小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
セールス・マン
セールス・マン
novelistID. 165
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

しっぽ物語 12.野の白鳥

INDEX|6ページ/11ページ|

次のページ前のページ
 

 青年は大仰に声色を高めた。
「男を突き飛ばすのに飽きて新興宗教でも始めたのか」
 女はあまり使うことのない忍耐を呼び出し、青年の言葉を待った。
 片腕男を哀れむように見下ろし、青年は首を振った。
「心配しなさんな、プリンセスには直接は関係ない。あるとしたら、今こっちに向かってる奴のほうさ」
「ゲストなら、もうすぐこっちに来るって言ってたわ」
「知ってる。入り口の前にベントレーが停まってるのを見た」
 舌打ちをし、忙しない身振りで廊下の突き当たりまで視界を広げる。
「出来たら、本人には会いたくなかったんだけどな」
 斜め下から見た彼の口元が引き攣るのと、遠くから甲高いベルの音が聞こえるのは、ほぼ同時の出来事だった。
「くそっ」
 低められた声に、騒がしい足音の群れが混ざる。誰よりも早く、女はソファの上で姿勢を正し、俯いて乱れ気味の髪に指を入れた。
「言ってる傍から」
「来たぞ。みんな」
 片腕男は引き連れた仲間を見渡した。
「大人しくするんだ」


 
 先頭を歩いていたのは先ほどよりもにこやかさを三倍水増しした医師で、動かない表情をそのまま、座っている女達に向けてくる。
「お待たせしました」
 一瞬眼鏡の奥で光る碧色の瞳が、それと殆ど同じ色のスーツを着た青年を捉える。しかし取り立て焦るでもなく、むしろ面白がっているかのような表情で、医師は一歩身を引き、女の背後に回った。


「お前、どうしてこんなところに」
 続いて談話室に入ってきたのは、入院してすぐの頃、毎日のように花を届けにきていた男だった。忘れることのないほど地味なスーツを着た彼は真面目そうな顔を歪め、女の腰掛けたソファに手を置く青年を睨む。
「今日は昼から仕事じゃないのか、ミスター・ペッパーミル」
「有給を消費してる真っ最中さ」
 幾分か挫かれてしまった気勢を奮い立たせ、Dは言った。
「それよか、あんたがここにいるほうがおかしいと思うんだけどな」
「仕事だよ」


「Cには、うちの馬鹿息子を探すのを手伝ってもらったんだ」
 グレーだが地味ではないスーツと、清潔そうな白いシャツの男が顔を出した途端、どこかまとまりのなかった一団の空気が、抑えこまれたように鎮まる。今まで年齢の割には押しの強い態度だったCすらもが、彼に肩を叩かれた途端、軽く息を詰める。
「無理やり引っ立ててきたんだが、奴はまだ、下にいる。随分と子供に懐かれてな、意外なことに」
 何事も臆することのない堂々とした歩みで近付くと、男は、今日のゲストであるLは、皆が何かを言う前に女の傍へしゃがみ込んだ。同じ高さから、魅力的な青い瞳で女の顔を覗き込む。
「君が『ボードウォークの天使』か。確かに、美しいお嬢さんだな」
 徹底的に軽蔑してやろうと厳重に構えていたにも関わらず、気付けば胸元にまで潜り込まれている。全てにおいてだらしのない男。良い噂など何一つ聞かないのに、僅かながら持ち上がった口角の親しみやすさは、誰も真似することが出来ないに違いない。


「挨拶する前から口説くなんて、マナー違反だぞ」
 Cや看護師を押しのけるようにして前へ出てきた男が、割れるような声を上げた。いつも身軽な呈の彼にしては珍しく、左手のテープレコーダーの他に、逞しい猪首から旧式のライカをぶら下げている。
「天使、いや、プリンセスの方がいいのか」
 身を寄せ合い身構える男達に視線を投げてから、Rは露骨な好奇心を女に向けた。
「いよいよ戴冠式ってわけだ」


