不必要ノ苦痛ヲ与フヘキ兵器
「分かりました。軍に引き渡さないように努力します。ですが、今の時点で約束はできません」
僕は警視庁の諮問探偵ではあるが、特別な人脈があるわけではない。
軽はずみな約束することはできなかった。
もしかするとニコさんは犯人について話してくれないかもしれない。
しかし、大尉さんがこんなことを言い出した。
「犯人の身柄については私が保護しましょう」
「しかし君は憲兵では? 私は犯人を軍に渡したくないんだ」
とニコさんは眉根を寄せて訝しんだ。
ところが大尉さんは動じない。
あっさりとした口調で驚くべきことを言い放つ。
「宮中での保護を確約します」
大尉さん以外、誰も口を利けなかった。
冗談にしては笑えない。
冗談でなかったとしたら益々笑えない。
ニコさんは大尉さんに正体について尋ねる。
「君は何者だ? 宮中に保護できるなど、憲兵の権能を越えている」
「私はある方にお仕えする自動人形です。副葬品とでもご理解いただければ」
僕には大尉さんの言葉がほとんど理解できない。
一つだけ分かったのは大尉さんが自動人形だということ。
今まで大尉さんを人形と呼ぶ言葉を聞いてはいたが、まさか自動人形だとは思わなかった。大尉さんは自動人形という分類から逸脱した個性を持っていることも関係しているだろう。周囲から刺々しい視線を浴びせられても飄々と生きる大尉さん。その生き方はとても力強かった。
なるほどなるほど、とニコさんは何度も繰り返す。
「あの方が副葬品として自動人形をお持ちだとは聞いていたが、まさか実物に会えるとはね。よろしい、それなら宮中で保護してもらえる話にも納得できる」
とニコさんは紫煙を吐いてから犯人について話し出した。
「日沢繭子(ひさわまゆこ)。一四歳。探偵君と同じ病院で産まれた仕組まれた子供の一人だ。出生して間もなく満州国に連れて行かれ、そこで兵士として教育を受けた。特に狙撃について才能を発揮したと聞く。おそらく彼女が犯人だろう」
満州国は建国以来、実質的に日本の支配下にある。
旧ソ連と国境を接してきた地理的条件から、満州国は日本にとって最重要な国だ。満州国を守備する関東軍は精強であると聞く。日沢繭子という少女がそこでどんな扱いを受けたのだろうかは分からない。しかし僕と同年齢の少女にとって過酷であることは間違いないだろう。
その日沢繭子という少女が一体どうして久留島大佐を撃つのか。
僕はその点について質した。
「ニコさん。その日沢繭子さんは何故、久留島大佐を撃ったんですか?」
「日沢繭子は自分の出生について呪っていたらしいな。生まれた時から殺人者としての生き方を運命づけられていることについて、思うところがあったのだろう。満州国で不安定な様子が報告されている」
「報告? 貴方こそ何者なんですか?」
僕はニコさんの正体が分からなくなっていった。
ニコさんは警視庁に協力する精神科医だと思っていた。
だが実際には違う顔があるのか。
ニコさんは滔々と語り出す。
「米国と戦争をするのではないかと語られる中、日本軍は理想的な兵士を生み出すため、霊と肉――二つの分野に分かれて研究を始めた。肉についての研究の過程で生まれたのが自動人形だよ。満州国は人体実験がやりやすい環境にあってね、肉の研究はそれほど障害なく進んだと聞く」
ニコさんはサヨイにねっとりとした視線を浴びせる。
サヨイは居心地悪そうに視線をそらした。
僕はサヨイの手を握ってやった。ぎゅっとサヨイは僕の手を握り返す。
ニコさんは次に霊の研究について話す。
「しかし霊についての研究はなかなか進まなかった。そこで越南戦争が起こり、PTSDについての研究が進むにつれ、久留島大佐が新しい方法を思い付いた。どんな過酷な戦場を経験してもPTSDにならない兵士の精神構造を研究しようというのがそれだ。私はその研究の手伝いをしていたんだよ」
そこまでニコさんが話した時、僕はニコさんの背後にある窓でなにかが光るのに気付いた。
まさかスコープの反射光?
僕はとっさにニコさんに飛び付く。
同時に銃弾が窓ガラスを貫いた。
「勇希!」
サヨイの悲鳴が木霊する。
◆
立て続けに発射される銃弾がガラス窓を粉々に粉砕する。
ニコさんを押し倒した僕にガラス片が降りかかった。
まさか久留島大佐を撃ったという日沢繭子が銃撃しているのか。だがニコさんは日沢繭子を保護して欲しいと依頼してきた。そんなニコさんの事情を日沢繭子は知らないのか。
どれくらいニコさんをかばっていただろう。
大尉さんが窓辺で手鏡を使って狙撃手の姿を求めた。
「もう消えてしまったようですね」
僕たちは立ち上がって、それぞれの無事を確認した。
研究室はひどい有様だった。
ニコさんが座っていた机は銃弾によって惨たらしく抉られていた。
サヨイが駆け寄ってくる。
僕の頬を手袋越しにそっと撫でた。
「勇希……危ないことはしないで」
「ごめん……でも僕は大丈夫だよ」
その時、大尉さんの手元でじゃきんという金属音が立つ。
大尉さんは拳銃を取り出し、初弾を装填したのだった。
ワルサ―PPQという独逸製の自動拳銃。
一七発と装弾数が多く、またグリップの太さを段階的に調整できるのが特徴だ。
大尉さんは淡々と僕らに語った。
「私はこれから犯人を追います。勇希君たちはこの人を守ってあげてください」
そう言うが否や、大尉さんは研究室から駆け出して行った。
大尉さんの凛々しい姿を初めて見た気がする。
残されたニコさんは僕につかみかかった。
「あの人形、まさか繭子を殺すつもりではないだろうな?」
自分の命が狙われたというのにニコさんはまだ日沢繭子を保護してもらいたいらしい。
そんなに彼女のことが大切なのか。
僕はニコさんを必死になだめた。
「大丈夫ですよ。大尉さんは約束を守る人です」
「私も行く。繭子を諭す」
ニコさんは研究室を出て行こうとした。
僕は慌ててニコさんを押し留める。
「待ってください。危険です。犯人は貴方を射殺しようとしたんですよ」
「しかし……!」
とニコさんは納得できない様子だった。
「繭子とは何度か面会したことがある。取っ付き辛いところはあるが、真っ直ぐな気性の気持ちの良い少女なんだ。本当なら兵士なんてさせたくない。私はあの子に兵器としてではなく、人間として生きて欲しいんだ」
ニコさんの思いは理解した。
だから僕はニコさんを安心させようと声を出した。
「ニコさん。貴方の気持ちは分かりました。その気持ちを僕が伝えてきます」
そこでサヨイが鋭く制止する。
「勇希! 危ない真似はしないでって言ったでしょう!」
「僕は男なんだよ。やらなければいけないこともある。大丈夫、サヨイを残して死んだりしないから」
研究室から出て行こうとする僕にニコさんが呼び止めた。
「この近くの門と言えば、赤門か龍岡門だろう。赤門までの並木道は目立つ。だとすれば龍岡門から逃げるに違いない」
「分かりました」
僕はサヨイとニコさんを残して、研究室を出た。
研究室のある一号館から龍岡門を目指す。
作品名:不必要ノ苦痛ヲ与フヘキ兵器 作家名:阿木直哉