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不必要ノ苦痛ヲ与フヘキ兵器

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「こんにちわ、サヨイさん」
 やはりハッカさんの声だった。
 機械が苦手なハッカさんは自分で電話を持ち歩かず、周りの人間に持たせている。
 困った人だ。
 他愛もない世間話のあとにハッカさんはこう切り出した。
「ハリウッド映画というのを見たことがありますか?」
「アメリカの映画ですよね?」
「ええ。最近できた映画館で封切されるので、良かったら一緒にどうかと」
「分かりました」
 私は待ち合わせの場所と時間を聞いてから電話を切った。
 映画なんて久しぶりだ。
 どんな服を着て行こうか。
 ウキウキした気分で私は着替えるために自室へ向かった。



 お昼頃、私はえんじ色の路面電車に乗り、約束の時間より少し早く喫茶店に着いた。
 モダンな雰囲気が好ましく、何度か足を運んだ店。なんでも昭和一五年の東京オリンピック以前から営業している由緒ある店らしい。
 ハッカさんは先に席についていた。
 ローズベージュのジャケット。朱のアスコットタイと胸の開いた白のシャツ。足元は細めのジーンズで、素足にはキャメルの革靴という出で立ちだった。
 ちょっとお出かけするだけなのに隙がないのはハッカさんらしいと思う。
 対して私は、スタンドカラーの白のフリルシャツに、ストライプが横に入った紺色のタイトスカート。手には白いレースの手袋、足には黒いハイヒールを履く。
 服装について打ち合わせたわけではないのに、私たちの気合は程良く和していた。
 ハッカさんは恭しく席から立ち上がって私を迎えた。
「サヨイさん、素敵ですよ」
「ハッカさんも」
「喉は乾いていませんか?」
「いえ、大丈夫です」
「では行きましょう」
 ハッカさんに促されて私は映画館へ向かった。
 建ち並ぶ高層建築群。その合間から青い空が見え、電線が張り巡らせてある。道路には自動車や路面電車が忙しなく行き交っていた。遠くには高射砲塔が一基、その姿を霞ませながら威圧的に佇立する。
 道すがらハッカさんは行き先である映画館について語った。
「複合映画館と言いましてね。近年増えつつある業態です」
 さすがに都内と言うだけあって道行く人々の装いは洋風が多かった。そんな中でもハッカさんの着こなしは粋であるように思われた。
 私はハッカさんに寄り添い、そっと右腕を絡めた。
 ハッカさんは微笑んだが、特に言葉は発しなかった。
 おそらく私たちは今、恋人同士に見えているだろう。
 しかしハッカさんには秘密がある。
 ハッカさんは女性だ。
 最初に会った時から私はハッカさんが女性なのだと気付いていた。しかし、ハッカさんなりの事情があるのだろうと思い、そのことは勇希にさえ黙っている。もしかしたら勇希は今もハッカさんが男性だと思っているかもしれない。
 それくらいハッカさんの男装は板についている。例えば香水も、松林を思わせる男性的な匂いを付けるという徹底ぶり。昔は男役の女優だったんじゃないかと思うほどだ。私への接し方も配慮が行き届いていて、ハッカさんに丁重に扱われると悪い気はしない。
 おそらく私がハッカさんの秘密に気付いていることに、ハッカさん自身気付いている。しかし、そのことを確かめるような野暮なことはしない。私たちは心地良い今の距離感を楽しんでいた。あえて言葉にすることで今の関係を壊したくはない。
 件の映画館は平日だというのに人で混み合っていた。採光を考えた開放的な造りの館内に、人波が寄せては返す。
 連れ立った若者が多く、期待感に満ち溢れているように見える。封切される映画の邦題は『生物災害』。
 なんとなく嫌な予感がした。
「どうしました、サヨイさん?」
「いえ……なんでもありません」
 言葉を濁して、私は係員に渡された専用の眼鏡をかけて席に着いた。
 内臓を揺さぶるような効果音と共に画面に現れたのは大量の動く死体だった。全身血まみれで、生者を求めて地上を彷徨う。
 飛び交う銃弾。
 飛び散る血肉。
 画面から映像が飛び出してくる。
 他の観客から悲鳴が上がった。釣られて私も上げそうになってしまう。
 怖い。
 私は目をぎゅっと瞑った。
 こういう恐怖映画は苦手だ。
 暗がりの中、そんな私の手をハッカさんが握ってきた。
「大丈夫ですよ。怖くないから目を開けてください」
「うー」
 勇気を出して薄目を開ける。
 次の瞬間、動く死体に人間が噛みつかれる映像が目に飛び込んできた。
「っ!」
 見ていられなくて私は下を向いて目を閉じた。
 くすくす、とハッカさんが楽しそうに笑みを零す。人の気も知らないでっ。
 拷問のような二時間だった。
 ふらふらになった私をハッカさんが優しく支えてくれる。
 私はハッカさんに促されて、待ち合わせに使った喫茶店で休むことにした。
「サヨイさん。具合はどうですか?」
「なんとか……。ハッカさんは今日の映画の内容を知っていたんですか?」
「いえ、知りませんでしたよ。しかしサヨイさんは実に可愛らしかったですね」
「……もう。変なこと言わないでください」
 そこで、白いエプロンドレスを着た店員さんが注文を取りに来た。
 私はコーヒーアフォガート、ハッカさんはエスプレッソを頼む。
 自動人形である私は食べなくても問題ない。しかし飲食という行為自体は可能で、私は甘いものを時々口にする。
 しばらくして注文したものが運ばれてきた。
 私は、シナモンパウダーが振りかけられたアイスクリームに熱いコーヒーを少しかけて、溶けたアイスクリームを口に運んだ。濃い目のコーヒーが強い香りを放ちながら口の中でアイスクリームと混ざり合う。
 今度、家で作ってみよう。そうだな、シナモンパウダーの代わりにすりおろした柚子の皮をかけてみるのはどうだろう?
 そんなことを考えていると、ふとハッカさんがじっと私を見詰めていることに気付いた。
「ハッカさん?」
「その洋服、とてもお似合いですよ。落ち着いた雰囲気があります」
「いえ、そんな」
「でも、たまには娘らしい服装も見たいですね。サヨイさんは若いんだから、そういう服も似合うと思います。きっと勇希君も喜んでくれますよ」
 私はもう若くない。
 私の素体になった女性は享年二〇歳だと聞いている。もう十分大人と言えるだろう。娘という年齢ではない。仮に若いのだとしても、私は娘らしい服というのが今一つ分からない。男の子の服であればよく知っているつもりなのだけど。
 私はそのことをためらいながら話した。
 するとハッカさんは楽しそうにこんなことを言い出す。
「じゃあ、これから百貨店に行きましょう。私がサヨイさんに似合う服を選んであげますよ」
「お仕事は大丈夫なんですか?」
「夕方には予定が入っていますが、それまで十分に時間があります。サヨイさんは予定などありますか?」
「いえ、今日は特に。夕食の支度をしたいので夕方までに家に戻れれば」
「じゃあ決まりですね」
 私は押し切られるように百貨店に行くことになった。



 夕食後、私は香炉に火を点けた。