不必要ノ苦痛ヲ与フヘキ兵器
時刻は午前一〇時を過ぎた頃。
助手席に着いた大尉さんが楽しげに語り出す。
「さて勇希君。君はこの事件をどう思いますか?」
「そうですね。これは内部の人間による犯行だと思います。室内が荒らされていたのは外部の人間による犯行と思わせる偽装です。僕の感じた自然計数はこの事件が偽りに満ちていることを示唆していました」
僕の右隣に座ったサヨイが驚いた声を出す。
「でも内部の犯行って。勇希には犯人の目星がついているの?」
「それは確証が得られるまでは言えない。それを確かめるために高階中尉に話を聞きに行くんだ。――大尉さん、高階中尉について知っていることを教えてくれませんか?」
大尉さんは説明を始めた。
高階正幸。
年齢は五一歳。若い頃は真面目一徹という人物だったらしいが、最近になって遊びを覚え、吉原に入り浸るようになったとか。ちなみに妻とはかなり前に離婚し、今は独身。吉原では社会的地位をあえて強調しないように客をもてなすが、高階中尉は自分のことを中尉殿と呼ばせていたらしい。
わざわざ自分を階級で呼ばせるなんて、よほど地位に固執している人物なのだろうと僕は考えた。
最後に大尉さんはこう付け加えた。
「高階中尉はね、女性の首をリボンで絞めないと性的に興奮できないらしくて。霧里さんは扱いに困っていましたよ」
「首を絞める?」
とサヨイが呻いた。
サヨイには理解できない性癖かもしれない。僕にだってサヨイの首を絞めるような性癖はないと思う。
大尉さんが噛んで含めるようにサヨイを諭す。
「サヨイさん。男性の中にはそういう性癖を持つ人もいるんですよ。女性から見れば迷惑でしかない行為ですがね。霧里さんも苦労していました」
「霧里さんはもう亡くなっているのにハッカさんはどうしてそんなことを知ってるんですか?」
そんなことをサヨイは大尉さんに聞いた。
追及した、という表現の方が適切かもしれない。
サヨイはそういう遊びを快く思わないところがある。
しかし大尉さんはこう切り返した。
「あそこで月に一度、連歌の会が設けられていましたね。何度かお邪魔させてもらったことがあるんです」
そんな大尉さんの言葉に、これまでずっと沈黙を守っていた運転席の部下が小さく失笑した。あ、この人ちゃんと反応するんだ。
それにしても大尉さんの言い方は実にうまく逃げたように思われる。
サヨイは釈然としない表情で黙ってしまった。
大尉さんが連歌の会での思い出を話し始める。
「霧里さんの歌はきっぱりしていましたね。気風のいい性状がうかがえました。文人連中にはやはり女の歌は単純だ、などと言われていましたが。その潔さを表すのに、ますらおぶりの、と文人たちが言い出したのには笑ってしまいましたよ」
翻って大尉さんは小照さんについても言及する。
「小照さんはいつも霧里さんの傍に控えていましたね。歌のうまい娘というのは激情を秘めているものですが、さてあの娘の場合は」
大尉さんは小照さんについて本質的な部分を避けて語ったように思う。
僕はその点について尋ねた。
「大尉さん。小照さんについて教えてください」
「実は私は霧里さんから小照さんを身請けするように頼まれていたんですよ」
「身請けですか?」
僕は合点がいかなかった。
「小照さんは振袖新造でしょう? 身請けなんてできるんですか?」
「異例ではあるでしょうね。しかし霧里さんは楼主の山川さんに必ず認めさせると語っていました。霧里さんには山川さんをうなずかせる切り札があったのかもしれませんね」
「例えば盗聴器の件とか?」
と僕は大尉さんに確認した。
つまり山川氏にも霧里さんを殺害する動機があるということになる。
「今は結論を出すの早いですね。高階中尉に話を聞いてからでも遅くはないでしょう」
と大尉さんが締めくくったところで、車は憲兵詰所に到着した。鉄筋コンクリートでできたオフィスビルのような佇まいだった。陽光を浴びて窓という窓が煌めく。
大尉さんはやはり部下を車で待たせ、僕とサヨイを促して憲兵詰所に入った。内部では灰緑色の軍服に身を包んだ憲兵たちが目まぐるしく動いていた。彼らは部外者である僕やサヨイに不躾な視線を浴びせる。警視庁の諮問探偵であるとは言え、単身では僕が入ることはできなかっただろう。
二階にある執務室に案内された。
そこでは丸い赤みを帯びた高級木材の机に着いて、恰幅の良い軍人が誰かと電話しているところだった。外見は古めかしい黒電話だが、内部はおそらく最新の電子機器で構成されているのだろう。もしかしたら守秘回線も備えているかもしれない。
大尉さんが朗らかに語り掛ける。
「おや中尉、電話中でしたか。もしかして山川さんとか?」
「な……!」
高階中尉は目に見えて顔を紅潮させた。
分かりやすい人だ。
高階中尉は乱暴に黒電話を置き、両腕を組む。
腕を組むと、でっぷり突き出した腹が強調される。
「大尉殿。私は忙しいのです。用件があるなら手短にお願いしたい」
「こちらは菊池勇希君と言いまして。警視庁の諮問探偵です。彼に貴方が知っていることを話して欲しいんですよ」
だん、と高階中尉は机を叩いた。
「何故、憲兵が探偵の質問に答えねばならんのですか!」
「上官命令、という言葉を使わせないで欲しいですね」
「く……」
高階中尉はまた腕を組む。
僕はサヨイや大尉さんに見守られながら質問を始めた。
「まずお尋ねしたいのは、昨夜は何故、登楼してすぐに帰ってしまったのかということです」
「立たなかったのだ。致し方あるまい」
サヨイが露骨に眉をひそめた。
僕は淡々と質問を続ける。
「高階中尉殿は女性の首をリボンで締めないと興奮できないとか。昨夜もそうしたんじゃないですか?」
「そんなことを誰に聞いた?」
僕の言葉に高階中尉の顔は信号機のように青くなった。
それで僕は高階中尉をやんわり追及する。
「昨夜は少し力を入れすぎましたか?」
「そんなことはない!」
がたん、と高階中尉は立ち上がった。
「探偵。おまえはなにも分かっておらん。首を絞めるという行為に興奮するのと、殺害するという行為に至るのとでは、全く違うのだ」
そこで大尉さんが高階中尉をたしなめる。
「座りなさい、中尉」
見れば、高階中尉は脂汗が浮き出ている。
よほど緊張しているらしい。
だが犯罪者を可哀想に思うような憐憫の情は、僕は持ち合わせていない。
僕は冷徹に質問を続けた。
「質問を変えましょう。中尉殿、貴方はどうして吉原に通うようになったんですか? 若い頃は遊びなんて知らなかったと聞いています」
「釣り場で楼主と知り合ったのがきっかけだ」
「なるほど、釣りですか。楼主の山川さんとは見世以外でも会う仲ですか?」
「よく釣りに出かける」
「なるほど」
と僕は一礼して質問を終えた。
高階中尉はほっとしたようだった。
そう思わせて不意打ちを掛けた。
「どうして中尉殿は女性の首を絞めるようになったんですか? 僕にはそういう趣味はありません。だから一体どういう感情が渦巻いているのか興味があります」
「その女は人形か?」
と高階中尉はサヨイに目を向けた。
サヨイは戸惑った様子でうなずく。
作品名:不必要ノ苦痛ヲ与フヘキ兵器 作家名:阿木直哉