小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

不必要ノ苦痛ヲ与フヘキ兵器

INDEX|13ページ/29ページ|

次のページ前のページ
 

 サヨイの涙はとても透明度が高くて、僕の心に静かに波打ちながら広がっていくかのようだった。
 この人を守りたい。
 一瞬、サヨイが母親だということを忘れそうになる。
 サヨイの桜色に潤んだ唇から目が離せない。
「――お邪魔でしたら私はもう帰りましょうか?」
 唇と唇が触れ合う寸前、そんな声がかかった。
 大尉さんだった。
 制服姿の大尉さんは居間の入り口に立ち、にやにや笑っている。
 僕は慌ててサヨイから身を引きはがした。
 サヨイは恥ずかしそうに長い髪をかき上げる。
 大尉さんはなおも笑い続けて言う。
「お二人は本当に仲睦まじいですね。まるで恋人同士のようです」
「ハッカさん! からかわないでください!」
「冗談ですよ」
 はは、と大尉さんは平然と受け流した。
 僕は気恥ずかしくて居たたまれなかった。
 サヨイはしどろもどろに説明する。
「勇希のことが心配で、ハッカさんに相談したの。それで来てくれて……」
「そ、そうなんだ……」
 僕は居間に移動して今夜起きたことをサヨイと大尉さんに話した。
「――それで、僕を助けてくれた女学生は名前も告げずに消えてしまったんだ。一体どうしてなんだろう? 二人はどう思う?」
「恥ずかしがり屋だとか?」
 とソファに座ったサヨイがそんな感想を漏らす。
 多分、違うと思ったが、あえて指摘しなかった。
 僕は大尉さんに向かった。
「大尉さんはどう思いますか?」
「そうですね……」
 大尉さんは両肘に手を添えながら考え込む。
「人々の耳目にさらされたくない、という事情があったのではないでしょうか? それが最も自然な理由でしょう」
「ええ。問題はその理由ですね」
 一体あの女学生はどんな事情を抱えているのだろう?
 ところで、と大尉さんは興味深げに尋ねてきた。
「その女学生はどこの学校の生徒さんか分からないのでしょうか? どんな制服を着ていましたか?」
「なるほど。検索してみます」
 僕はソファから立ち上がって居間の隅に置いた情報端末に向かった。黒い円筒形のマックプロは他の会社の情報端末のように使用者に対して唸るということがない。
『高等女学校、セーラー服』
 検索すると、次々と項目が表示される。
 どこから見て行こうか。
 大尉さんが楽しそうに画面に目を走らせる。
「いやあ、どれも麗しい。目移りしてしまいますね」
「ハッカさん。真面目に見てますか?」
「もちろん。冗談ですよ」
 サヨイと大尉さんはいつものやり取りを交わす。
 良かった。
 サヨイはすっかり元気になったようだ。
 その一つをクリックした時、サヨイは僕の椅子に両手を預けて、不安げな声を出す。
「勇希はこういうものに興味がある?」
「え? いや……」
 僕が見ようとしたのは東京の高等女学校の制服について語り合うという場所だった。女学生の制服が好きな匿名の紳士たちが集い、熱い議論を交わす。
 普段なら見ない。
 しかし、理由が理由だし、今はいいんじゃないかと思う。
 サヨイはなにを心配しているんだろう。
 大尉さんが笑いながら解説する。
「勇希君。サヨイさんは貴方の目が自分以外に向くのが寂しいんですよ」
「ハッカさん! 冗談はやめてください!」
「いや、失礼しました。私は親子というものに縁遠くて。お二人の関係が微笑ましくて、ついからかってしまうんですよ」
 なんて人だ。
 この人は僕たちをからかって、なにが楽しいのだろう。
「サヨイ。僕はサヨイが一番大事だよ。いつだってその気持ちは変わらない」
「勇希……」
 みるみるサヨイの目が潤む。
 僕は情報端末に向き直り、検索を続けた。
 やがて僕はある制服に目を留めた。
 紺色のセーラー服。膝を隠す程度の長さのプリーツスカートが清潔感を醸し出す。
「……これだ」
 あの女学生が来ていた制服はこれに違いない。
『華族女学校』
 という注釈がついていた。
 明治一八年、皇族や華族の令嬢たちのための官立の学校として創立されたのが華族女学校だ。現在では一般家庭からの入学も許されている。
 大尉さんが面白そうに感想を呟く。
「華族女学校と言うのはやっかいですね。あそこは学生への保護が徹底しています」
「うーん……」
 僕は口元に手を当てて考え込む。
 名前を告げずに去っていったことを考えると、正面から学校を訪ねて大事にしてしまうのは彼女の気持ちを蔑ろにしてしまうかもしれない。
 僕は、
「自分から名乗り出てもらうようにするのがいいかもしれませんね」
 サヨイを見ながら自分の考えを話し出した。



 サヨイがお世話になっているラジオ放送局は、東京オリンピックにおけるオリンピック放送センターを前身とする。オフィスビルの屋上には電波塔がそびえ立つ。
 そこでサヨイはラジオ番組の司会者を務め、毎回お客を呼んで様々な話題に花を咲かせる。サヨイの美しい声と親しみやすい人柄は、多くの聴取者に愛されていると聞く。ただ本人は恥ずかしがって、僕に自慢することはない。
 僕の収入があれば、サヨイが働く必要はない。しかし、それではサヨイの生活が単調になってしまう。だから僕はサヨイが週に一度、ラジオで声の仕事をするのを歓迎している。
 僕は深夜、サヨイに従って警備員の目の光る正面玄関から一三階にある制作室に入った。
「こんばんは、サヨイさん」
 入口近くにいた職員たちからサヨイに声がかかる。
 どうやらサヨイは大事にされているようだ。
 彼らの視線は僕に集中した。
「サヨイさん。この子は誰?」
 と尋ねられる。
 サヨイは朗らかに答えた。
「息子の勇希です。勇希、みなさんにご挨拶して」
 その言葉に職員たちは衝撃を受けたようだった。
 話を聞いていた職員たちがどよめく。
 若い男性職員の中には天井を仰いだり、呻いている者もいた。二〇歳と思しき若い女性に中学生の息子がいると聞いたら、少なからぬ衝撃を受けるだろう。ちょっと気の毒に思えた。だからと言って訂正する気にはなれないけど。
 僕はぺこりと頭を下げる。
「菊池勇希と言います。中学三年生です。いつもサヨイがお世話になっています」
 陸に上がった魚のように口をパクパクさせている職員の様子が可笑しかった。
 僕はコーヒーの注がれたマグカップをいただいて、サヨイが出演する番組の収録を見守った。きびきびとしゃべるサヨイの姿はとても新鮮だった。
 華族女学校に通っていると思しき恩人を探し出すため、僕は作戦を思い付いた。
 サヨイのラジオ番組に出演し、そこで恩人に呼びかけるのだ。果たして彼女は姿を見せてくれるのか。確信は持てないが、もし彼女がラジオを聞いているのだとしたら、一言でもお礼を言いたかった。
 やがて僕の出番が来た。
 床を這う電線につまづかないように僕はサヨイの正面に着く。
 サヨイが聴取者に向けて紹介する。
「警視庁諮問探偵の菊池勇希君です。勇希君は一四歳という若さということもあって、少年探偵と言われています。菊池君、今日は聴取者の方々にお話ししたいことがあるそうですね?」
 はい、と僕はサヨイの言葉を引き継ぐ。