不必要ノ苦痛ヲ与フヘキ兵器
「繭子さんは二号館からここを狙いました。北に位置する二号館は正午になると日差しを直線的に受けることになります。もし時間帯が正午でなかったとしたら反射光は見えなかったかもしれません。狙撃手として訓練を受けた繭子さんとしては致命的な失策です」
僕の言葉を受けて、ニコさんの目から笑顔が消えた。
ふぅーっ、と長い溜め息のように紫煙を吐く。
「なにが言いたのかな?」
「ニコさん。貴方は何故、正午に来るように時間を指定したんですか?」
「たまたまその時刻に時間が空いていたからだよ」
「質問を変えましょう」
と僕が話し出したのは黒ノ子供会というホームページのことだった。
「貴方は自宅の情報端末からそこに接続していますね。しかも毎日」
「情報収集の一環だよ。それがなにか?」
「黒田清隆という主催者は貴方ではないですか? 黒田清隆は第二代内閣総理大臣。二個とかけた名前です。小照さんという振袖新造に殺人を示唆したのは貴方ですね。それだけじゃない。牧島忠吾という少年に殺人を示唆したのも貴方がやったんです。何故そんなことを?」
くつくつ、とニコさんは喉を震わせるように笑った。
なまじ整った顔立ちであるだけにニコさんの笑い方は不気味だった。
「私が示唆しなくてもあの子たちはいずれ人を殺していた。私は方向性を変えただけだよ。いいかい? 久留島大佐が生み出した子供たちというのは誰かが親代わりになって導いてあげなければならないんだ。子供たちの個性を尊重し、子供たちの望みを叶えてあげる。それが大人としての務めというものだ」
「貴方は小照さんや牧島さんで自分の思い通りに子供たちを動かせるという確信を得て、本番である久留島大佐の暗殺を日沢繭子さんにやらせたんです。久留島大佐を暗殺し、自分が計画を主導するために。そして貴方は自分に疑いの目がかかるのを恐れ、狂言を思い付いた」
ニコさんは葉巻を灰皿に置いた。
「与えること、与えられること。両者は釣り合っていなければならない。私が得たのは正当な対価だよ。しかし、そこまで分かっているのであれば、君には消えてもらわなければならないな」
机の引き出しからニコさんが取り出したのは小型拳銃ベレッタM3032だった。
ニコさんは手馴れた手つきで安全装置を外す。
ぴたり、とベレッタM3032が僕を照準する。
「探偵君。君のような能力を開花させた人間を殺すのは心が痛むよ」
僕は動じなかった。
ニコさんが引き金を絞る。
そこで、
「ニコ女史。銃を捨てなさい」
という声が研究室に響いた。
ドアのところで待っていた大尉さんが研究室に入ってきて、ニコさんに拳銃を向けたのだった。
ニコさんが地の底から響かせるような呻き声を上げる。
「私はまんまと嵌められたわけか……!」
「僕が今、お話ししたのは全て推測。貴方から尻尾を出してもらわなければ逮捕できませんでした」
はは、とニコさんは体を前のめりにして笑い出した。
ニコさんは大尉さんに連行される前に捨て台詞を残す。
「探偵君。君の能力は使えば使うほど鋭敏になってゆく。いずれ日常生活も困難になるだろう。母親代わりの人形と睦み合う暮らしが大切なら、犯罪のない田舎にでも引っ込むことだ」
ニコさんの言葉は間違っている。
僕は声を大にして言い返す。
「例え田舎でも人の心に潜む闇と無縁ではいられません。それに僕の能力は人の役に立てるためにあるんです」
それはサヨイから教えられたこと。
僕はサヨイが誇りに思えるような男になる。
■終幕:魂ノ熱
久留島大佐を裁く軍法会議が行われることになった。
もう私たちの出る幕はない。
ハッカさんは軍法会議に前後して、
「勇希君、サヨイさん、お疲れ様でした。私からの気持ちです」
と旅行をプレゼントしてくれた。
大石田の温泉で疲れを癒してはどうか、ということらしい。ハッカさんは私が『大石田の最上川』という絵を大切にしていることを知っている。おそらく自分の眼で見る機会を与えてくれたのだろう。
私は勇希と一緒に寝台列車に乗り込み、山形県の大石田町へ向かった。
しかし、なかなか寝付くことができなかった。頭の奥でなにかがざわついていて、眠りに入ることを妨げている。
私は車窓から夜景を眺めながら自分の気持ちを鎮めた。
良く晴れた空に月がその姿を半ば晒す。
私の気持ちはまだ満ちていない。そんな確信があった。では、なにを継ぎ足せば私は完成するというのだろう。
不意に勇希の声がかかった。
「サヨイ? 眠れないの?」
「ええ……少し落ち着かなくて」
「サヨイ。こっちに来て」
と勇希はベッドに招く。
私はベッドに入って勇希の胸に頭を預けた。とくんとくん、と規則正しく刻まれる心音。白檀の香りが私をなだめてくれた。
勇希は私の髪を撫でてくれる。
いつしか私は眠りに落ちていた。
次の日の早朝になって寝台列車は大石田に着いた。
大石田は寂れた町だった。温泉街というわけではないし、さりとて他に観光資源があるというわけでもないらしかった。
勇希は駅から見える景色について一言感想を漏らした。
「寂しいところだね」
「ええ……でも、どうしてかな。私には懐かしく思える」
不意に鳥たちが音を立てて駅舎から飛び立って行った。
どうしてだろう。
私の中のざわめきは益々大きくなっている。私の気持ちは波にさらわれて、どこへ流れ着くのだろうか。
私と勇希は温泉宿へ向けて歩き出した。
長閑な田園が広がっている。車道だというのに車が行き交うことはなく、時折お百姓さんたちの歩く姿が見られるだけだった。
途中、川のせせらぎが見えてきた。
勇希が足を止めて私に声をかける。
「サヨイ、これってあの絵じゃないかな?」
私は言葉を返すことができなかった。
勇希を無視したわけではない。
返事をするだけの余裕がなかったのだ。
朝日を浴びて煌めく川。野鳥は川面すれすれを飛んで波を起こす。土の匂いが郷愁を誘う。小さな舟を漕ぐ船頭が唄を歌っている。
そこに佇む景色は私が親しんだ『大石田の最上川』だった。絵は冬の景色を描いている。今の季節は春。しかし私には確かにこの景色を描いたのだと分かった。
記憶が鮮やかによみがえる。
私はこの景色を見て育った。
ここは私の故郷だ。
私はこの川に別れを告げ、女中として働くために東京に出たんだ。その後、東京で私は殺されたのだ。
無言で立ちすくむ私を勇希が心配した。
「サヨイ? どうしたの?」
「思い出した……」
「思い出したって?」
勇希がキョトンとする。
私は勇希の手を取った。
「東京に戻りましょう」
「今着いたばかりだよ」
勇希が驚いて声を上げる。
しかし私は東京ですべきことができた。
私は過去と対決しなければならない。
◆
列車に乗って東京に戻った私たちは、その足で久留島大佐を裁こうと開かれている軍法会議に乗り込んだ。ハッカさんは事情を話すと手助けしてくれた。勇希も手を貸してくれるという。この子はいつだって私のために力を尽くしてくれる。
諮問探偵になったのも私の事件を調べるためだ。
作品名:不必要ノ苦痛ヲ与フヘキ兵器 作家名:阿木直哉