小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
セールス・マン
セールス・マン
novelistID. 165
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

しっぽ物語 12.野の白鳥

INDEX|7ページ/11ページ|

次のページ前のページ
 

「俺も色々な女と付き合ってきたが、流石に服を全部駄目にするような猛女はいなかったよ。一度、銃を突きつけられたことはあったが」
 一度言葉を切って辺りを見回すが、真面目な顔で聞いているのは傍で控えているCくらいのものだった。
「そういうタイプには、さっさと謝ったほうがいいぞ。女の無茶ってのは、愛情表現の裏返しだからな」
「それは経験で?」
 片腕男のふざけた茶々に、涼しい顔を向ける。
「まあな」
 言いながら茶目っ気たっぷりに声を潜め、片眉を吊り上げてみせる。本来なら醒めていてもおかしくないはずであるその場の雰囲気が、未だ殺伐としていることに、女の中の不安は益々膨らむばかりだった。
「はあ」
 Dは気の抜けた声で返した。
「そうなりゃ良いんですが」
 それ以上は、どこか遠くを見るような目で、天井の辺りに視線をやっている。その瞳を追いかけようと、腰で手を組み、どっしりと立ちはだかっていたCが、口を開こうとして結局噤んだ。欲求不満がありありと浮かんでいるが、隙のない目つきはLとDを秤にかけたまま、動かない。



 欲求不満に陥っているのは女も同じことだった。退屈そうに自らの結婚指輪を見ているL以外は、誰もが感じているに違いない。もっと情報が必要だった。Rが目元に浮かべる哀れみの意味も、Dの喉の辺りで蟠っている言葉の内容も。表に出てきたのは芝居の台詞よりも陳腐な綺麗ごとばかりだった。まるで自らの記憶を阻む白い光のような不安要素に、女は苛立ちを微かな頭痛が沸き起こるのを感じた。それは胸騒ぎから発して脳にたどり着くと、はっきりとした危険信号に形を変える。


 背後を振り返れば、相変わらず烏合の衆。ひそやかに交わされる言葉は小さく、こちらにまで聞こえてはこなかったが、内容は予測できる。大方、Lのウイットにでも当てられたに違いない。あざ笑いつつも、彼らの本質がLのジョークを好むようなものであることは、出会ったときから分かりきっていた。


 だが女が何よりも許せないことは、自らが全ての輪から取り残され、無視され続けていることだった。この取材の目的は何だか彼らが忘れたわけではあるまいが、いつまで経ってもレコーダーは回らず、カメラのフラッシュも輝かない。今現在、誰の瞳もこちらには向けられていない。その両方を持ったRに視線を送るが、時おり廊下へ横目を向けるばかりで注意の欠片すら与えようとはしなかった。ゲストであるLに至っては手首に嵌めたオメガの腕時計をちらちらと窺いながら、早くこの時を終わらせるきっかけが始まるのを心待ちにしている。


 憤りを何とか飲み込み、女は毅然とした態度で胸をそらした。
「まだかしらね。私、疲れてきたわ」
「病室に戻りますか」
 不意に、今まで気配を感じさせなかったWが背後から覗き込む。
「無理は禁物だ」
「もうすぐ来ますよ」
遮るようCは言った。
「何なら呼んできましょうか」
「いや、来たぜ」
 片腕男が長い首を伸ばした。一斉に立てられた聞き耳には、廊下から談話室まで一直線に続く静寂を裂く靴音が、確かに届いてくる。どこからか、安堵の溜息が零された。ただ一人Rの顔色だけが、目に見えるほど悪くなっていく。


