ジゴロウ
「きみの為じゃない、自分の為さ。自分の格好良さを演出する為に女をひきつけるんだ。いわば女なんて、奴には小道具に過ぎないんだよ。きみにとっては残念な話かもしれないけど」
「なんだか本当によくわからないけど」彼女は心底びっくりしたという顔で僕を見た。「あなたって、根っからのひねくれものみたいね」
「そりゃどうも」
「JKは素直よ。それに、ひどい寂しがりや。だからいつも私が側について見守っててあげるの。寂し過ぎると泣いちゃったりするんだから、朝起きたときなんかは特にね」
「へえ」
僕は疑いを隠さずに彼女を見た。JKと朝起きたときに一緒にいると彼女は言った。彼女がそういう世話をしている、つまり一緒に暮らしているという意味なのだろうか。事実ステディと言うのだ。二人の距離は遠くはないということか。いや、遠くないどころかかなり近いことになる。彼女は話を続けた。
「でも朝食の時間には機嫌が直るの。メニューはだいたいクロワッサンとエスプレッソ。ときどき湯剥きした丸ごとのトマトも食べるわ、黒コショウとオリーヴオイルをふりかけてね」
なるほど寝食を共にしているというのなら本物だ。僕は彼女をまじまじと見た。JKにつり合うかというとあまりに地味で想像できないけれど、でも意外とそういうものなのかもしれない。いつも周りに集まる女達が華か過ぎて疲れてしまい、本命は地味な子を選ぶのだ。
「ところで、コンタクトは見つかったの」僕は彼女の眼鏡を指さした。
「見つからなかったわ。でももともと私には似合わなかったから。あれはただ、JKと私を引き会わせるきっかけとして神様が使った小道具だったの、その為だけの役割だったのよ」彼女は『役割』と言うところでひとつ頷いた。
「つまり、きみは今はめでたくJKと一緒に暮らしている。だからコンタクトはもう必要ない。こういうわけだね」
彼女はゆっくりと顔を上げ、目を見開いた。驚いた顔だった。「暮らしてる?いいえ」
「だって今そう言ったじゃないか?」
僕は眉をぎゅっと寄せた。顔中のしわが眉に集まっているような気がした。
「そう思っただけ」
「思っただけ?だってJKは寂しがりだとか朝は泣いちゃうとか、まことしやかな話をさ」
「そんな気がしたの。それくらいわかるわ」
僕はぽかんと口を開けて彼女を見た。狐につままれた気分だった。
だが彼女の方はそんな僕の視線にはお構いなしに、傍らにおいてあった袋状のバッグから二十センチ四方程度の箱を取り出していた。
「そんなことよりもね、JKは私の作った生ハムのサンドイッチが大好物なの、クラシックバケットの」
そう言って、箱を開けて中身を見せてくれた。中には綺麗にラッピングされた生ハムのサンドイッチが二つ、並んでいた。大ぶりのピクルスもついていた。
「生ハムのメーカーもパン屋さんもきちんと決まっててね、その二つを合わせた、この私手作りのサンドイッチじゃなきゃだめなのよ。ときどき売り切れで別のを使うと、すぐにわかっちゃうんだから」彼女は母性に溢れた微笑みを僕に向けた。
僕は彼女の作ったという生ハムサンドを見て、彼女の顔を見た。
「それ、いつ渡すの」
しかし僕が質問すると、彼女は眉毛をぴくりと震わせ、硬直したように動かなくなった。目がジグザグに振れたあと、ぎこちなくサンドイッチの上に留まる。空気が変わったみたいだ。
「つまりJKはこれからやって来るのかな。あのバーか、あるいはこのピッツェリアに」
「それは……」
「だってきみは待っているんだろう、バーを見渡せるこの場所で」
彼女は何かを言いたそうにして口をもごもごと動かした。すると鼻に細かくしわがよった。神経質そうな、じれったそうな表情が浮かび上がる。だってきっと、とか、だからそれは、とか、つまりその、とかいう言葉が漏れ聞こえてきた。しかしどうしてもうまく言葉を接げられないのか、ついには黙り込んでしまった。ふいに思い出したようにカップを傾けるのだが、エスプレッソはもう残っていないらしく、カップを置くと彼女は居心地悪そうに視線をさまよわせた。
「別に待ってるわけじゃないの」言い訳するような小さな声で彼女はようやく答えた。「でもこれをあげると喜ぶんだもの。会えたら渡すの。それだけよ」
会えたら渡す?僕は辺りを見回した。いったい、彼女はいつからここにこうしているのだろうと思った。
テーブルの上のピザは口を噤んで硬くなっている。彼女はここで奴を待つ為に、テーブルを確保する為に、わざわざ食べたくもないピザを頼んだのだろうか。そうであるなら、これはばかばかしいを通り越して少し奇怪めいてくる:::。
でももちろん僕には彼女を責める気なんてなかった。来るか来ないかもわからないJKを待って生ハムサンドを抱えている彼女を、どうして責められるだろう?慰めるのも諌めるのも、意見を言うことさえできないのだ。僕はきゅうと胸が痛くなった。これはまるきり僕と同じだ。小夜子を待つ僕と同じ構図だ。生ハムサンドが、小夜子の好きな桃のタルトや子犬に取って替わるだけだ。
通りを歩く人はまばらになってきていた。ピッツェリアにはもう客は彼女と僕しかいなくて、店の中では店員が売り上げの計算をしているところだった。
シガーバーにも人影は見えなかった。相変わらず照明がきらりと光っているだけだった。
夜は群青を深くし星はまたたき、ガーゼを引き延ばしたような薄い雲があるかなきかに浮かんでいる。少し肌寒ささえ感じられる。でも彼女には帰る気配がなかった。
「ひとつ、教えて欲しいんだけど」僕はさっき悪態をついた星を探して言った。
彼女は通りを見ながらなに、と言った。
「あいつのどこが、そんなに好きなんだ?」
「チャーミングなあごのホクロ。セクシーな胸毛。黒コショウにいちいち咳き込むところも可愛いわ。映画なんかで動物が危険な目に会うシーンでは必ず泣いてるの、サングラスしたままね。わかる?」
僕は口の端を無理に曲げて、微笑んで見せた。
「非常に愛情深いながら押し付けがましくないっていうのが特筆すべき魅力なの。まだ言えるわよ。常に男らしく鷹揚で寛大でお洒落でユーモアが巧みで手が綺麗で肩回りの筋肉が整然としててヨットに乗るときの白いブラウスにシマのショートパンツなんて最高。エスコートの仕方はまるで風に乗ってるみたいに上手いし、それに」
僕はそれ以上の彼女の言葉をブロックするように手の平を向けた。「もう、もういいよ。もういい」
「でもこういうの、あなたに言ってもわかんないでしょうね」
確かにね。僕は頷いた。
「だってあなたの一番嫌いそうなことだもの。自分のスタイルと合わないと思ってるんでしょう、その頑なスタイルと」
「かたくなな?」
彼女は笑った。「子供なのよ」
「なんだよ、それ。なんなんだよ、子供子供って」僕はふて腐れた。
「でもなんとなく心当たりあるでしょ」彼女は僕の顔を覗き込んだ。「反発してるもの、あるのよ心当たり」
それについて僕は考えないことにした。彼女はまた通りに目をやった。
「ずうっとこうしてるとね、わかるのよ、いろんなことが。実にいろんな人がいろんな足取りで通るから。無関心な人、何かに夢中な人、悩みを抱えてる人」