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不必要ノ苦痛ヲ与フヘキ兵器

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 僕は口元に手を当てて、しばし考えた。気になることはあるが、いきなり聞くのはまずい。それに物事には順番と言うものがある。
 まずは第一発見者に話を聞こう。
「小照さんに話を聞きましょう。山川さん、呼んでいただけますか?」
「承知いたしました」
 と山川氏は人を呼んで、小照さんという振袖新造に来るように申し付けた。
 振袖新造とは花魁になるために見世が育てている少女たちのことだ。幼い頃は禿(かむろ)と言う。振袖を着ているのは、まだ客を取らないという意味もあると聞く。大人たちに期待をかけられ、大切に育てられる少女たち。
 やがて一人の振袖新造がやってきた。
 その振袖新造は見世に入る時に目が合った猫のような印象の少女だった。この少女が小照なのだろう。大きな目は猫のような愛らしさがある。
 小照と思しき少女は僕らにぺこりと頭を下げて、山川氏に言った。
「旦那様、御用件はなんでありんしょうか。わっちが見たことはもう全部、憲兵さんにお話ししんしたが」
「小照。この坊ちゃまは高名な少年探偵なんだよ。そんな方が捜査に協力してくださるそうだ。おまえが見たことをもう一度話してあげなさい」
「……」
 小照はしばし黙り込んでしまった。
 黒目がちな瞳が僕にじっと注がれる。
 僕は柔らかい口調で小照さんを促した。
「小照さん。どうかお願いします。犯人と逮捕するためには必要なことです」
「分かりんした。お話ししんす、探偵さん」
 と小照さんは声を震わせながら話し出した。
「今日〇六時頃、わっちは旦那様に言われて花魁を起こしに行きんした。何度声をかけてもお返事がなくて、襖を開けたら……。花魁はぐったりしていたんでありんす。わっちはどうしていいのか分からなくなって、しばらくへたり込んでいんした」
 小照さんは独特な口調でしゃべる。
 廓言葉というものだ。
 ここ吉原では外とは異なる文化がある。
「それはお辛かったでしょうね」
 と僕は小照さんを慰めた。
 小照さんは今朝の衝撃が蘇ったのか青ざめた顔をしていた。
 山川氏が相変わらず笑顔のまま補足してくれた。
「この小照は霧里とは姉妹だったんですよ」
「姉妹?」
「もっとも、血は繋がってはおらんのです。香炉姉妹と申しましてな。香を焚き込めた部屋で姉妹の契りを交わすのです。霧里は小照を本当の妹のように可愛がっておりましてな。霧里を小照に起こしに行かせたのは、小照なら不機嫌になることもなかろうと。寝起きの霧里は少々、怖いところがありまして」
 山川氏は聞かれもしないことをしゃべる。
 まるで小照さんに話をさせたくないように。
「霧里は気難しいところがありましてな。身の回りの世話は小照にしかさせませんでした。この小照にしか気が許せなかったのやもしれません」
 それは確かに気難しそうだ。
 しかし僕は内心とは違うことを口にする。
「香炉姉妹ですか。そんな習慣が吉原にあったとは知りませんでした」
「最近の流行ですよ。もとになったのは大陸の妓女(ぎじょ)の習慣らしいですな」
「じゃあ小照さん」
 と僕は小照さんに向き直る。
「お姉さんに等しい花魁を亡くされて辛いとは思います。しかし聞いておかなければならないこともあります。霧里さんは誰かに恨まれるようなことはありませんでしたか?」
「勇希!」
 と、それまで黙っていたサヨイが割って入った。
 小照さんを僕からかばうように立つ。
「そんな言い方ないでしょう。この子はお姉さん代わりだった人を殺されたばかりなのよ。もう少し気を遣ってあげて」
 サヨイの言葉は常識的に見て正しい。
 しかし殺人という非常識な出来事には常識的な対応をしていられない。例え人の心を傷つけることになっても真実を追求しなければならない時がある。
 だが、そのことをサヨイや小照さんに説明していいものか。
 そう考えていると大尉さんが口を挟んだ。
「いやいや、サヨイさん。勇希君だけが非情というわけではないですよ。関係者に被害者の交友関係を尋ねるのは捜査の基本です。勇希君の質問は理に適っています。情に合わせているとは言えませんがね。さ、勇希君。質問を続けてください」
 褒められたのか貶されたのか。
 分明ではなかったが、僕は小照さんへの質問を続けた。
「小照さん。霧里さんに恨みを持っていそうな人間に心当たりはありませんか?」
「花魁はいっそ優しい方でした。男らしくて頼りがいがあって。わっちをいっそ可愛がってくれんした。でも……こういう場所でありんすから誰かに恨みを買っていたかもしれんせん。恨みとか妬みとか、そういう気持ちは誰でも持っていんすから」
 小照さんは目に涙を溜めながら必死な様子で訴える。
 声を震わせるたびに藤に見立てた簪(かんざし)の飾りが揺れた。小照さんが目に湛えた光は、泥の中に咲く蓮の花を思わせた。
「探偵さん。花魁の手を取り戻しておくんなんし。このままでは花魁をちゃんと弔うことができんせん。花魁が彼岸で手のない暮らしを送ることになりんすから」
 小照さんは僕の手をぎゅっと握ってきた。
 霧里という花魁を想う気持ちが痛いほど伝わってくる。
 しかし一方で、僕は小照さんの手のしなやかさに戸惑ってしまった。柔らかさに関してはサヨイの手も同じ。そうは言っても、僕は自分と同年代の少女と触れ合うのに慣れていない。鼓動が早まるのは仕方ないと言える。
 邪念を払うために僕は一瞬、目を閉ざす。
 今は仕事のことだけ考えるんだ。
 目を開けた僕は、小照さんを励まそうと力強い声を出す。
「約束します。必ず犯人を捜し出します」
 そうだ。
 この小照という少女は姉同然の女性を殺されたばかりなのだ。
 邪念に囚われている場合ではない。
 僕は小照さんと霧里という花魁の関係を思った。
 血が繋がっていなくても心が通じ合っていれば、それはもう家族だ。
 例えば僕とサヨイがそうであるように。



 車に戻ったところで大尉さんはこんなことを話しだす。
「勇希君。山川さんの印象はどうでした?」
「そうですね……」
 しばし僕は口元に手を当てて考える。
「油断ならない人物だと思いました。いつもにこにこしているようですが、腹の中は読めません」
「ええ。先入観を与えたくなかったので話しませんでしたが、現場から盗聴器が見つかりました。私は以前、霧里さんから秘密が漏れているように思うと相談を受けたことがあります。勇希君は誰が仕掛けたと思いますか?」
 政治家が利用することもある見世で盗聴器が見つかるというのは無視できない出来事だ。
「大尉さんは山川さんが仕掛けたと考えているんですか?」
「さすが勇希君。鋭いですね。この件はしばし保留としましょう。今はまだ判断ができませんからね。――定光(さだみつ)君、出してください」
 と大尉さんは部下に声をかけた。
 定光と呼ばれた部下は無言で車を発進させた。
 昨夜の客だった高階中尉に話を聞くことにする。高階中尉は憲兵分隊の分隊長を務めているらしい。警察で言うなら警察署署長に相当する。しかし、吉原で遊ぶ高階中尉という人物に、僕は好印象を抱けなかった。
 高階中尉がいる憲兵詰所に着くまでの間、僕らはこれまで得た情報を整理することにした。