような真鍮ゴングの音が加わった。
黄金に光る草原で振り返ると、背後は暗雲立ち込めた荒れ狂う原になっていた。青いイカズチが鋭く走って行き、そして同じく巨大な女性がいた。まるで鏡の様に。
その女性は黒い衣をなびかせ、黒い髪を長く棚引かせて口許を鋭く結んでいた。そして片方の目は黒の眼帯がはめられ、とても冷たく見下ろして来ている。その彼女の威厳ある風貌は巨大な真鍮のゴングを大きなバチで鳴らしていた。それごとに余波が空間をどよめかせて波動が広がり、そして晴れた側の世界へ轟く頃には透明な余韻へと変わっていっている。
麗子のいる原が鏡となる部分なのだと気づく。
それは黒と白、悪と善、不安と美徳、刺激と安堵……何もかもが対を成すことの表れかの様に訴えてくる。
再び響くファンファーレ。
群青軍服で白馬に乗った騎馬隊達が吹き鳴らしている。鏡の境界線さえ越えて、左側から。目元は深く被った軍用キャップで暗くて見えないが、凛とした者達である。
咄嗟に振り返った。
その騎馬隊の正面とある方向に、城が緑の丘にそびえていたのだ。それは左右前方に金の支柱を置いて上部をアーチの装飾をいただいた向こうにあって、その左右の柱から固定されるように円盤が出ており金の像のバレリーナが左右で踊っている。二人の女性とファンファーレと混じるように微かにオルゴールの音色に合わせて。片方はチュチュ。片方はネオクラシックなエンパイアドレスで。
ファンファーレは城の主に向け演奏されているのだと分かった。正邪とも付けがたい二人の女性は世界に訴えているかのようだ。
麗子は城の方から馬車がやってくることに気づいた。
「ここは音の国。感情の世界」
何かの歌声が聞こえながら馬車が近付いてきた。そして、目の前で停まった。その金の馬車が。その光りで白馬の胴体も染まっている。
「いらっしゃい。麗子」
二人の子供が馬車から出てきて、彼女の手を引っ張って馬車に乗せてきた。
馬車は走り出し、草原から城へ向け丘を登ってゆく。
城へ到着した麗子はその空を窓から見上げながら進んでいた。ペガサスがいななき駈けていったりしていたのだから。
「よくおいでなさったわ」
女王が出迎えた。薄いピンク色の柔らかなエンパイアドレスで額に銀の星をつけた黒髪のウェーブかかる女性で、頬は薔薇色、唇は潤い、焦げ茶の瞳は潤っていた。その白人の女王が日本語で話したので麗子は咄嗟にスカートの裾を持ちお辞儀をした。
「ごきげんよう。素敵なお城へご招待いただきどうもありがとうございます」
もちろん、彼女が誰なのかは分からないし、女王と言うのも二人の子供から聞いたことだった。
「私が貴女をお呼びしたのは、貴女がクリスタルボウルとチベタンゴングによるメディテーション……瞑想に長けているからなの」
確かに、麗子は瞑想家であり何種類もの大きさの違うクリスタルボールやチベタンゴングでの瞑想を精神安静崇拝で行っている。それは自然的な力に帰依する瞑想。彼女の所持するホールで行われた。
「ここも瞑想世界なの?」
今までこのような空間に来たことも、具体的な人物が出てきて会話をすることも無かった。
瞑想の内の神秘世界なのだとしたら、あの二人の女性は麗子の精神の二面性のはっきりとした表れという事になる。意識世界が目覚め始めているという事だろうか。
過去を受け入れ精進するということ。
瞑想というものは使えるもので、国が変われば刑務所の受刑者達が広場に集められ、ヴァパッサナーの形で瞑想が行われる。彼らは瞑想を続けることで、心が穏やかになっていく事例があるのだ。
麗子はそれを知り、その後にチベタンゴングとクリスタルボウルを知り瞑想導入部として宇宙を形成させる立体音楽を習得した。自身の心が哀しみと云う巨大な波に押しつぶされて負け、闇へと落ちてしまった心を救いたかった。それが今では人を呼ぶようになり、多くの人が彼女と共にホールでおのおのの瞑想を行い、麗子のそれらの音の連なりに涙する者さえいた。
麗子の心もだんだんと少しずつ癒されかけたいた。だが、まだ辛いことに正面から向き合うことがどうしておできずにいたのだ。
二人の女性は正邪や善悪では無い。囚われた悲しみの体が孤高の怒りとなり、そしてその辛さから開放される時を待ちわびる自由と歓びの対極だったのだ。まだそれだから彼女の目には目隠しがされ、世界に優しくも光りに充ちた唄を轟かせてくれている。
