言の寺 其の弐
探してる君を見つけた
小学生の時のこと。
通学路、確か土曜日の放課後、水たまりに青い空が写っていて僕は、その空を踏まないように歩いていた。と、公園があった。塗装の錆びたフェンス臭の向こうに、1m四方ほどのクローバーの群れ、何か予感がして、僕はランドセルをしょったまま、不法侵入でもないのにフェンスを乗り越え、クローバーに近づく、足下には雨を綺羅綺羅とくっつけたクローバーの国がある、必然、四葉のを見つけたくなった。僕はしゃがみこむ。大地の香りが鮮烈だ。どうもあって雨上がりには、世界中の匂いがキツい!
クローバーの葉には、うすらと浅葱色めいた斑があって、多分だがそれらはすべて一つとして、同じ柄のものはない。顕微鏡を持ち歩いてはいないが(弟は誕生日に望遠鏡を、僕は顕微鏡をねだって買ってもらっていた。今考えると、それぞれの性格だろう) きっとそうにちがいない。クローバーはすべてオリジナルなのだ。
三つ葉のクローバーは、当時の僕にとって十分に可愛らしい仕草だった。ときたま風に揺れ、雫をピングユラと揺らめかし、無数の気泡を葉と雫の間に挟み込ませてそれを、銀河のように見せている。
四葉が見つからないことに、僕は苛立ち、焦燥感はMAXとなる。毎度毎度そうだ。世界は僕を焦らせてばかり。僕だって明後日くらいには大人になってしまいたいのに、天体に運行ダイヤを乱れさせることもしないで、僕の気を責めてばかりいる。
諦めようかと思った「帰ろう」とした。と、僕の紡錘形の眼筋が収縮して、ギュンと映像を拡大し、異質な一本を見いだしたんです。
「それは双葉のクローバーでした」
唖然
慎重につまみとり、観察する。葉が切れ落ちた感じではない。生まれつきだろう。つまりホンモノだ。僕の込み上げる喜びに、カウンターでヒットする疑念。「これのメッセージはなんだ?」幸福なのか?いや、そうではないだろうきっと。
僕は未だに答えを知らない。
双葉のクローバーを指で遊びながら帰り途、叔母さんの乗った小さな車が僕を轢く勢いで、そばにブレーキをした。「コウちゃん、すぐ乗って!おじいちゃんが危篤なの」「キトク?」「死にそうなのよ!」
身内の誰かが死ぬということが初めてだった。僕の中で「人が死ぬ」とは物語の中だけのことだった筈だ。車が着く頃には、おじいちゃんはもう一生息を止めたままになっていて僕は、結局数日経ってから、どこかのタイミングで双葉のクローバーを失くしてしまっていたことに、気が付いたのです。
双葉が不幸とは思わない。それはハンディキャップでもなかろうし、葉に走る班がすべて独自性を持っていることに近い一つの特徴に過ぎない。だからあれに特別のメッセージはなかった。今では人は皆死ぬと分かったし。
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「ねぇ、見て」
と、君、世界一嬉しそうな笑顔で、僕の鼻先に四葉のクローバーを突きつけた、僕はーー
「世界で誰かが死んだかも知れない」
と、真顔で言ったのだが、君は取り合わない。
三つ葉のを見ても、どうせ僕は幸せだ。君がいるし。
いつかこのことを、おじいちゃんにも報告したい。
天体が運行を止めて、僕らに「お疲れ様」を言った後にね。