 一度部屋の前を行き過ぎそうになったGは、群集の注目に絡めとられると、上品ぶった顔立ちを謝罪の色に染めた。
「遅れてすまない」
「遅いぞ」
 歎息するLの傍から、Cは渋々と言った呈で僅かに間隔を空けた。その間に何の抵抗もなく滑り込んだGに、彼と縁戚関係にある上司は首をかしげて見せた。
「Fは?」
「まだ遊んでる」
「いじめてるんじゃないだろうな」
「子供たちが離そうとしない。精神年齢がそう変わらないから」
「言えてるな」
 お手上げと言わんばかりに掲げられたLの腕よりも少し上から注がれる視線の意味を、女は知っている。見舞いに訪れ、親切な提案をいくつか挙げるときも、同じような顔でこちらを見つめていた。包み込み、絡みつくような熱意をどこかでも受け取ったような気はするが、いつもあと一歩のところで思い出せない。
「人間は誰しも、素晴らしい一面を有しています」
 集まった注目を臆することなく身に受ける青年の顔を見て、ぱっと弾ける様に連想が繋がる。あの慈愛は父子ではなく、伯父と甥の間に受け継がれたものらしい。


 音もなく部屋に入ってきた院長は、Dとソファの間へ割り込むようにして身を落ち着けた。
「見下すような真似は、神がお許しになりませんよ」
 本物の父親の方はと言えば、うんざりしたように首を振っただけで、言葉を発する気もないようだった。
「まあ、これで殆ど揃ったことだから」
 Gが焦りに任せるまま二人の間へ割って入り、汗ばんだ微笑を向ける。
「約束どおり、取材を」
 促されたRは、これまでの熱意を微塵も見せようとはしなかった。どこかもたつきながら、丸く煙草の焼け焦げを見せるテーブルに、レコーダーを乗せる。もう一度だけDの様子を窺い、らしくもないため息をついた。
「日本製の高い奴だから、そんながなりたてなくてもちゃんと入ってるよ」




 最初はまた、要領の悪い職員が粗相でもしたのだろうと考えていた。しかしあっけないほど軽い破裂音の後からついてきた喚き声は、女の頭にしっかりと残る縫合の下、もっと重大な場所で、圧迫的な痛みとなって叩きつけられた。
「いい加減にしろよ、この野郎」
 叫んだ途端甲高くなる声色を一番先に認知したのは、Lだった。
「Fか?」
 リノリウムの上で物を引きずる耳障りな音と勇ましい足音、聞くに堪えない罵詈雑言は一つに丸められて談話室まで転がされる。全てが膜を張ったようにぼやけて聞こえるのは、急速に高まる心音のせいに違いない。脂汗と窒息の感覚に襲われ、女は思わずパジャマの襟元が千切れるほど強く掴んだ。理由すら考える余裕がない。Cが喉を締め上げられたような声で呟いた。「銃声、今の」。身を丸めたにも関わらず、誰も気付いてくれない。皆が外を見ている。誰も見てくれない。誰も助けに来ない。


「立たなくていい、手も挙げなくていい」
 扉の前で足を踏ん張っている青年の声で、辺りは水を打ったように静まり返った。まだ胸の圧迫が去ることはないが、脈打つ首筋をそろそろと持ち上げる。この苦しさの理由が分からなかった。分かるのは、本当は今この時が、顔を上げるには相応しくないということだけ。だが女は、強張った肩を無理に動かし、抱え込んでいた頭を移動させた。突き刺さるような痛みが動かした部分から蔓延する。帽子の中がかつてないほど熱を持ち、蒸れていた。溢れすぎた感情で涙腺はあっけなく決壊しかけていたが、この空調のことだ。眼を開けば乾燥して、何とかなるかもしれない。限界まで、目尻が裂けてしまうほど瞼をこじ開け、最後の一息で顎を持ち上げる。



 見たことがある、では済まされない男の背後へ隠れるようにして、その青年は少しずつ前へにじり寄ってきた。
「動いちゃいけない。動いたら、どうなるか」
 男の後頭部にもう一度拳銃を強く押し付け笑う。こちらからは、歯軋りをしているようにしか見えなかった。
「およそ最悪の事態だな」