まるで黒い女性は後押ししてくれる目の様に思えた。早く立ち直りなさいと。
「貴女はこれを探しに来たのです」
女王は美しく微笑み、彼女に美しい箱を差し出す。
「それは……」
それは……きっと。
「真実の箱」
女王の口許の動きが麗子の脳裏にゆるりとなだれ込み、さらさらと体に砂糖の様に落ち沈んでいくかのようだ。
「しんじつ」
麗子はその箱が女王により開かれることに、目がゆらゆらと揺れ始めた。
子供二人が彼女の手を握っている。
箱の中身は光りを一瞬発した……。
麗子は目を覚ますとホールにいた。
周りには大小さまざまなチベタンゴングやクリスタルボウル。まるで宇宙の核にいるかの様に自分が胡坐を描いて座っている。瞑想のためのポーズで、片手にボウルを鳴らすためのマレットを持っている。
目覚める刹那、自身が原を見下ろしていた。遥か高くから。それがどこからなのかが分からない。城からか、片目の見える黒髪の女性か、真実を見る覚悟が出来て目隠しが取れた白の女性か。
だが、麗子にはある勇気が出ていた。確実に。
「真実……」
麗子は立ち上がり、ホールから離れていった。
白い衣には窓からの青い月光が広がる。彼女の涙の頬にも。優美に巻かれたパーマは彼女の顔立ちを美しくする。
ドアを開ける。
そこは無音だった。耳が痛いほど閉ざされた空間。何も感情の無い所。
歩いていき、明かりの無い空間に白く浮く彼女がまるで妖精の様に進んでいく。寝台に来て、そして頬を当てる。
涙がぽたぽた流れた。
「ああ……」
震えて俯き顔が髪に隠れた。
眩い雲は光り、どこからとも無く吹き鳴らされるファンファーレ。盛大に。
それは天の雄叫び、そして世界の慶び。
神々しく太陽は鋭く、そしてなおも柔らかい光りを射し広げて大地の原を黄金色に染め上げた。
風でうねる髪が頬をなぶる。耳元に掌を当てて、その音を聴く。
誰かが歌っている。盛大に美声を轟かせている。ゴオォン……と打ち鳴らされる真鍮ゴング。重なるあの声。
どんどんと波紋の様に遠くへ、遥か遠くへ向かってゆく旋律と唄。
誰を誉れに謳うのか。世界が為に詠っているのだろう。
睫が光り目を開いた。
巨大な女性が地平線にいる。とても見上げるほど巨大な女性だ。切り立つ崖の様に大きな。彼女はアルビノ。純白の肌に、白の髪、そして目元は擦り切れた布で目隠しがされ長い髪と共に靡いていた。白い衣は揺らめき、彼女は言葉ともつかない唄を謳っている。手にはクリスタルが吊るされ、鉄の棒でそれを鳴らしている。澄み切った旋律。木霊の様に世界に響いていたのはこの音色だったのだ。
ドウゥン……再び、腹に据えて響くような真鍮ゴングの音が加わった。
黄金に光る草原で振り返ると、背後は暗雲立ち込めた荒れ狂う原になっていた。青いイカズチが鋭く走って行き、そして同じく巨大な女性がいた。まるで鏡の様に。
その女性は黒い衣をなびかせ、黒い髪を長く棚引かせて口許を鋭く結んでいた。そして片方の目は黒の眼帯がはめられ、とても冷たく見下ろして来ている。その彼女の威厳ある風貌は巨大な真鍮のゴングを大きなバチで鳴らしていた。それごとに余波が空間をどよめかせて波動が広がり、そして晴れた側の世界へ轟く頃には透明な余韻へと変わっていっている。
麗子のいる原が鏡となる部分なのだと気づく。
それは黒と白、悪と善、不安と美徳、刺激と安堵……何もかもが対を成すことの表れかの様に訴えてくる。
再び響くファンファーレ。
群青軍服で白馬に乗った騎馬隊達が吹き鳴らしている。鏡の境界線さえ越えて、左側から。目元は深く被った軍用キャップで暗くて見えないが、凛とした者達である。
咄嗟に振り返った。
その騎馬隊の正面とある方向に、城が緑の丘にそびえていたのだ。それは左右前方に金の支柱を置いて上部をアーチの装飾をいただいた向こうにあって、その左右の柱から固定されるように円盤が出ており金の像のバレリーナが左右で踊っている。二人の女性とファンファーレと混じるように微かにオルゴールの音色に合わせて。片方はチュチュ。片方はネオクラシックなエンパイアドレスで。
ファンファーレは城の主に向け演奏されているのだと分かった。正邪とも付けがたい二人の女性は世界に訴えているかのようだ。
麗子は城の方から馬車がやってくることに気づいた。