 必死の形相で探していたにも関わらず、DはRの頭の天辺を睨むばかりで固く口を噤み続けるばかりだった。Rに至っては、最初に群集の一角として認識しただけで、後は取材の準備に忙しく、見向きもしない。彼の代わりを引き受けたと言わんばかりに、Lの傍に控えたCが鋭い視線を送り続けている。


「申し訳ありませんが、取材は短めでお願いします」
 無言の対峙を避ける上っ面の明るさで、Wが微笑む。
「患者の体調のこともありますしね」
「俺も『元』患者だぞ」
 少し引き攣れる独特の笑いを浮かべたLは、彼女が腰掛けている隣のソファに腰を落とした。
「だが、いや、残念だな」
「差し出がましいことですが」
 表情を解凍させたCが、上司の方に身を屈める。
「広報宣伝部長がおいでになってから始められたほうが」
「それもそうだな」
 すっかりリラックスした態度で頷く。レコーダーを手にしていたRへ首を捻ると、いかにも慣れた動作で片腕を上げた。
「じゃあ、今はオフレコで」


 Rは肩をすくめ、スイッチをオフにした。空気は変わらない。女は頬杖をつき、溜息をついた。さきほどまであれほど寒々しかったのに、今はニット帽の中が蒸れるほどの熱気が襲い掛かってくる。脱いでしまいたかったが、いつ写真を撮られるか分からなかったし、第一今まで医師と看護師以外の誰一人にも、その傷跡を晒したことはなかったのだ。


 我慢をすればするほど頬は火照るばかりだった。幾ら紅顔が良いと言っても、これでは写真うつりとしてあんまり過ぎる。自分はあくまでも。女は乾いた唇を舐めた。自分はあくまでも天使や王女であって、哀れな被害者ではない。
 仕方なく、ちょうど良いほどのぬくもりを保っていたジャケットを脱ぎ捨てる。思ったとおり少し肌寒かったが、一つ良い点があるとすれば、パジャマの襟元から覗く、くっきりとした胸の谷間を強調できるようになることだろうか。
 Lの視線が思ったとおりの場所へ注がれたことに満足してから、女は鷹揚な態度で脚を組んだ。


 沈黙の中、10歳の子供の眼で辺りを観察していたRが、仏頂面に表情を切り替えたCへ身を寄せた。Dを顎でしゃくり、空々しい声色で問いかける。
「彼は? おたくの従業員?」
「カジノで働いてる」
 皮肉満載の口調でDは叩き返した。
「こんな派手な格好をしてるのはリノ出身を気取ってるからでも80年代に憧れてるからでもなくて、他のスーツが全部水浸しになってるせいだぞ」
「水浸し?」
 はっきりと、Rの眉が不安の色を帯びる。
「どうして」
「同居人が馬鹿をな。ったく、こんな格好」
 ふんと鼻を鳴らし、ポケットに手を突っ込む。どこか衆目を意識しているかのようなポーズに、言葉の半分以上が嘘であることは、すぐに知れ渡った。
「結局行くってさ。止めたんだけど、目を離した隙にクローゼット中の服をバスタブへ放り込みやがった」
 この場へ横たえるにしては不自然な沈黙が、ますます上がりつつある室温の間に居座る。どうやらRから伝染したらしい不可思議な胸騒ぎを抱きすくめ、女は言葉を待ち受けた。


「それで」
 頭の回転が速い男にしては長すぎるだんまりの後、Rは干上がった声で呟いた。
「そいつは出て行った?」
「ああ。予定通りに」
 Dは深く頷いた。
「残念ながら」
 それっきり、二人は固く口を閉ざしてしまった。



「なかなか勇ましいお嬢さんを相手にしてるらしいな」
 よどんだ空気をあっけなく切り裂いたのは、Lの放ったのんき極まりない破顔だった。彼はむっつり顔のDへ、親しみの篭ったからかいを向けた。