「ここは音の国。感情の世界」
何かの歌声が聞こえながら馬車が近付いてきた。そして、目の前で停まった。その金の馬車が。その光りで白馬の胴体も染まっている。
「いらっしゃい。麗子」
二人の子供が馬車から出てきて、彼女の手を引っ張って馬車に乗せてきた。
馬車は走り出し、草原から城へ向け丘を登ってゆく。
城へ到着した麗子はその空を窓から見上げながら進んでいた。ペガサスがいななき駈けていったりしていたのだから。
「よくおいでなさったわ」
女王が出迎えた。薄いピンク色の柔らかなエンパイアドレスで額に銀の星をつけた黒髪のウェーブかかる女性で、頬は薔薇色、唇は潤い、焦げ茶の瞳は潤っていた。その白人の女王が日本語で話したので麗子は咄嗟にスカートの裾を持ちお辞儀をした。
「ごきげんよう。素敵なお城へご招待いただきどうもありがとうございます」
もちろん、彼女が誰なのかは分からないし、女王と言うのも二人の子供から聞いたことだった。
「私が貴女をお呼びしたのは、貴女がクリスタルボウルとチベタンゴングによるメディテーション……瞑想に長けているからなの」
確かに、麗子は瞑想家であり何種類もの大きさの違うクリスタルボールやチベタンゴングでの瞑想を精神安静崇拝で行っている。それは自然的な力に帰依する瞑想。彼女の所持するホールで行われた。
「ここも瞑想世界なの?」
今までこのような空間に来たことも、具体的な人物が出てきて会話をすることも無かった。
瞑想の内の神秘世界なのだとしたら、あの二人の女性は麗子の精神の二面性のはっきりとした表れという事になる。意識世界が目覚め始めているという事だろうか。
過去を受け入れ精進するということ。
瞑想というものは使えるもので、国が変われば刑務所の受刑者達が広場に集められ、ヴァパッサナーの形で瞑想が行われる。彼らは瞑想を続けることで、心が穏やかになっていく事例があるのだ。
麗子はそれを知り、その後にチベタンゴングとクリスタルボウルを知り瞑想導入部として宇宙を形成させる立体音楽を習得した。自身の心が哀しみと云う巨大な波に押しつぶされて負け、闇へと落ちてしまった心を救いたかった。それが今では人を呼ぶようになり、多くの人が彼女と共にホールでおのおのの瞑想を行い、麗子のそれらの音の連なりに涙する者さえいた。
麗子の心もだんだんと少しずつ癒されかけたいた。だが、まだ辛いことに正面から向き合うことがどうしておできずにいたのだ。
二人の女性は正邪や善悪では無い。囚われた悲しみの体が孤高の怒りとなり、そしてその辛さから開放される時を待ちわびる自由と歓びの対極だったのだ。まだそれだから彼女の目には目隠しがされ、世界に優しくも光りに充ちた唄を轟かせてくれている。
まるで黒い女性は後押ししてくれる目の様に思えた。早く立ち直りなさいと。
「貴女はこれを探しに来たのです」
女王は美しく微笑み、彼女に美しい箱を差し出す。
「それは……」
それは……きっと。
「真実の箱」
女王の口許の動きが麗子の脳裏にゆるりとなだれ込み、さらさらと体に砂糖の様に落ち沈んでいくかのようだ。
「しんじつ」
麗子はその箱が女王により開かれることに、目がゆらゆらと揺れ始めた。
子供二人が彼女の手を握っている。
箱の中身は光りを一瞬発した……。
麗子は目を覚ますとホールにいた。
周りには大小さまざまなチベタンゴングやクリスタルボウル。まるで宇宙の核にいるかの様に自分が胡坐を描いて座っている。瞑想のためのポーズで、片手にボウルを鳴らすためのマレットを持っている。
目覚める刹那、自身が原を見下ろしていた。遥か高くから。それがどこからなのかが分からない。城からか、片目の見える黒髪の女性か、真実を見る覚悟が出来て目隠しが取れた白の女性か。
だが、麗子にはある勇気が出ていた。確実に。
「真実……」
麗子は立ち上がり、ホールから離れていった。
白い衣には窓からの青い月光が広がる。彼女の涙の頬にも。優美に巻かれたパーマは彼女の顔立ちを美しくする。
ドアを開ける。
そこは無音だった。耳が痛いほど閉ざされた空間。何も感情の無い所。
歩いていき、明かりの無い空間に白く浮く彼女がまるで妖精の様に進んでいく。寝台に来て、そして頬を当てる。
涙がぽたぽた流れた。
「ああ……」
震えて俯き顔が髪に隠れた。